いじじょう/いちじょう

伊治城

宮城県栗原市


旧国名 : 陸奥

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城址案内看板 栗原市は2005年合併
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ぎりょう

伊治公呰麻呂の乱の舞台を訪ねて (2024/09/16 訪問)

天候不順の三連休でしたが晴れ間をみてお隣栗原市にある伊治城跡を訪問しました。阿弖流為の時代に興味を感じて始めた征夷政策の拠点古代城柵官衙の訪問四ヵ所目です。伊治城は宮城県北栗原市の一迫、二迫の二つの河川に挟まれた河岸段丘に築かれ、胆沢築城前は多賀城の前線基地として重要な拠点でした。南北約900m、東西700mの規模で、政庁跡と北側の外郭跡の土塁が残っています。
これまでも何度か訪れたことがあるのですが、蝦夷と朝廷の三十八年争乱では、宝亀11年(780)に「伊治公呰麻呂の乱」の舞台となった場所と知って再訪しました。
栗原市築館の街中を国道4号線を北進、城生野峯岸で左折すると間もなく政庁跡や北の外郭跡に着きます。政庁跡はかつて広々としており古代城柵のイメージがありましたが、近年は住宅が建ち並び、遺跡というより広い空地にしか見えなくなりました。説明板もかなり以前からあるものです。現状が遺跡として判りにくくなっており、全体のイメージが理解できるようビジュアルなものにしてもらいたいと感じました。

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小城小次郎

「風の陣」クライマックスシーンの舞台となった古代城柵 (2022/09/25 訪問)

陸奥按察使の紀広純が蝦夷出身の伊治呰麻呂(あざまろ)に討ち取られるという大事件(宝亀の乱)の舞台であり、それは同時に高橋克彦「風の陣」におけるクライマックスシーンの舞台でもある。それだけでももう感動もの。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

岩切館から県道36号で北西に進み、国道4号に入り北上すると、国道の脇に伊治城址の解説板が建っています。城というより古代城柵とのことです。

解説板のある道に入り、しばらく奥に進むと築館町出土文化財管理センターがあり、そこに土塁が残っています。また、近くの照明寺にも解説板が設置されています。

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カズサン

古代城柵は国道4号線沿いにひっそりと (2016/10/04 訪問)

 鶴丸城を終えて国道4号線に出て南下し道沿いに在る伊治城遺跡と案内看板を見るがただ広い野原を見るだけ、ここが阿弖流為との抗争の場所なのかと思考するが頭に浮かばず、近くの築館町出土文化財管理センターを訪ねて勉強と内部見学、立派な資料を頂く。
 センターは伊治城政庁を復元した様な建物、柱が朱で趣が在る。
 伊治城は多賀城と胆沢城の中間に当たり阿弖流為抗争時代は多賀城の最前線基地、以降胆沢城、志波城が築城され陸奥奥深く律令国家版図に成って行く。宮城県岩手県秋田県山形県は古代城柵の宝庫です。

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城郭情報

分類・構造 古代城柵
天守構造 なし
築城主 田中多太麻呂
築城年 神護景雲元年(767)
主な城主 伊治呰麻呂
遺構 土塁、掘立柱建物跡、竪穴住居跡、塀跡
指定文化財 国史跡(伊治城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 宮城県栗原市築館字城生野大堀、唐崎要害他
問い合わせ先 栗原市教育委員会教育部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0228-42-3515