大きく湾曲した川の内側に築かれた城下町、飫肥。
城はきれいに切り込み積まれた石垣が印象的で、城下町も景観を残すよう整備され、合わせて観光できるように考えられていました。
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2024/11/24 10:14
2024/04/30 17:12
城への交通手段実践レポート (2024/04/26 訪問)
旧本丸は苔むした石垣が見事。観光案内所の人によると、旧本丸に残っている搦手の門は、本丸を移すきっかけの地震でも倒壊を免れたものだそうです。移転後の本丸は小学校になっており、部外者立入禁止で見学せず。
城下町や搦手門下を歩いていると地元の小学生や中学生から「こんにちは!」と元気な挨拶を頂き、振徳堂の精神(?)が引き継がれているのかと感じるような心地よい気持になりました。
本日の行程は以下の通りです
※宮崎、鹿児島の城廻第一日目、佐土原城と飫肥城に登城
※宮崎交通バス1日券1800円(乗換案内アプリ専用)は佐土原や飫肥エリアも使えるので活用しました
7:50羽田(航空機)、9:35,9:48宮崎空港(路線バス)、9:59,10:15宮交シティ(路線バス:2番:花ヶ島・西都行)、11:00交流センター前
(徒歩1分)佐土原城(続百名城スタンプ:城の駅佐土原いろは館9:00-18:00無休)
(歴史資料館鶴松館9:00-16:30土日祝のみ開館)
11:47交流センタ前(路線バス)、12:24,12:30宮崎駅(JR)、13:40飫肥駅
(徒歩19分)飫肥城跡(百名城スタンプ:飫肥歴史資料館9:30-16:30無休)
※飫肥駅横でレンタサイクル(9:30-16:30,500円/日)があるので飫肥駅との往復ならおすすめです
16:25飫肥城下(路線バス)、17:07,17:39南郷(JR)、18:44志布志
泊:ホテル志布志(19時朝付7300円)
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2023/11/12 18:54
2023/08/27 07:31
伊東氏・島津氏攻防の城 (2023/08/13 訪問)
飫肥城は、標高約50m程のシラス台地上に築かれた群郭式平山城で、北東に流れる山川と西南に流れる酒谷川を天然の水堀とし、本丸の北側に松の丸・西の丸・北の城・中の城という曲輪群を配し、南側には松尾の丸、東側には中の丸を配しており、各曲輪は周囲を空堀で分断されていたため攻城戦に於いては、それぞれの曲輪が独立して戦うことが出来、一つの曲輪が奪われても城兵は別の曲輪に移動し戦うことが出来るようになっていました。この様な城の構成は、南九州の中世山城の特徴であり、伊東氏と島津氏が約25年に渡り争った、実戦的な縄張りとなっています。
1587年の豊臣秀吉公九州平定後は、伊東祐兵公が飫肥城主となり、旧本丸周辺の石垣や町割りなどを整備した以降、280年間飫肥藩5万1千石の居城となっています。
飫肥城には、日本100名城スタンプ目的で訪問し、城としての遺構は、あまり期待していませんでしたが、行ってびっくり(@_@)、想像していた「創り物」とは違い、復元された大手門・長壁・石垣が何とも良い雰囲気を醸し出しており、また、旧本丸の杉木立の中に立つと何とも心地よい(*^▽^*)100名城のスタンプも91個目が何年振りかでゲットでき、満足した時間を過ごせました。
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島津氏との争奪戦を経て天正16年(1588)に伊東氏が城主となり、その100年後に伊東祐実による大改修で近世城郭化。シラス台地にある城域は、本丸・中の丸・松尾の丸など多くの曲輪に分かれていた。内枡形になっている高さ12.3mの大手門や松尾の丸(御殿)が復元されている。
城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 正平年間(1346〜1370) |
築城者 | 土持氏 |
主要城主 | 土持氏、新納氏、伊東氏 |
文化財史跡区分 | 国重要伝統的建造物群保存地区(日南市飫肥重要伝統的建造物群保存地区)、市史跡(飫肥城) |
近年の主な復元・整備 | 伊東祐兵 |
天守の現況・形態 | なし |
主な関連施設 | 御殿、櫓門、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣 |
住所 | 宮崎県日南市飫肥10-1 |
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問い合わせ先 | 飫肥城歴史資料館 |
問い合わせ先電話番号 | 0987-25-4533 |