たなくらじょう

棚倉城

福島県東白川郡

別名 : 亀ヶ城
旧国名 : 陸奥

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三浦の晃ちゃん

土塁と堀 (2024/06/15 訪問)

土塁と堀が見事です。今は中が公園になっています。キレイな紫陽花が咲いていたのが深い印象に残っています。

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織田晃司

棚倉中学校に行くと (2022/07/28 訪問)

グラウンドの斜面に二の丸石垣が残ってます。
学校関係者にことわりを言うと快く許可してくださいました。
ありがとうございました。

本丸は公園になっていて水堀と高土塁が見どころです。

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カルビン

【城と生き物】 (2015/10/18 訪問)

鯉群が・・・鯉群が襲ってくるよ!



(ネゴシックス風に(笑))

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ぎりょう

江戸時代初期に奥州押さえの地に築かれた土の城 (2022/04/22 訪問)

赤館城の次は棚倉城へ。この城は元和8年(1622)に常陸江戸崎から5万石で移封された丹羽長重が築城を開始するが、寛永4年(1627)その完成を見ずに白河に所替えとなる。以後は内藤、太田、松平(越智)、小笠原、井上、松平(松井)と藩主は交替し、最後の藩主阿部氏のとき戊辰戦争により焼失したという。城地は本丸を二ノ丸で取り巻き、北西に三ノ丸を置く「土の城」。本丸を囲む高い土塁と東西南北の内堀、大手道から続く南門桝形、北二門桝形が保存されている。往時は本丸土塁上をすべて多門櫓が巡っていたというが、土塁の幅と本丸内から見上げる高さがかなり印象的である。明治5年の調査記録である富原文庫蔵「陸軍省城絵図」に、本丸は「本城跡」と記載され、ニノ丸の大手門、南門、北一門、土蔵、板蔵、長屋、屋敷(旧知事住居)などの記載があるが、本丸にあった櫓5か所と櫓門2ヵ所、多門櫓は「跡」と記載されている。
戦国時代には常陸佐竹氏と陸奥芦名・白川結城氏の国境、江戸時代にあっては関東側の奥州押さえの地として親藩・譜代の家が配された城。水戸街道沿いにはかつての城下町風情がたっぷりと残る街並みが続く素敵な場所である。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式+輪郭式平城
天守構造 なし
築城主 丹羽長重
築城年 寛永2年(1625)
主な城主 丹羽氏、内藤氏、阿部氏
廃城年 慶応4年(1868)
遺構 曲輪、土塁、横堀、移築門
指定文化財 国史跡(棚倉城跡)
再建造物 説明板
住所 福島県東白川郡棚倉町棚倉城跡26
問い合わせ先 福島県棚倉町・棚倉町観光協会
問い合わせ先電話番号 0247-33-2113