もりやまじょう

守山城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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土塁櫓台登り口
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カズサン

櫓台の草が刈られ探訪易し (2021/12/11 訪問)

 名古屋市東部城びと登録未踏城廻り、小幡城を終えて4城目の守山城を目指しました、直線で南西に1.5km程の近さです、ナビを守山城の在る宝勝寺門前の駐車場に合わせましたがその駐車場は月極駐車場の様で近くの方にお聞きして横道を登って宝勝寺境内の駐車場を利用。

 探訪ルートは宝勝寺境内、本堂、山門、登り参道幅広階段、段丘の段差のある法面、切岸かな?本堂北奥の墓地、密集した竹林に堀が有るとの情報で覗うが金網フェンスが立憚り目視確認出来ず、土塁状の櫓台へ一旦本堂から東登り道から北へ、アパートの裏に櫓台土塁が有る、丁度草が刈られて居り見学し易い、櫓台西奥に立派な城名石碑が立って居る、結構高い土塁櫓台、南西側に空堀の痕跡を求めるが密集した竹林で確認する事が出来ない。
 守山城は庄内川支流矢田川の東側の丘陵を利用した城跡で見通しの良い所、小幡城も近く、龍泉寺城も近く庄内川で繋がってる。
 アパートの前に案内板が有る。 
 丁度草刈りされて居り整備保存の保存会の方、地元の方に感謝申し上げます。

 案内板には有名な守山崩れの事も記載されて居ります。「天文4年(1535年)徳川家康の祖父松平清康がこの地に大軍を率いて布陣、尾張攻略を図ったが、家臣に殺害された。」 前後は織田氏の城址で桶狭間合戦か長久手合戦の後に廃城と成った様です。
 

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守山崩れ (2021/11/27 訪問)

 「守山崩れ」の舞台となった城です。
名鉄瀬戸線「矢田駅」から徒歩10分くらいの場所にあります。案内板と石碑の他に空堀がありますが、他の方も指摘されているように竹藪になっていました。

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キンヤ

「守山崩れ」で有名であり、住宅地に土塁・空堀が残る城 (2021/06/21 訪問)

織田信光(織田信秀の弟)が城主であった1535年に、尾張を攻略する為に守山城に布陣した松平清康(徳川家康の祖父)が家臣に殺された「守山崩れ」事件が起きた城です。

宝勝寺一帯が城跡とされ、その北側の空堀の北東側には大きな土塁が一部残ります。
その土塁の上に立派な石碑があります。

当時は城の四方を空堀で囲まれていたとされます。

空堀の東側からは、かなりの竹藪で降りれませんでしたので、南側の宝勝寺の裏手から空堀に降りました。
蚊の襲撃に合いましたので、直ぐに戻りましたが、藪で見辛いものの大きな空堀で見応えがあり、住宅地によく残った貴重な遺構だと思います。

城跡の南側と西側は斜面になっていて、少し高台である事が分かります。

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姫街道

「守山崩れ」で有名な城 (2021/01/17 訪問)

家康の祖父にあたる清康が家臣に暗殺された地。享年25歳だったとの事。この清康さんは、武力により三河を掌握した名将で、城巡りしているとあちこちで名前が出てきます。守山崩れが無かったら、、、間違いなく歴史は大きく変わっていたはずで残念。さて、遺構は石碑が立つ場所と宝勝寺の間に大堀切が存在している。また、城の東約150mの箇所に古墳跡地に建てられた白山神社があり。その関係性がどのようだったか、宅地化が進んでいてわからないが、少なくとも出城の機能は有していたと感じた。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 なし
築城主 松平信定
築城年 大永元年(1521)
主な城主 松平氏、織田氏
廃城年 天正2年(1574)?
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県名古屋市守山区大字守山字市場、字大門
問い合わせ先 名古屋市守山区役所区民生活部まちづくり推進室生涯学習担当
問い合わせ先電話番号 052-796-4527