吉田城は牧野古白の今橋城築城以来、幾度となく争奪戦が行われましたが、徳川家康が今川方を攻め吉田城を攻略し、酒井忠次を吉田城主に置きました。酒井忠次は吉田城を改築したことが、発掘調査で分かっているそうです。
徳川家康関東移封後は、羽柴秀吉の配下である池田輝政が15万2千石で吉田城主となり、吉田城を石高に見合う大城郭に改造し、遺構には鉄櫓下の石垣があり、当時としては最新の技術で積まれた石垣は織豊系城郭の象徴的な存在です。
吉田城址は、東西1400m、南北600m総面積84万㎡にも及びます。近世吉田城は本丸と二の丸に御殿が造られ、三の丸に御城米蔵、馬場等の施設が造られた。三の丸の外側を家臣団の屋敷が取り囲み、さらにその外側を大きく堀が取り囲んでいる。西側の豊川を境に半輪郭式の大城郭です。
吉田城は豊橋駅から徒歩15分程の好立地にある城郭で40台~50台程の無料駐車場も完備されており、地元住民の憩いの公園となっています。私も地元ということもあり、続100名城に選定される以前から幾度となく足を運んで石垣の刻印などを探して楽しんでいます。
残念なのは、裏御門の石垣が崩落の危険があるということで、柵がされており裏御門に通じる橋が通行止めになっていて、裏御門から本丸に入ることが出来なくなっています。
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