JR七日町駅から徒歩45分ほど。若松―坂下間の路線バス「神指黒川」のバス停から徒歩20分です。
越後から会津に移った上杉景勝が、会津若松城に代わる居城として慶長5年から重臣 直江兼続に普請を命じて築き始めた未完の城です。
徳川家康の会津征伐で、築城は中止。その後、家康が関ケ原の戦いで勝利すると、上杉氏は会津から米沢へ減封処分となり、完成することなく廃城となりました。
現在は、二の丸の土塁と本丸の土塁が残されていますが、多くが田んぼや私有地となっています。本丸跡の野球グラウンドそばの道路沿いに説明板が設置されています。大ケヤキがある二の丸の北東隅櫓台は、説明板と土塁上に東屋が設置されています。土塁上の東屋に行こうとしましたが、スズメバチが近くを飛んでいたので、東屋には行かず早めに退散しました。
また神指城周辺は幕末の会津戦争の史跡も残されています。バス通りの国道252号線は旧越後街道で、交通の要衝であったこともあり、新政府軍と会津藩の戦闘が起きていたようです。二の丸南西の土塁遺構のそばの如来堂は、新選組殉難地となっています。明治元年(1868)年9月4日に如来堂に立てこもっていた新選組を新政府軍が攻撃し、新選組の多くが討死にした場所のようです。最寄りのバス停の「神指黒川」の近くには、中野竹子殉節之地があり、石像が立っています。
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