続日本100名城

きいじょう/きいのき

基肄城

佐賀県三養基郡

別名 : 基肆城、記夷城、椽城(きのき)、木山城
旧国名 : 肥前

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基肄城
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朝田 辰兵衛

【再訪】基肄城散策~水門エリアを~ (2024/07/08 訪問)

以前訪城した時は,水害の影響で水門エリアは立入禁止措置が取られていました。「いも」と「タマ」のある山頂エリアの散策でポチ。しかし,いずれは行きたかった水門エリアをようやく…です。

実は,昨年に計画していたのですが,大雨で断念しました。その時,筑後川以外にも九州全体に影響を及ぼす場所に気づきました。それは「鳥栖ジャンクション」です。九州を横断する高速道と,縦断する高速道のクロスポイントです。高速バスで大渋滞に巻き込まれ,その重要性に気づいたというワケです。まるで琵琶湖の水のよう…。
ということは,「翔んで埼玉」が佐賀にやってきた場合,(滋賀で「琵琶湖の水を止めるゾ」的な最終手段として)「鳥栖ジャンクション止めるゾ」が有効では…と思いました。九州の流通がほぼほぼマヒします。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/17 訪問)

福岡・佐賀のお城廻第一日目

基肄城跡は、公共交通機関では行きづらいとこですが、コミュニティバスなど使って行きました。
水門跡から東北門跡、基山山頂までぐるっと回る予定でしたが、東北門跡過ぎたあたりで電話がかかってきて話しながら歩いていると道を間違えて城跡エリアの真ん中を流れる筒川に出てしまい、上る元気もなかったのでそのまま川沿いに水門跡までショートカット。それでもこの時点で1万7千歩くらい(朝からですが)歩いていました。
ぐるっと回るコースでも約2時間くらいではないでしょうか。とにかく歩くので、トレッキングシューズなどちょっとした山歩きの装備がおすすめです。

本日の行程は以下の通り
※大野城、水城と共に登城

6:25羽田(航空機)、8:20,8:30福岡空港(地下鉄)、8:35,8:40博多(JR)、9:13基山
 (徒歩17分)基山町民会館(9:00-20:00 続百名城スタンプ)
9:55基山町役場(コミュバス)、10:06丸林
 (徒歩15分水門跡)基肄城跡

(水門跡から徒歩30分)12:44JRけやき台、12:53二日市(徒歩14分)13:17西鉄二日市、13:25太宰府
 ※駅レンタサイクル(9時-18時:電動アシスト800円)約7㎞走行
 (約4.2㎞上り)大野城跡 焼米ヶ原駐車場
 (約1.0km)県民の森センター(百名城スタンプ)

 (約7.9km)水城館(9:00-16:30月休 続百名城スタンプ)
  水城

 (約2km)大宰府政庁跡見学
  ※政庁跡側の太宰府展示館でもスタンプ押印可
 (約1.9km自転車返却)18:02太宰府、18:24西鉄福岡(天神)
 泊:博多

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ぴーかる

基肄城 (2024/02/10 訪問)

【続百名城67城目】
<駐車場他>基肄城跡駐車場は現在整備工事中で進入禁止なので水門跡駐車場を利用するのがよいかと。<33.444293, 130.507239>の道路脇に停めました。
<交通手段>車

<見所>北帝門跡・水門跡・礎石群・石塁
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅1城目。工事中の駐車場から遊歩道があるのを知らずに、草スキー場の斜面を駆け上り基山山頂、基肄城跡まで登りました。基山山頂付近の遺構を見てから、時計回りに大礎石跡⇒北帝門跡⇒東北門跡⇒南水門 北に戻って、米倉礎石群⇒鐘楼跡⇒つつみ跡⇒土塁跡⇒丸尾礎石群と巡り山頂に戻り終了しました。
 印象に残ったのは、北帝門跡の崩れた石塁と、名称は無い(X2という札が木にかけてあります)が、北帝門跡から東北門に至る遊歩道の脇にあった礎石群には曲輪壁に石塁が残されていて見応えがありました。山中の所々に残る石塁があり、それを探す楽しさ、また礎石群の礎石のでかさには圧倒されます。古代の建築物の大きさを想像させます。
 古代山城の山の尾根上数キロを取り囲む縄張りを巡るのに超歩くのは覚悟していましたが、やっぱり4時間歩き通しは疲れました。しかし城跡散策の心地よい疲労感でした。

<満足度>★★★
<グルメ>登城前に「丸幸ラーメンセンター基山本店」にて腹ごしらえ。翌日、久留米ラーメンの有名店を食べたのですが、自分的にはこちらの方が豚骨が濃くて美味しかった。

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しんちゃん

広大な城域を遺構で囲む。城というより山。 (2020/01/04 訪問)

基肄城は朝鮮式山城と呼ばれる古代の山城で基山と坊住山の二つの山にまたがる広大な城域
を持ち、太宰府の南の守りを担っています。天智2年の白村江の戦いで敗れた日本が新羅・
唐に対する防衛のために天智4年に築いたとされています。南水門の周辺には石垣など遺構が
良く残っており、水門は急峻な山容から流れる谷水の排水の役割も担っていたようです。
基山の山頂部からの眺望は素晴らしく、東峰の周辺には土の堤が残っています。2時間ほどの
ウォーキングを楽しみましたが、あまりにも城域が広いので全容を把握するまでに至って
いません。

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城郭情報

城地種類 古代山城
築城年代 天智天皇4年(665)
築城者 天智天皇
主要城主 不明
文化財史跡区分 国特別史跡(基肄(椽)城跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑
主な遺構 門、水門、建物礎石、石垣、土塁
住所 佐賀県三養基郡基山町大字小倉/福岡県筑紫野市
問い合わせ先 基山町教育委員会教育学習課
問い合わせ先電話番号 0942-92-2200