花隈城…私兵庫県民なのに、お城ファン歴25年以上にして何でか今回初めて登城致しました。
行こうと思えば行けたのに、ねぇ…。
花隈城といえば、荒木道薫こと村重が信長公に謀叛を起こし、有岡城を脱出して大物城に移り、大物城が陥落するとまた脱出して、ここで最後の抵抗をした場所であります。
築城年は諸説あるようですが、村重の件で落城・廃城になるまで10年前後しか存在しなかったようで、以外と短命だったようですね…。
そんな花隈城、六甲山系の大倉山から海岸近くまで続く丘陵地を利用して築かれた、いわゆる天然の要害だったようです。
地名の『花隈』もこの地形からきているそうで、元々は『鼻隅(ハナクマ)』と書いたんだそう。意味は「海岸に突き出た先(崎)」といったところでしょうか。
そういえば大物城もここ花隈城も海から近い立地です。
村重の有岡城からの脱出は、毛利の援軍を期待しての移動だったかもしれませんね。…まぁ実際は来ることはなかったのですが。
で、どんなお城だったかというと…古図『摂津花熊之城図』によると、花隈城の縄張は北から三の丸、二の丸、本丸と並ぶ連郭式で四方を切岸を造り、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓があったようです。そして東には侍町と足軽町、西には町屋を配置して守りを固めてたようです。規模にして東西約350m、南北約200m程だったと推定されているそうです。
さて、現状はというと、JR神戸線の高架沿いに高石垣が築かれています。ここが花隈公園(城跡公園)となっていますが、高石垣は全て模擬です。公園の整備方法に史実は何一つ反映されておりませぬ。
おまけに地下はなんと駐車場。しかも土日祝は最大設定料金の適用無しで15分100円。ク●高ぇ。
ちなみに、石碑と説明板(石製)が公園内にあります。
で、公園の周辺はというと、見事に都市化しており面影は何も残ってません。
強いて言うと、やはり地形でしょうか。公園の近辺はかなりの傾斜地となっており、高低差も相当あります。
あとは福徳寺門前の『花隈城天主閣之趾』の石碑も見ておきましょう。
福徳寺から南の花隈公園までが本丸だったようですが、同じ(推定)本丸にしては公園とは高低差がありすぎます。
個人的な推定ですが、本丸跡が福徳寺周辺とするならば花隈公園は本丸下段もしくは帯曲輪と思っているのですが、どうなんでしょう?地形自体が著しく削られてる可能性もありますからねぇ。
結論、城の遺構はほぼ無いに等しいのですが、公園の周辺を歩いてみると、当時のお城の姿が妄想できるかもしれませんよ??
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