ふるわたりじょう

古渡城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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城址碑
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しんしんちゃん

東本願寺名古屋別院 襟を正して参ろう (2024/03/02 訪問)

古渡城は現在の東本願寺名古屋別院のあたりに築かれていたそうです。天文11年(1542)ごろ織田信長の父・信秀によって東の今川方に対抗するために築かれたと有ります。東西140m、南北100mの平城で周囲に二重の堀が巡らされていたそうです。
この日はお城EXPO・in・愛知を訪問した帰りだったので南門は閉まっていましたが、東側が解放されていたので中に入ることが出来ました。南門から入って左、西隅あたりに城址碑と案内板が有ります。
東本願寺名古屋別院に東にある下茶屋公園は旧東本願寺別院・新御殿の後庭とされていて、作庭は天保のころに遡るようです。この周辺もかつての古渡城の跡地に含まれているような記述もありました。

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koyuki

現在は東別院が建つ古渡城 (2023/05/20 訪問)

名古屋城から本町通をくだり古渡城跡へ。信長攻路にも含まれるようです。

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キンヤ

織田信秀の居城で、今は東別院が建ち、名古屋城の残石がある城跡 (2023/03/25 訪問)

織田信長の父信秀が、信長に那古野城を譲り、東南方の今川方に備えるため築城して移り本拠とした平城で、四方を二重の堀で囲まれていたとされます。
信長は古渡城にて13歳で元服したといわれます。

古渡城跡地には東別院(真宗大谷派名古屋別院)が建てられており、山門や本堂など立派です。
境内には城の遺構は何も残されていませんが、山門を入った西側に城趾碑があります。
城趾碑の南側・南西側に大きな石が多くあります。
城跡は名古屋城築城の時に石置き場だったともされ、その残石と思われる刻印や矢穴がある石がいくつか見られます。

東隣りには下茶屋公園があります。
公園の説明板には、尾張名所図会の「東本願寺 掛所」に「古渡古城天守臺址」と記入されていると書かれ、東別院に掲示されているその絵図を見ると確かに右上の北東側にそのように描かれており、公園も古渡城跡地であることが分かります。
公園内には、堀を利用して作られたとされる庭園の池、土壇状があり、城跡らしい雰囲気が感じられます。
公園の東側にも残石があり、石についての説明板が設置されていて、一の刻印と矢穴が見られます。

東別院の北側、公園の北側・東側は高低差があり、周囲より少し高いことが分かります。

3年ぶりに再訪しましたが、新たに分かったこともあり、刻印や矢穴の石を探すのが楽しかったです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ16日目:古渡城 (2022/08/04 訪問)

金山駅から徒歩15分弱で、東別院にある古渡城址碑付近(35.151804、136.901135)に着きました。
東別院の立派な本堂と裏腹に城址碑と説明板がひっそりと建てられています。
東別院の石碑を確認して、堀跡と言われている下茶屋公園(35.151416、136.903154)の池に向かいました。

古渡城は1534年(天文3年)織田信長の父である織田信秀によって築かれたと言われている城です。
信秀は那古野城を信長に譲ったあと、この城を居城としています。
1548年(天文17年)に信秀は末森城を築いて移ったため、わずか14年で廃城となりました。信長が13歳で元服したのもこの城です。
1702年(元禄15年)城址に東本願寺別院が建てられており、敷地内に石碑と案内板があります。

東別院の立派な本堂、山門は素晴らしい。これだけでも見学の価値があります。
それにしても、織田家の城跡に本願寺があるというのは考え深いですね。
下茶屋公園の池も確認しましたが、公園ですね。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=宮後城を目指す為、電車で金山駅から江南駅に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田信秀
築城年 天文3年(1534)
主な城主 織田信秀
廃城年 天文17年(1548)
遺構 堀跡
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県名古屋市中区橘2
問い合わせ先 名古屋市中区役所区民生活部まちづくり推進室
問い合わせ先電話番号 052-265-2224