続日本100名城

きいじょう/きいのき

基肄城

佐賀県三養基郡

別名 : 基肆城、記夷城、椽城(きのき)、木山城
旧国名 : 肥前

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基肄城
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ぴーかる

基肄城 (2024/02/10 訪問)

【続百名城67城目】
<駐車場他>基肄城跡駐車場は現在整備工事中で進入禁止なので水門跡駐車場を利用するのがよいかと。<33.444293, 130.507239>の道路脇に停めました。
<交通手段>車

<見所>北帝門跡・水門跡・礎石群・石塁
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅1城目。工事中の駐車場から遊歩道があるのを知らずに、草スキー場の斜面を駆け上り基山山頂、基肄城跡まで登りました。基山山頂付近の遺構を見てから、時計回りに大礎石跡⇒北帝門跡⇒東北門跡⇒南水門 北に戻って、米倉礎石群⇒鐘楼跡⇒つつみ跡⇒土塁跡⇒丸尾礎石群と巡り山頂に戻り終了しました。
 印象に残ったのは、北帝門跡の崩れた石塁と、名称は無い(X2という札が木にかけてあります)が、北帝門跡から東北門に至る遊歩道の脇にあった礎石群には曲輪壁に石塁が残されていて見応えがありました。山中の所々に残る石塁があり、それを探す楽しさ、また礎石群の礎石のでかさには圧倒されます。古代の建築物の大きさを想像させます。
 古代山城の山の尾根上数キロを取り囲む縄張りを巡るのに超歩くのは覚悟していましたが、やっぱり4時間歩き通しは疲れました。しかし城跡散策の心地よい疲労感でした。

<満足度>★★★
<グルメ>登城前に「丸幸ラーメンセンター基山本店」にて腹ごしらえ。翌日、久留米ラーメンの有名店を食べたのですが、自分的にはこちらの方が豚骨が濃くて美味しかった。

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しんしんちゃん

広大な城域を遺構で囲む。城というより山。 (2020/01/04 訪問)

基肄城は朝鮮式山城と呼ばれる古代の山城で基山と坊住山の二つの山にまたがる広大な城域
を持ち、太宰府の南の守りを担っています。天智2年の白村江の戦いで敗れた日本が新羅・
唐に対する防衛のために天智4年に築いたとされています。南水門の周辺には石垣など遺構が
良く残っており、水門は急峻な山容から流れる谷水の排水の役割も担っていたようです。
基山の山頂部からの眺望は素晴らしく、東峰の周辺には土の堤が残っています。2時間ほどの
ウォーキングを楽しみましたが、あまりにも城域が広いので全容を把握するまでに至って
いません。

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10Q-Nobu

太宰府絶対防衛線 その3 (2023/05/02 訪問)

水城、大野城に続いて太宰府を後背から守る基肄城へ登城。上まで車で上がってこられ、駐車場もあるので攻略は楽でした。
草スキー場にもなっており、お城目当てじゃない人も楽しめそう。

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朝田 辰兵衛

山頂エリアのみです。 (2020/12/06 訪問)

JR基山駅から,徒歩約15分で基山町民会館到着。基山町民会館にて,スタンプペッタン。そして,情報収集。基山町民会館から,徒歩約60分で登城口到着。登城口からは,徒歩約10分で山頂エリア到着。登城口から山頂エリアまでのアクセスについては,雨天時を回避したほうがいいと思います。
なお,山頂エリア一帯は,眺望が広範囲で開けており,大宰府防衛拠点の位置づけに納得しました。
当時,水門跡は豪雨の被害を受けており,遠望しかできない状態でした。山頂エリアからのルートも通行止め。
水門跡へ行くには,基山町民会館付近まで下山してから,さらに徒歩約60分の登山となるため非効率。しかも,遠望のみということで,時間対効果を勘案して断念しました。みなさんの書き込みを見ると,今は水門跡へ行けるみたいですね。

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城郭情報

城地種類 古代山城
築城年代 天智天皇4年(665)
築城者 天智天皇
主要城主 不明
文化財史跡区分 国特別史跡(基肄(椽)城跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑
主な遺構 門、水門、建物礎石、石垣、土塁
住所 佐賀県三養基郡基山町大字小倉/福岡県筑紫野市
問い合わせ先 基山町教育委員会教育学習課
問い合わせ先電話番号 0942-92-2200