かんのおさんじょう

神尾山城

京都府亀岡市

別名 : 神尾城、神尾寺城、神尾山古城、本梅城、本免城、本目城
旧国名 : 丹波

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まーやん

野々口西蔵坊の城パート2 (2021/11/03 訪問)

埴生城に引き続き神尾山城に行ってみた‼️
今回は夕方ではなく日中からの登山で余裕があった。
光秀の配下に加わった野々口西蔵坊は今も曲輪の南端に鎮座する金輪寺の修験僧であったとされる。歴史資料の確認はないが、地元には光秀と波多野に一族が分かれ味方したという伝承があるようだ。
金輪寺の東側を進むと歴代住職の墓所があり、ここから登って行く。
墓所の西方にも比較的大きな曲輪が2つあるがブッシュで行きにくい…てか分かりづらく行きたくない感じ。
登山道の西側に2、3曲輪を横目に登ると天頂部だが本丸は最北部なのだろうか。天頂部には南側と東側に曲輪が連坦しているが、東側は展望台などと謳っているが何も見えませぬぞ(;゜0゜)
地図には天狗岩との記載もあるが相変わらず分からない。
南北に伸びた雛壇状の曲輪群は亀岡盆地の西端に位置し、北からの波多野と東からの内藤の動きを押さえるにはうってつけで、能勢からの動きも掌握できる要衝の地にある。
破れた波多野兄弟が送られる際に留め置かれたと言われる場所で、埴生城と二本拠地化していたものと思われるが、その後は何故埴生城へと移ったのか。街道町の発展度合いが影響しているのだろうか。
それと、丹波の山城に共通する若干の石垣がどの時代のものかということ。光秀統治後とは言いきれないひょっとしたら感が楽しい。

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ぴーかる

神尾山城 (2021/11/28 訪問)

【神尾山城】
<駐車場他>金輪寺駐車場
<交通手段>車

<見所>曲輪
<感想>神尾山城は本目城(もとめじょう)の別名があり、波多野清秀の子柳本賢治が1526年に築城した。光秀丹波進攻後は八上城攻めの中継基地として利用されたようです。城の南に位置する金輪寺の建立はずっと前の時代、延暦二年(783年)で神尾山城は寺坊の曲輪を改良したものだと思われます。
 登城口は金輪寺本堂の右脇から山道に入ります。城跡は山頂の主郭を中心に南方向と東方向の斜面に階段状の曲輪を配したオーソドックスな縄張りです。主郭の南3段下段程に横堀のような平坦で長い堀切があり西に竪堀となっています。また登城路途中に石垣遺構があり虎口跡っぽい遺構です。主郭内部は数年未整備のようで灌木でかなり鬱蒼としています。土塁遺構があるようですがちょっと分かりませんでした。東方向の段曲輪には天狗岩や巨石があり巨石を使った防御設備であったようです。

<満足度>◆◆◇

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イオ

八上城攻略の拠点 (2021/11/06 訪問)

戦国前期に細川高国に反旗を翻した柳本賢治が籠った城で、明智光秀の丹波攻めでは八上城攻略の拠点となり、降伏した波多野兄弟が連行された本目城は神尾山城を指すとされます。

八上城へと続く篠山街道を見下ろす神尾山に築かれ、山上の金輪寺の後背の尾根沿いに多数の曲輪を連ねていますが、金輪寺は奈良期創建の古刹で、かつては周辺に多数の堂宇が建ち並んでいたため、周囲の削平地のどこまでが寺でどこからが城なのかは判然としません。

山麓から対向困難な細い山道をひたすら上って金輪寺へ。金輪寺の駐車場に車を駐めて登山口の石段を上り、境内の東側奥から登城開始です。整備された登城道を進むと金輪寺歴代住職の石碑が並ぶ曲輪があり、この辺りからが城域のようです。水の手曲輪を右下に見ながら登って行くと、東西に長くのびた堀切に到着。堀切は幅広く深さもあり、北側は切岸、南側には土塁が設けられ、西側は竪堀となって続いています。堀切南側の曲輪は藪に沈んでいるので探索をあきらめ、北側の切岸をよじ登ると、階段状に曲輪が続いており、切岸は急峻で高さもなかなかのものです。その一段上の曲輪には、神尾山城址の案内板と丸太ベンチが設置されていました。神尾山城の石碑や説明板は見当たらず、案内板もここでしか見かけませんでしたが、なぜ城の中心部でもなく、眺望がきくわけでもないただの段曲輪に設けられているんでしょうね? さらに進むと、登城道に立ち塞がるように土塁がせり出し、土塁には石垣が設けられていました。城道に設けられた城戸(虎口)のような位置付けでしょうか。
城戸を抜けると山頂部に至ります。奥に進む前に「八幡平 天望台」の案内標識から登城道を逸れ、東尾根の曲輪群へ。数段の段曲輪の先には天狗岩と呼ばれる巨岩があり、山岳修験の行場だったようです。山頂部はほぼ平坦なため曲輪は土塁により区画されている…らしいのですが、最大の仕切土塁以外は灌木と藪でよくわかりませんでした。登城道は北曲輪群の西側の虎口を出て尾根沿いに続き、虎口を出たあたりには小規模ながら畝状空堀群が設けられています。また、北曲輪群東下の帯曲輪にはわずかに石積みが見られました。

須知城に続いて、明智光秀の丹波攻めの拠点の城として訪れましたが、石垣も少しはあるにせよ、主には切岸と土塁と堀を駆使した土の城であって、須知城のような光秀による改修は感じられませんでした。あくまで八上城攻略の中継地であって、前線ではないからなんですかね。
 

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まーやん

別名本目(梅?)城 (2019/01/02 訪問)

元々叡山系の金輪寺というお寺があり、そこから尾根を目指して登ってみた。
登山道は比較的整備されており、石垣らしきものや、曲輪、堀切らしきものがあるけど、城について案内がないので性格には分からなかった。結果、到達したかは分からないまま⤵️
苦手な夕方からの登山。。。でも、八木城に近く、篠山街道を見下ろす位置であり要衝地であることが分かった❕
光秀が波多野兄弟を連れてきたのもこの地らしい❕

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 多聞風櫓?[階層不明/築年不明/破却?]
築城主 柳本賢治
築城年 大永6年(1526)
主な改修者 明智光秀
主な城主 柳本氏、明智氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、石積、横堀(空堀)、井戸跡
再建造物 説明板(神尾山金輪寺)
住所 京都府亀岡市宮前町、東本梅町
問い合わせ先 京都府教育庁指導部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 075-414-5903