こうざしじょう

神指城

福島県会津若松市


旧国名 : 陸奥

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AJ

田んぼ、神指、直江状 (2022/09/15 訪問)

会津ラストは駅前から電動自転車。のんびりこいで15分ほど。目の前にひたすら広がる収穫直前の田んぼ、田んぼ、田んぼ。その中にポツポツ見える小高い丘。この不自然な光景に思わず足を止めたあなたの城愛は相当なもの。

神指城(方形二輪の輪郭式平城)。と言っても目につくのは本丸土塁と二の丸四隅の土塁のみ。山に近く拡張が困難なうえ、守備にも不利だった若松城を嫌ったとされる直江兼続。北西に約4キロ離れた神指ヶ原に上杉家の大城郭を築こうとしましたが、家康の会津征伐への対応を余儀なくされたため普請は中断。関ヶ原後、上杉景勝が米沢に減知転封されたため、未完のまま終わりました。

面積は若松城の約2倍。川や運河から近く、完成すれば政治のみならず経済の中心としても機能していたはずです。蒲生氏郷亡き後、上杉家が奥羽の押さえとして120万石で会津に移ったのが1598年。一見、秀吉によって創業の地・越後春日山から引き剥がされたようにも見えますが、景勝・兼続主従がこの地を京や大坂、あるいは西の広島(毛利)に並ぶような“都市”にしようとした気概が見え隠れする遺構です。

さて、これを豊臣家への「謀反の準備」と言い張ったのが家康。そしてその指摘を世迷言と一笑に付したのが世に言う「直江状」であります。どちらかと言えば、後者を好意的に描く作品が多いように思います。

でもどうなんでしょう。これだけの大城郭を築いておけば、秀吉没後、情勢が再び乱れた際にキャスティングボードを握れる、というちょっと影が差した考えが、景勝にはなかったとしても、兼続の中に未必の故意に近い状態であったと考えるのが自然ではないでしょうか。田んぼの真ん中でふとそんなことを思うのでした。

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響ちゃん

神指城跡 (2022/06/25 訪問)

コインランドリーで靴を乾かしている間に寄ってみたぽい。サンダルなので近くで見学だけっぽぃ

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朝田 辰兵衛

完成してたら,こっちが100名城!? (2021/11/27 訪問)

完成してたら,こっちを「会津若松城」と名乗っていたんだろうな…と,想像が膨らみます。現在の会津若松城は,鶴ヶ城でいいわけで…。江戸城,大坂城を別格扱いと考えれば,ナンバー3を競う城郭となっていただろうなと思います。散策範囲がめちゃくちゃ広かったです。公共交通利用で散策するなら,神指小学校を起点とすれば効率がいいのかな…と感じました。

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チェブ

幻のお城。 (2019/05/04 訪問)

福島県の会津若松市にある「神指城」に行きました。
越後から会津に移封された上杉 景勝さんが、直江 兼続さんに築かせた「神指城」です。
1600年3月から12万人で工事が始まりました。
が、6月で中止です。
家康さんの上杉討伐です。
でも、家康さんは関ヶ原の合戦に変更し引き返してしまうので、上杉 景勝さんはいい迷惑ですよね。
上杉家は1601年に米沢に引っ越しました。
天守以外は完成していたらしいんです。
「神指城」の石垣は会津若松城で再利用したそうです。
現在の「神指城」グランドの奥に遺構があります。
会津若松城の2倍の大きさだったらしいので、周りの田んぼもお城跡でしょうね。
ちょっと草がボーボーしていました。
「CGで再現された勇姿」のポスターはボロボロです。
頑張れ「神指城」!!

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城郭情報

分類・構造 輪郭式平城
築城主 上杉景勝
築城年 慶長5年(1600)
主な城主 なし(未完成)
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 曲輪、土塁、横堀
再建造物 碑、説明板
住所 福島県会津若松市神指町中四合字高瀬
問い合わせ先 会津若松市観光課
問い合わせ先電話番号 0242-39-1251