常陸吉田城を終えて水戸城方向へ移動し丁度中間に在る武熊城に初登城。水戸城からは南東に1.5km程の水戸市竹隈市民センターの東角に城名碑が側面に由来書きで立っています。
駐車場:水戸市竹隈市民センターの駐車場を利用
参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップに依ります。
竹隈市民センターに車を駐めて、東角の有る城名石碑を確認、側面の由来書きを確認し、周辺を確認するが住宅地、竹隈市民センター東角の生垣の中に石碑が立っている、ごみの集積地の様で黄色いネットが置かれてる。
石碑の由来によると、かってこの地には東西550m南北400mに渡り武熊城が存在した。吉田の豪族石川望幹が築城したと伝えられる。その後江戸氏の支配を経て、天正18年(1590年)佐竹氏が水戸城を攻略し城主となるに及んで、一族の東義久の居城となった。
佐竹氏移封後は廃城と成った。慶安4年(1651年)柳堤築造の時、採土されて城跡は無くなった。と記されています。
この後近くまで来ましたので水戸城へ、イチョウのモミジを観たさに寄りました。
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