【五十公野城】
<駐車場他>駐車場は見当たりませんでした。東中学校横の登城口が行き止まりになっているので、2・3台停めれる。
<交通手段>車
<感想>GW2泊3日上・越攻城の旅3城目。城びとに参加して初めて「お城をさがす」にて探して行った記念すべき1城目です。旅行の計画段階で探した際にまず、「いじみの」が読めなかった。五十公野氏という方がいらしたのが知らなかった。
新発田城足軽長屋を見た後17:00時頃だったが、まだ明るかったので、スタンプ押印もないし本城跡までが予定だったので行った。東中学校とデイサービスの施設の側道を奥まで進むと行き止まりになっており登城口がある。比高はあまりないので10分程度ですぐ主郭跡の石碑が見える。伐採が主郭以外されてないので添付写真の土橋と堀切っぽいのが1箇所くらいしか確認できなかった。
五十公野氏は新発田氏の一族で、戦国時代には新発田重家が五十公野治長と称して家を継いでいてその後、新発田重家の妹婿・長沢道如斎が、五十公野信宗と改名して五十公野氏を継いだそうだ。新発田重家が上杉景勝に反逆した際に五十公野氏もこれに従う。1587年に景勝勢に攻められ落城廃城となったらしい。
初日はこれにて終了し、2日目は上野国(群馬県)なので高崎に泊る為に向かう。
<満足度>◆◆◇
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