おさかべじょう

刑部城

静岡県浜松市

別名 : 阿王山紫城、阿黄山紫城
旧国名 : 遠江

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じゅんじん

神社 (2023/11/03 訪問)

神社と主郭の間に堀切があります。

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しんしんちゃん

主郭は竹藪密度が高すぎてどうにもならん (2023/07/31 訪問)

複数のお城のサイトを参考にさせていただいたところ
刑部城は今川の家臣、新田美作入道が守る城だそうです。
永禄11年(1568)、徳川家康の家臣に攻められ落城したそうです。
城址は北側の郭の金山神社周辺以外はまったく整備されていません。
南の小山が主郭とみられますが全体が密度の高い竹藪に
おおわれていて、よじ登れないこともないですが
登ったところで身動きが出来ないのがわかっているので
登らない方が良いでしょう。
特に案内板のある南側は崩落が始まっているので
登らない方が良いと思います。

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小城小次郎

記録や伝承がしっかり残る小さなお城 (2022/05/14 訪問)

小さな城だが今川氏の前線基地として各地の戦線にここから派兵していたらしく、1永禄年間には徳川方に落とされてもいる。歴史のわからんお城が多い中、姫が入水する落城伝説まで残っているこのお城は特筆すべき存在なのかも。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:刑部城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の11城目は刑部城です。
堀江城から転戦。金山神社空スペース(34.804669、137.6603)に路駐しました。

刑部城の築城年は不明です。今川義元の家臣である新田美作入道の居城です。
三方を都田川に囲まれた、姫街道の要衝でしたが、1568年(永禄11年)に近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時ら井伊谷三人衆の案内により侵攻した徳川軍に攻められ、落城しました。
その後は菅沼氏が城主として入城しています。
1572年(元亀3年)12月、武田信玄は「三方原の合戦」に勝利すると、祝田から刑部に軍を移して翌年まで滞在しています。

現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、二の丸跡には金山神社が建立されています。
主郭への攻城は、金山神社左側より直登しようとしましたが、雨&気持ち悪い鳥の鳴き声にたじろぎ、やめました。
後で調べたのですが、県道261号線の交差点付近に登城口がありそうでした。(付近に説明板もありそうです)
攻城時間は5分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 新田氏、庵原忠良・長谷川秀匡(今川氏家臣)、菅沼氏(徳川氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸跡
再建造物 説明板
住所 静岡県浜松市北区細江町中川字新屋