石垣はなく土塁だけで守っていたとか。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2019/05/02 07:44
2019/05/02 06:24
立派な石垣 (2019/05/01 訪問)
続100名城に選出され、初登城。
前日までの雨のおかげで、道がぬかるんでおり、登りづらかった。古い石段、石垣が残っており、見応えたっぷり。一番上に上がると、米子市内、城下を一望。天守跡もあり、なかなかな城だったのだな、と想像される。
続100名城のスタンプは一番上の休憩所にもあるが、スタンプと御城印をまとめていただくには、市役所の向かいにある山陰歴史観に行くとよい。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2019/05/02 06:17
令和元年初日に登城 (2019/05/01 訪問)
念願の初登城、さすが国宝、立派なお城でした。
混み具合はまあまあ、令和元年初日の限定御城印で行列、私も並ぼうかと思ったら、受付終了。。。
ノーマルな御城印は一番下の観光案内所にて販売。そちらも予想外の売上で目が回るとうれしい悲鳴のようでした。
天守内はちょっとした展示、薄暗く、石落としや挟間などが見られます。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2019/05/01 23:40
令和城始め (2019/05/01 訪問)
3月に工事が終わり、リニューアルオープンした天守を見学しに、帰京前に寄りました。
エレベーター設置のための工事ということだったのですが、それだけではなくて、とてもおもしろい施設に変身していました。
バーチャルてんこ盛りなのですが、アミューズメント施設という感じではなく、楽しみながら歴史を学び、体験できるようになっています。
小倉出身の草刈正雄さんのナレーションによる小倉城シアターは必見です。真田昌幸さんの声を聞いてるみたいでした。
一階にあった休憩所と売店はなくなり、新たに「しろテラス」ができていました。
八坂神社は令和初日の御朱印を求める人たちでいっぱいでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2019/05/01 22:25
これでもかの畝状竪堀 (2019/05/01 訪問)
恒屋城保存顕彰会の皆さんが整備されている。三郭に掲げられた幟が麓から見える。一端、放置状態になった後、再度の盛り上げを図っておられると。
二つのピーク(前の城(三郭)、後ろの城(一郭、二郭))を鞍部がつなぐ。二つのピーク回りにはものすごい数の畝状竪堀が掘られている。二郭切岸下に100mを越す横堀。山城に大規模な横堀は珍しい。二郭の南西側が比較的緩斜面であることによるのだろう。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2019/05/01 22:07
2019/05/01 20:37
坤櫓の二重破風 (2019/05/01 訪問)
千鳥破風と唐破風の二重破風
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2019/05/01 20:13
2019/05/01 20:06
不思議な淀殿との繋がり (2019/05/01 訪問)
令和初日はやっぱり新幹線や特急の指定取れなかったので、普通列車で群馬県攻略に行ってきました。
以前訪問しようとして、新前橋駅で電車遅延に加えてレンタサイクルの場所がよく解らずに訪問断念した群馬総社城にリベンジです。
群馬総社駅から城域に向かう途中、川のところに総社城西木戸跡の解説と石碑があり、
更に総社城の遺構としては先にある熊谷稲荷神社の高台が土塁、更にその先にある遠見山古墳が物見櫓跡である模様。
主郭と思われる場所には何もありませんでしたが、周辺に総社城の関連するものが転在しております。
更にそこから北に向かったところに、総社城城主だった秋元氏の菩提寺・元景寺があり、そこには秋元氏のお墓および淀殿の供養塔も存在しておりました。
「大坂夏の陣の戦火の中、総社城主・秋元長朝の陣に立派な着物を着た半狂乱の女性が命乞いに現れ、その美しい姿や口調から淀君だと察し、密かに駕籠に乗せ上野国総社に連れ帰った。
幕府に対して淀君を匿っていると知れる訳にはいかず、大橋の局御縁と呼んで総社の地で暮らした。」
っていう話があり、それが淀殿の供養塔がある理由とされております。
