豊臣秀吉と徳川家康。二人の天下人のまさに天下取りの第一歩が始まったのが、この浜松城と磯田道史先生の著書に記載が有り、訪問しました。
正確には、現在の浜松城は徳川家康一代の出世城。二人の天下人が関わったのは、浜松城の古城曲輪であり昔の曳馬城、現在で言うと浜松東照宮の地です。
曳馬城の主は飯尾氏。この飯尾氏の家臣に松下某というものがおり、ある日、松下が不思議な少年を曳馬城に連れてきた。奇形で猿といえば人、人といえば猿。引間城の本丸にてこの少年に栗を食わせたところ、まるで猿のようだと飯尾家家臣に大ウケし、松下の側近につけた。しかしこの少年の働きは完璧。ついには他の小姓の妬みを買い、いじめられた。仕方なく松下はこの少年に暇を出した。この少年こそは後の豊臣秀吉。秀吉の天下取りの第一歩、初の奉公先はこの曳馬城であった。
その曳馬城もその後、落城。落城した曳馬城の本丸に入ってきたのが若き日の徳川家康。家康は約1年、この曳馬城本丸で寝起きし、三方ヶ原の時も曳馬城の本丸で指揮をとった。やがて城域を拡大して浜松城とした。
現在、曳馬城跡には浜松東照宮が建てられており、境内には豊臣秀吉と徳川家康の二英傑像が置かれています。
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