げんこうぼうるい

元寇防塁

福岡県福岡市

別名 : 石築地(いしついじ)
旧国名 : 筑前

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HKISD

元寇防塁散策 (2024/02/11 訪問)

玄界灘の波、風を感じて観た松の中にあった元寇防塁。歴史を感じました。

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しんしんちゃん

元寇防塁② オール九州大土木工事。報酬ゼロ、お疲れ様でした。 (2022/12/31 訪問)

先ほどは生の松原と地蔵松原の元寇防塁を紹介しましたので、今回は残りの3つの
元寇防塁を紹介したいと思います。
③西新元寇防塁 国指定史跡 建治2年(1276)建造
 所在地‥福岡市早良区西新7
④今津元寇防塁 国指定史跡 建治2年(1276)建造
 所在地‥福岡市西区今津
⑤今宿元寇防塁 国指定史跡 建治2年(1276)建造
 所在地‥福岡市西区今宿駅前1

 西新元寇防塁は西南学院大学体育館の南側にあり、石碑が建っているので見つけやすいのですが
 駐車場が無いので苦労します。堀を設ける形で石塁を露出しているので
 かつての遺構がそのまま展示されているのかもしれません。

 今津元寇防塁は長浜海岸の松林の中にあります。こちらも200mにわたって
 堀を設けて遺構を展示してあります。そこから先は土中に埋まったままですが
 わずかな高まりがあり表面に石が露出しています。
 工事を担当したのは日向の国と大隅の国の御家人です。

 今宿元寇防塁は道路沿いの長垂海浜公園の中にありました。
 石塁の遺構は土に覆われ、今では高さ50cmほどの土塁状の遺構が連なっていますが
 石がところどころに露出しています。
 この2kmほどの防塁は豊前の国が担当しています。

 こうしてみると工事を担当したのはすべて九州の御家人たちですね。
 薩摩からすれば周防の方が近いんじゃないかと文句をいいたくもなるでしょう。
 しんどい工事を延々続けて報酬がゼロじゃたまったものではありません。
 この日はららぽーとで実物大νガンダムの立像を見てテンションが上がりました。
 実はけっこうガンダムとかガンプラも好きなんですよ。
 雨とか猛暑で城めぐりがきついときは家でクーラーかけてこつこつ作っていたりします。
 あくまでも余談ですが。

 


 

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しんしんちゃん

元寇防塁①  生の松原と地蔵松原 (2022/12/31 訪問)

元寇防塁は鎌倉時代に博多湾一帯に元軍の襲来に備えて築かれました。
大隅国の石築地賦役文書によると田一反あたり一寸の割合で各国の御家人たちに労役が課され
鎌倉幕府が滅亡する前年まで工事は続けられたと伝わります。
かつては西は福岡市西区今津から東は福岡市東区香椎まで長さは20kmにも及んだといいます。
城びとの元寇防塁は生の松原のものですが、今回は5か所訪問しているので
一緒に紹介させていただきたいと思います。
①生の松原元寇防塁 国指定史跡  建治2(1276)建造
 所在地‥福岡市西区生の松原1
②地蔵松原元寇防塁 国指定史跡  建治2(1276)建造
 所在地‥福岡市東区筥松4

 生の松原元寇防塁は当時の防塁が再現されています。実際の防塁は地中に埋められている模様。
 この地は弘安の役の激戦地で「竹崎季長」が先駆けを務めたと伝わります。
 肥後の国の御家人が工事を担当しました。

 地蔵松原元寇防塁は現在公園になっています。国の史跡に指定されていますが
 遺構はまったく見当たりません。地中に埋められているものと思いますが
 すこし物足りなく感じますね。大正9年、平成5年と12年と3回にかけて発掘調査が行われて
 それぞれ遺構が発見されています。
 薩摩の国の御家人が工事を担当したと伝わります。


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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)1日目:元寇防塁 (2022/06/05 訪問)

小田部城からの転戦です。下山門駅➡生の松原地区石塁(33.585758、130.308483)➡小戸公園南土塁(33.590611、130.313544)➡姪浜防塁石碑と土塁(33.592676、130.322755)➡姪浜駅に向かう予定でしたが、GPS投入の順序を間違えました。
最初に小戸公園南土塁に向かってしまったことを現場について気づき、慌てて生の松原地区石塁に向かいましたが、大雨の中、姪浜防塁石碑と土塁に向かう気力はなく、下山門駅に戻りました。

1276年(建治2年)鎌倉幕府が九州の御家人に命じて築かせました。
1274年(文永11年)元によって侵攻された鎌倉幕府が、元の再侵攻に備え海岸線に石の防塁を築きました。
現在元寇防塁と呼ばれる防塁は、当時は『石築地(いしついじ)』と呼ばれていたようです。
1281年(弘安4年)に再侵攻してきた元軍は、防塁の築かれた博多湾からは上陸することができませんでした。
九州の御家人は各国ごとに割り当てられた区画があり、所領に応じて防塁を築く長さが決められていました。
生の松原の元寇防塁は肥後国の御家人が分担し、所領一町につき一尺の長さを担当したそうです。

福岡市には12か所、現行防塁が現存するようですが、自分は2か所(生の松原地区、向浜地区(小戸公園))を見学しました。
①生の松原地区:肥後国が製造を担当。当時の石塁は埋められていますが、復元されています。
②向浜地区:石塁はなく、説明板のみです。
攻城時間は移動時間も含めて35分くらいでした。次の攻城先=蔦ヶ嶽城を目指す為、電車で下山門駅から教育大前駅に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 防塁
天守構造 なし
築城主 鎌倉幕府
築城年 建治2年(1276)
主な城主 鎌倉幕府九州御家人
遺構 石垣
指定文化財 国史跡(元寇防塁)
再建造物 石垣、石碑、説明板
住所 福岡県福岡市西区生の松原他(地図は生の松原元寇防塁を示す)
問い合わせ先 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課
問い合わせ先電話番号 092-711-4783