秋元氏のお墓の横に「戌」という名の方のお墓(供養塔)がありますが、これが淀殿の供養塔とされているとの事です。
まさかそんな話があったとは・・・豊臣秀頼や真田信繁が鹿児島に逃れて生きていたとされる話に似てますね。。。また一つ勉強になりました(・∀・;)
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2019/05/01 19:57
2019-3 (2019/05/01 訪問)
令和初日に城めぐり。水戸城へ行きましたが、大手門が修理中😭
弘道館で少しお勉強。
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2019/05/01 18:32
荏田町小黒は崩壊危険地域。 (2019/04/29 訪問)
横浜、青葉区の「荏田城」に行きました。
源 義経さんに仕えた江田 広基さんの居城だったそうです。
荏田町 小黒の「小黒」は義経さんから賜った名馬の名前から付けられているそうです。
遺構は土塁や空堀があるそうなのですが、、、。
東名高速道路が近く、立ち入り禁止の看板。おまけに城跡と思われる所は崩壊危険地域になってました。
近くに行きましたがフェンスがあり、私有地のようです。
高台に竹藪。外から眺める事しかできません。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2019/05/01 18:19
2019/05/01 15:36
2019/05/01 13:15
令和最初の城巡り (2019/05/01 訪問)
国史跡3/22
築城400年で二つの櫓のどちらかが公開してます。二つ同時にに公開の時もあります。
城のホームページで確認してください。
雨が降ると中止になります。
今日は坤櫓が公開でしたが、途中雨が降り出したので3階は見れなかったです。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2019/05/01 10:05
2019/05/01 09:47
平成最後のお城旅! (2019/04/30 訪問)
平成三十一年四月三十日、『御譲位の日』。
この日は平成最後ということもあり特別な想いを抱きつつ、橿原神宮の参拝を済ませてからスタートです。
そう、今回は念願の高取城です!!
高取町へは近鉄橿原神宮前駅からマイカーで15分程。
思ってたよりかなり近い!
つまり高取城は遠く大和三山を見下ろすところにある、ということですね。
飛鳥を南下すれば、もう高取の城下となります。
土佐街道沿いにある町の観光駐車場に停めさせていただき、高取城二の門が移築されている子嶋寺にお参りしてから土佐街道の街並みや武家屋敷などを堪能しつつ、長い長いなだらかな坂道を真っ直ぐ歩きます。
土佐街道はいわゆる大手筋にあたりますが、ここからしてすでに見所満載でした!
あちこちに『最強の城 高取城』と書かれている幟が立てられているのもポイントですな。
砂防公園を過ぎると、いよいよ山道といった感じになってきました。
高取藩祖植村家政の居館跡に建つ宗泉寺を過ぎると、いよいよ高取城の城域です。
宗泉寺のあたりから登城道を登りきった先にある二の門跡に至るまで、あちこちに崩れかかった侍屋敷跡の石垣を見ることができます。
登城道も見所ですよ。当時の石段が半ば崩れた状態で残っていたり、路肩を石垣で固めていたり、定番の『七曲がり』や直線の『一升坂』など当時の道筋がほぼそのまま残っているおかけで、土木工事の力の入れ様を感じることができます。
もうすでに満足感があったりするのですが…いやいや、これからですよw
かの有名な猿石さんにご挨拶しつつ、ようやく二の門跡まで登ってくると、ここからがいよいよ城の中心部です。
累々と続く石垣とその下にある水堀。標高300mはあろうかという山の中ですよ!これは凄いというか珍しい…。
国見櫓跡の絶景も最高でしたね。その名に相応しく奈良盆地を眼下にハッキリ見下ろすことができます。気象条件が整えば大阪湾も見えるそうですよ。
崩れた石垣に心を痛めつつ千早門跡(←個人的にはここもオススメポイント)を過ぎると大手門跡です。
さすが大手門、石材の一つ一つに大きいものを使用しているだけあって表玄関に相応しい威容を感じます。
ていうか、千早門跡からもうすでに圧倒されっぱなしなんですけど…。
そして、天守台の石垣を見るともうテンションはもうピーク!
二の丸新櫓跡や太鼓櫓跡の石垣、本丸虎口や水の手曲輪『七つ井戸』周辺の石垣なども凄い!
