もりやまじょう

守山城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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石碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)2日目:守山城 (2024/09/23 訪問)

矢田駅から徒歩10分くらいで、守山城案内板付近(35.197631、136.950034)に着きました。
案内板横をアパート側へ入れば、櫓台上の石碑に行けます。

守山城は松平清康が家臣に殺された「守山崩れ」の舞台となった城です。
当時の城主は織田信秀の弟、織田信光でした。信光が織田信長より譲られた那古野城に移ると、代わりに信光の弟の信次、さらに信長の弟の信時が城主となりましたが、「桶狭間の戦い」の後、廃城になりました。
清康のために建立された宝勝寺へは、案内板付近を南下(100mくらい)し、この地点(35.196720、136.949909)を右折して行きます。

小高い丘の上に石碑があり、眺めもまあま良かったです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=小幡城へ行く為、矢田川橋バス停から名古屋市営バスで西城バス停に向かいました。

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小城小次郎

森山崩れの舞台ではあるが (2024/08/02 訪問)

松平清康が斃れた森山崩れの舞台となったお城であり、松平がここまで来ていたのかと驚かされるが桜井松平信定が新地として拝領し娘婿に織田信光を迎えたという流れで、もともと松平の城だったらしいということを初めて知った。

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ぴーかる

守山崩れ (2024/07/27 訪問)

【守山城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>名鉄瀬戸線矢田駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾3城目。現地説明板によると、守山城の築城年・築城者とも詳細は不明だが1526年にはここに城があったようです。1535年にはここは清洲織田氏の城で以降最後の城主の織田信次が長島の戦いで自刃するまで清洲織田氏の城でした。また同年にここに陣を構えた徳川清康が家臣に殺害される守山崩れが起きた所でもあります。
 城跡碑・土塁跡に行くにはアパートの前に説明板と案内板がありアパートの中を通り土塁上まで行けます。土塁と宝勝寺の間に空堀が残っていますが竹林が鬱蒼として堀内には降りられません。宝勝寺が主郭跡なのですが気付かず行きませんでした。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>地下鉄栄町駅まで戻り中日ビル「ユウゼン」にてあんかけスパに初挑戦しました。イタリア風のミートソースとは少し違う野菜の甘味のあるアンでした。隠し味に味噌?

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しんちゃん

守山崩れ (2024/04/06 訪問)

守山城は宝勝寺一帯に築かれていたとされています。宝勝寺が主郭と思われ、南は切岸のようになっており、北側に堀切が残っています。城域は東西約58m、南北約52mとされています。天文年間(1532~55)松平清康が尾張攻略のために居住しますが天文4年に家臣の安倍弥七郎に殺され、松平勢は総崩れとなり岡崎に引き上げたとあります。いわゆる「守山崩れ」ですね。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 なし
築城主 松平信定
築城年 大永元年(1521)
主な城主 松平氏、織田氏
廃城年 天正2年(1574)?
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県名古屋市守山区大字守山字市場、字大門
問い合わせ先 名古屋市守山区役所区民生活部まちづくり推進室生涯学習担当
問い合わせ先電話番号 052-796-4527