東別院(真宗大谷派名古屋別院)一帯は、織田信長の父信秀が築城した古渡城跡で、四方を二重の堀で囲まれていたとされます。信長は古渡城で元服したと云われます。
境内には城の遺構は残されていませんが、城趾碑があり、周囲を巡ると少し高い場所であることが分かります。
東隣にある東別院の後庭であった下茶公園内には堀を利用して作られたとされる庭園の池があります。
ここは江戸時代には名古屋城築城時の石垣用の石置き場とされ、古渡城跡に集められたようで今も残石が多くあります。三河湾沿岸で石を切り出し、船に乗せて伊勢湾を渡り、熱田浜で陸上げし名古屋城まで運ばれていたとされ、東別院は熱田浜から名古屋城の間の真ん中辺りにあります。
古渡城は何度か行きましたが、今回は残石が目的で刻印を探し廻りました。
刻印は下茶屋公園を含め29石も見付かっているとのことですが、私は刻印を22石程見付けることができました。
複数の刻印があるものや、名が刻まれたものもあり、良かったです。特に刻印「一」が多く、10石程見られましたが、なぜ多いのでしょうか。
矢穴石は25石程あり、沢山見られました。矢穴口の長さ10cm以上は名古屋城築城時の慶長期、大修理の宝暦期は5cmが目安とされますが、大半は矢穴口の長さ5cm位でしたので、大修理の宝暦期以降の矢穴かもしれません。
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