守山城は宝勝寺一帯に築かれていたとされています。宝勝寺が主郭と思われ、南は切岸のようになっており、北側に堀切が残っています。城域は東西約58m、南北約52mとされています。天文年間(1532~55)松平清康が尾張攻略のために居住しますが天文4年に家臣の安倍弥七郎に殺され、松平勢は総崩れとなり岡崎に引き上げたとあります。いわゆる「守山崩れ」ですね。
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2024/04/10 17:51
2024/03/09 11:26
松平の衰退のはじまり (2024/03/02 訪問)
織田信光(織田信長の叔父)の居城で、徳川家康の祖父・松平清康が亡くなり、松平の衰退に至った森山崩れが起きとところです。。
矢田川の河岸段丘を利用して作られています。
現在は、閑静な住宅地の中になっています。
二階建てアパート(その名も城跡荘)の奥に城跡がありますが、円形古墳のような感じで
出丸の一部だったのではと推察されます。
城跡の西、数軒の住宅を含めた部分および南側の宝勝寺が城域だったんじゃないでしょうか。
北400mほどのところにコインパーキング(名鉄協商パーキング 鳥羽見第2)がありますが、宝勝寺も寄るのであればお寺の駐車場にとめるのもよいかと思います。
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2021/12/18 11:02
櫓台の草が刈られ探訪易し (2021/12/11 訪問)
名古屋市東部城びと登録未踏城廻り、小幡城を終えて4城目の守山城を目指しました、直線で南西に1.5km程の近さです、ナビを守山城の在る宝勝寺門前の駐車場に合わせましたがその駐車場は月極駐車場の様で近くの方にお聞きして横道を登って宝勝寺境内の駐車場を利用。
探訪ルートは宝勝寺境内、本堂、山門、登り参道幅広階段、段丘の段差のある法面、切岸かな?本堂北奥の墓地、密集した竹林に堀が有るとの情報で覗うが金網フェンスが立憚り目視確認出来ず、土塁状の櫓台へ一旦本堂から東登り道から北へ、アパートの裏に櫓台土塁が有る、丁度草が刈られて居り見学し易い、櫓台西奥に立派な城名石碑が立って居る、結構高い土塁櫓台、南西側に空堀の痕跡を求めるが密集した竹林で確認する事が出来ない。
守山城は庄内川支流矢田川の東側の丘陵を利用した城跡で見通しの良い所、小幡城も近く、龍泉寺城も近く庄内川で繋がってる。
アパートの前に案内板が有る。
丁度草刈りされて居り整備保存の保存会の方、地元の方に感謝申し上げます。
案内板には有名な守山崩れの事も記載されて居ります。「天文4年(1535年)徳川家康の祖父松平清康がこの地に大軍を率いて布陣、尾張攻略を図ったが、家臣に殺害された。」 前後は織田氏の城址で桶狭間合戦か長久手合戦の後に廃城と成った様です。
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2021/11/27 22:05
分類・構造 | 平山城 |
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天守構造 | なし |
築城主 | 松平信定 |
築城年 | 大永元年(1521) |
主な城主 | 松平氏、織田氏 |
廃城年 | 天正2年(1574)? |
遺構 | 土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県名古屋市守山区大字守山字市場、字大門 |
問い合わせ先 | 名古屋市守山区役所区民生活部まちづくり推進室生涯学習担当 |
問い合わせ先電話番号 | 052-796-4527 |