げんこうぼうるい

元寇防塁

福岡県福岡市

別名 : 石築地(いしついじ)
旧国名 : 筑前

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①	元寇防塁(生の松原)
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トク

元寇防塁へようこそ! (2024/09/07 訪問)

モトさん、赤い城さん、また過去に元寇防塁をお訪ね下さった城人の皆々様、御訪問いただきありがとうございます。実はここ(生の松原・姪浜・愛宕)地区一帯は、私が仕事でよくウロウロしているまあ庭みたいな場所です(笑)。なので地元ボランティアガイドになったつもりで、ここでおせっかいながらも元寇に関するエピソードを御紹介させて頂きます。

元寇防塁は、執権「北条時宗」が、1度目(1274年文永の役)の反省から、2度目(1281年弘安の役)の元の襲来に備え九州の各御家人に命じて築かせたもので、福岡市内の各所に今も点々と残っています。中でも最も状態がいいのは、復元保存されている「生の松原」(いきのまつばら)です(写真①②③)。ここは有名な「蒙古襲来絵詞」という40mもの長々と膨大な絵巻物を作った、あの熊本県宇城市松橋(まつばせ)の御家人「竹崎季長」(たけざきすえなが)が築いた防塁で、この絵詞(えことば)が残っているがゆえに、現代の我々は元寇の様子を詳しく知る事ができるのです。

では熊本の田舎の貧乏御家人であった季長が、なぜ巨額の投資(借金)をしてまでこのような膨大な絵巻物を作ったのか、皆さんは御存知でしょうか🤔?

最も有名な絵は、この季長が馬が血を流しながらも勇ましく先陣を務め斬り込んで行く姿を描いている(写真⑧)の絵です。これは学校の教科書にも載っているので誰もが見た事がある絵だと思います。これは文永の役で最も激戦とされた「鳥飼の戦い」(福岡市城南区)を描いたもので、彼がここで勝利したため、上陸した元軍は船に逃げ帰り、その後天候の不良や食料不足や疫病などがあったため元に帰って行ったと言われています。この絵の舞台とされる鳥飼の「埴安神社」(写真⑨)や「塩屋橋」(写真⑩)や「祖原公園」(写真⑥⑦)にも行ってきました。このあたりが激戦地だったようです。この(写真⑧)の絵は、松の木がある事から(写真⑨)の埴安神社での戦いの様子を描いた物だと伝わっています。つまりこの絵詞は、命がけで戦ったにもかかわらず、鎌倉幕府から何の恩賞も無かったので、業を煮やした季長は自分の活躍をアピールし、鎌倉幕府から恩賞をもらうために作ったのではないかと言われています。では本当にこれで恩賞にありつけたのでしょうか🤔?

文永の役後、彼はこの絵詞(上巻)を携え、またも借金をしてまではるばる松橋から鎌倉まで何カ月もかけて行きました。着くと服はもうボロボロで、「田舎の貧乏御家人が何を言うか!ワハハ」と活躍した武将だとは誰からも信用されず、笑い者にされ相手にもされなかったようです。しかし粘り強く通い続け、1年後にやっとの思いで恩賞奉行(安達泰盛)に目通りがかない、そこで盛泰は季長の事を唯一信じて上奏しますがかなわず、彼にはせめてと松橋の地頭職を与えました。地頭職とは今の松橋町長のようなもので、彼としては当然時宗からお褒めの言葉があり、幕府の要職にここ鎌倉で取り立ててくれるだろうと淡い夢を描いてはるばる鎌倉まで行ったのでしょうが・・・(ああ~何と惨めな季長)😩・・・日本を救ったヒーローであるにも関わらず、認められないまま松橋に戻ります。

次は居城(竹崎城)にて弘安の役からどうなったのかの話へ続きます。
 

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モト

元寇と日本の為に戦った事に感激です。 (2024/09/03 訪問)

元寇からの進行に対して工事した防塁、今は分断されて点在してます。
場所によって様々な武将が携わった跡が見られます。
今まで見た事のないような武器や兵と戦った当時の武将の思いを感じて勝手に心熱くなってしまいました。
主には西新地区、今津、生の松原と残っています。
西新地区では街中の一画に残る防塁と、その側の大学の構内にも見事に保存されています。
大学は平日に見学できるようになってます。
今津では海岸に設置された防塁を見る事ができます。
当時の防塁や迫る元寇の雰囲気がかなり鮮明に想像できます。
生の松原にも残った防塁が見れます。
それぞれが積み方などの違いでどの地域の武将が工事に携わったのかがわかるそうです。
日本を守る為に戦った当時の武将の勇気、使命感の高さを想像して感激の防塁見学でした。

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赤い城

姪浜城 福岡県福岡市 (2024/07/19 訪問)

城びと未登録城です。
元寇防塁訪問訪問の後、もう少しだけ時間があったので立ち寄りました。

元寇の後、鎌倉幕府が九州の防衛拠点として鎮西探題を置いた際に築いた城です。
鷲尾愛宕神社周辺が城趾で室見駅から徒歩で10分くらい、ただし結構な急坂を登っていきます。
この日は出張で訪れたので革靴、ちょっとしんどかったです。

まずは愛宕神社に参拝、玄界灘や福岡市内を望むことができますが、遺構らしいものはありません。
この愛宕神社は日本三大愛宕神社のひとつだそうです。

一旦降りてもう一つのピーク部にあるロープウェイ駅跡に。
こちらが主郭のようです。
ということは間にある道路が堀切なんでしょうかね?
こちらにも城の遺構らしいものは見当たりませんでした。

ただ、玄界灘を見渡せるこの場所が防衛拠点に適した場所であることは間違い無いです。

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赤い城

今回は生の松原地区のみ (2024/07/19 訪問)

出張で博多に行った際、早起きし朝駆けしました。
下山門駅から徒歩で10分弱で生の松原へ到着、石碑が立っています。
朝の光を浴びながら釣りやランニングをする人も。
時間的に暑くなる前(それでも暑いけど)の海風は気持ちよかったです。

海沿いの遊歩道を進むと復元された防塁の石垣があります。
これがその当時20kmに渡り築かれていたそうです。
元の脅威はよっぽどのものだったのでしょうね。
当時の本気度と技術力の高さが伺えます。

皆さんのレポートにもあるように他にも遺構はありますが時間なく今回はここだけ。
松林も風情があって癒されました。

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城郭情報

分類・構造 防塁
天守構造 なし
築城主 鎌倉幕府
築城年 建治2年(1276)
主な城主 鎌倉幕府九州御家人
遺構 石垣
指定文化財 国史跡(元寇防塁)
再建造物 石垣、石碑、説明板
住所 福岡県福岡市西区生の松原他(地図は生の松原元寇防塁を示す)
問い合わせ先 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課
問い合わせ先電話番号 092-711-4783