気づけば、「ヤバい、これはヤバい…」「うわー、めっちゃえぇ…」と独り言ダダ漏れの私がいました。
端から見たら危ない人になってるかもしれませんゴメンナサイw
もう鳥肌モノというか、文字通りの『高取山全体が要塞』だということを十分すぎるぐらいに実感しました。
よくこれだけ総石垣の城を人力で造ったな…。
てか、天誅組もよくこの城を攻めようと考えたな…落とせるのか?
ココ、本当に凄い…。
また、木々の中に佇む石垣群を見て、かの司馬遼太郎氏がアンコールワットに例えたことも頷けます。
但馬の竹田城とはまた違った風情がありますね。
この後、壺坂口門跡から出て徒歩で壺坂寺に御参りしてフィニッシュとしました。
城下町からゆっくり登って本丸まで約2時間程、壺坂口門跡から壺坂寺まで約1時間程、壺坂寺から城下町に戻るまで約40分程でしょうか。
平成最後にかなり充実した一日を過ごせました。
最後に、まだ行ったことのない方へ。
かなり時間に余裕を持たせ、かなり体力を使いますので、水分補給とペース配分には十分気をつけて臨まれると良いと思いますよ。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2019/05/01 08:25
整備? (2019/04/28 訪問)
本州最北端の山城。武田の城かと思うような見事な横堀がめぐる。ただ、本丸の裏手は伐採され、トラックの山道になってた。整備?破壊?
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2019/05/01 05:49
2019/05/01 01:07
400年前の姿を今も遺す土の城 (2019/04/02 訪問)
享徳の乱(1454~83年)に端を発する内訌を経て本宗家が滅亡、一族の岩橋輔胤が千葉氏を継承し、本佐倉城を築城、本拠を移します。
印旛沼に接する標高約36m の半島状台地に築かれた城は、三方を湿地帯に囲まれた要害で家臣団の屋敷などに利用された外郭群と城主のための御殿や倉庫、馬場など含む内郭群に分かれ、城域として東西約700m 、南北約800mと大規模な連郭式平山城です。郭の一つ一つがとても広く大きい印象で土塁や空堀で区画されています。
続100名城のスタンプは、最寄り駅の京成本線大佐倉駅と酒々井町中央公民館の二ヶ所、本佐倉城の散策マップやパンフレットが欲しい方は、中央公民館が充実しています。(城址から1.5km 強離れていると思います) この散策マップを利用すると内郭群をくまなく廻ることが出来ます。約1時間程歩く、ちょっとしたハイキングになります。
400年前の縄張りがそのまま残る、貴重な城跡です。遺構も数多く、景観も素晴らしく、満足できますよ。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2019/04/30 23:59
【平成27年】震災を越えて (2015/05/18 訪問)
福島県の小高城を訪問した2015年5月、小高城のある福島県南相馬市小高区は、東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示解除準備区域に指定されており、住人でも宿泊が許可されておらず、半日しか滞在ができませんでした。
※平成28年7月12日午前0時をもって帰還困難区域を除く避難指示区域が解除されています。
原発事故があった時に、「人は避難できるけど、墓に入っている相馬の殿様は避難できないよな・・・相馬の殿様が放射能を浴びたまんまで可哀想だな。」と、事故以来ずっと気になっていました。
城址は除染作業中で、除染作業の廃棄物が城址である相馬小高神社内に置かれたりしていて、まだまだ痛々しい姿でしたが、半日しか滞在できないにも関わらず、神社には地元の方が何名か参拝に訪れていて、小高区の心の拠り所でもあるのだなと実感しました。
また、城から1km離れた相馬氏の菩提寺である同慶寺にも訪れることができ、相馬の殿様のお参りも無事に済ますことができました。震災で被害を受けた同慶寺を地元の方が壊れた墓石の撤去・改修・掃除等をする写真を見せて頂き、その義の姿が眩しかったです。
平成は平和な時代でしたが、いろいろな天災で城址に行けなくなることもありました。日本は震災の多い宿命の国ですが、災害で被害を受けた城も、また新しい時代に復活した姿を見に訪れたいです。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。