千葉県木更津市の真里谷城です。1456年上杉政憲が支配する上総国へ敵対する古河公方足利成氏の命を受けた武田氏が築いたとされます。ここを拠点に武田氏は周辺の地域へ進出、佐貫城・久留里城・大多喜城の支城を築き上総支配を進めていきます。上総武田氏五代信保が1534年亡くなると、庶子の信隆が当主となったことから、嫡子・信応との間で跡目争いが起こり武田氏は衰退する中、支城を里見氏などに奪われ、武田氏は北条氏の支配下となってゆき、1590年秀吉の北条征伐により、武田氏は滅亡、廃城になったとされます。城は、街道や集落、耕作地なども周辺にない山中にあるため、攻めにくく、房総半島の中央にあるため各地に進出しやすいという利点があり、千畳敷と呼ばれる主郭、二の郭、三の郭、四の郭を配し、東西400m、南北700m程の規模とされ、遺構としては、土塁や堀切などが残っています。
現在城跡は、城山神社や千畳敷のある主郭などが木更津市立少年自然の家キャンプ場として利用され、7月から9月のキャンプ場営業日は開放されていますが、それ以外の日はキャンプ場へ入る道路のゲートが閉ざされ入場禁止となります。
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