天候不順の三連休でしたが晴れ間をみてお隣栗原市にある伊治城跡を訪問しました。阿弖流為の時代に興味を感じて始めた征夷政策の拠点古代城柵官衙の訪問四ヵ所目です。伊治城は宮城県北栗原市の一迫、二迫の二つの河川に挟まれた河岸段丘に築かれ、胆沢築城前は多賀城の前線基地として重要な拠点でした。南北約900m、東西700mの規模で、政庁跡と北側の外郭跡の土塁が残っています。
これまでも何度か訪れたことがあるのですが、蝦夷と朝廷の三十八年争乱では、宝亀11年(780)に「伊治公呰麻呂の乱」の舞台となった場所と知って再訪しました。
栗原市築館の街中を国道4号線を北進、城生野峯岸で左折すると間もなく政庁跡や北の外郭跡に着きます。政庁跡はかつて広々としており古代城柵のイメージがありましたが、近年は住宅が建ち並び、遺跡というより広い空地にしか見えなくなりました。説明板もかなり以前からあるものです。現状が遺跡として判りにくくなっており、全体のイメージが理解できるようビジュアルなものにしてもらいたいと感じました。
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