この地は紀北地方に勢力を張った北畠の臣加藤氏が築いた山城の設けられていたところである。
最初にここに城を築いたのは、初代加藤甚左衛門で至徳元年(1384)のことであったという。
織田信長の三男で伊勢国司北畠氏の養子となった信雄に天正4年(1578)加藤五代甚五郎が
熊野征伐を命じられた。甚五郎は兵を進め一度は三木城(現鷲尾市三木浦)まで進出したが
新宮の堀内氏を中心とする熊野侍の反撃にあい敗れ、長島城へ退き、追撃してきた熊野勢を
迎え討ったが利があらず、また、赤羽谷の奥村氏の内通などもあり、ついに落城、甚五郎は
54歳を最後として自刃をとげたといわれている。(案内板より)
長島神社駐車場(20台)<34.199744,136.332061>を利用、中腹の愛宕山大権現裏から
(夏は見えない?)木段が整備された登城路で城跡まで約5分、主郭周辺は荒れていますが、
城跡碑・堀切・連続竪堀など確認できます。
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