ふるわたりじょう

古渡城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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東別院の東門
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赤い城

東別院と下茶屋公園 (2025/08/08 訪問)

この日の仕事を終え、時間があったので訪問しました。
地下鉄名城線の東別院駅から徒歩5分、東本願寺名古屋別院周辺が城跡です。
この日は境内でイベントが開催されており、多くの人で賑わっていました。
人混みをかき分けて辿り着いた石碑と説明板が立つ場所へ。
境内の端にあるので人も無く写真も撮影できました。

周囲を歩き、隣接する下茶屋公園へ。
ここには堀跡を利用した池や皆さんのレポートにもある名古屋城関連の石があります。

織田信秀が信長に那古屋城を譲りこの城に移りました。
信長が元服した城でもあります。
信秀はその後末森城を築き移ったため14年で廃城になりました。

【見どころ】
 ・名古屋別院の立派な本堂
 ・堀跡を利用した下茶屋公園の池
 ・名古屋城に関連する石垣の石

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キンヤ

織田信秀の居城で、名古屋城築城時の石置き場ともなった城跡 (2024/12/08 訪問)

東別院(真宗大谷派名古屋別院)一帯は、織田信長の父信秀が築城した古渡城跡で、四方を二重の堀で囲まれていたとされます。信長は古渡城で元服したと云われます。
境内には城の遺構は残されていませんが、城趾碑があり、周囲を巡ると少し高い場所であることが分かります。
東隣にある東別院の後庭であった下茶公園内には堀を利用して作られたとされる庭園の池があります。

ここは江戸時代には名古屋城築城時の石垣用の石置き場とされ、古渡城跡に集められたようで今も残石が多くあります。三河湾沿岸で石を切り出し、船に乗せて伊勢湾を渡り、熱田浜で陸上げし名古屋城まで運ばれていたとされ、東別院は熱田浜から名古屋城の間の真ん中辺りにあります。
古渡城は何度か行きましたが、今回は残石が目的で刻印を探し廻りました。
刻印は下茶屋公園を含め29石も見付かっているとのことですが、私は刻印を22石程見付けることができました。
複数の刻印があるものや、名が刻まれたものもあり、良かったです。特に刻印「一」が多く、10石程見られましたが、なぜ多いのでしょうか。
矢穴石は25石程あり、沢山見られました。矢穴口の長さ10cm以上は名古屋城築城時の慶長期、大修理の宝暦期は5cmが目安とされますが、大半は矢穴口の長さ5cm位でしたので、大修理の宝暦期以降の矢穴かもしれません。

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カズサン

古渡城・東別院を初登城初参拝 (2024/11/24 訪問)

 古渡城趾と東本願寺名古屋別院を初登城し初参拝しました。東別院と地元では呼ばれていますが名古屋出張で度々訪れて近くまで来ていましたが参拝、境内に入る事はありませんでした。
 今回電車での探訪に星崎城を終えて名鉄金山駅から地下鉄名城線に乗り換えて東別院駅で下車、4番出口を出て西に約2、300m程で古渡城址の故地である東本願寺名古屋別院(東別院)の壮大な山門前に着きます、地下鉄からの歩道は幅広く東別院の参道の様です。
 当日日曜日なのか?大きなイベントが有り山門前、本堂、対面所前の境内はテント屋台が多く出て人で込み合っていました、食べ物、衣料品、小物品の屋台ひしめく状態、本堂の登り階段の両脇はお昼時で屋台の食べ物を座って食べてる人でベンチ状態。
 本堂では時期的に親鸞聖人の誕生を祝う報恩講の最中で信者の方が本堂に入りお参りして居ました。私は本堂の入口扉前で参拝し古渡城址碑へ。

 人と屋台をかき分けて東別院南西、鐘楼前の古渡城趾石碑と案内板を確認、撮影、桶狭間の戦い攻路看板も設置されている、この近くでも食事されてる方が居り、人が写らない範囲の撮影と成りました。
 東門から出る、東門は高麗門形式で昭和20年の空襲で焼け残った唯一の建造物で東別院最古の建物だそうです。
 東門から通りを挟んで東に下茶屋公園へ、下茶屋公園は元東別院の新御殿の庭園があった所の様です、城びと投稿の皆さんが寄るべしとの伝達で散策、名古屋城石垣石の地上展示と解説板を確認、また東側に小高い高まりに天守台?櫓台?の様な石垣土壇も有りました。
 
 古渡城址は織田信秀が天文11年(1542年)築城し、規模は東西140m程南北100m程の平城で2重堀、天文17年に末盛城(末森城)に移り廃城と成った。(案内板による)

 昼もチョット過ぎ東別院の屋台は混雑して昼飯を購入出来そうも無いので、下茶屋公園の石ベンチで人も少なく景観も良い所で携帯食とお茶で昼飯としました。
 
 

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うさ

古渡城 (2024/10/20 訪問)

東別院内に石碑あり。
ドデ祭りの日に行ってしまって、たくさんの人で賑わっていました。隣の下茶屋公園は静かで城の名残りを感じました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田信秀
築城年 天文3年(1534)
主な城主 織田信秀
廃城年 天文17年(1548)
遺構 堀跡
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県名古屋市中区橘2
問い合わせ先 名古屋市中区役所区民生活部まちづくり推進室
問い合わせ先電話番号 052-265-2224