九戸城は南部氏の一族である九戸氏の城でした。九戸氏は南部氏族内の総領家争いに敗れ、田子(石川)信直が三戸南部氏を継ぎ豊臣秀吉の朱印状によって南部氏の他の一族は三戸南部氏の「家臣」もしくは「家中」として組み込まれてしまいました。
九戸氏は不満を募らせ、秀吉の小田原征伐により南部信直が奥州を留守にした隙を突いて挙兵し、これが「九戸政実の乱」の始まりとなりました。
九戸政実の乱は奥州仕置軍の到着により政実の一族の死を以て終結します。その後九戸城は蒲生氏郷により改修され南部宗家の本城となったそうです。慶長2年に森岡城が完成すると南部氏は森岡城に移り、寛永13年(1636)に九戸城は廃城となったそうです。
こんな縁起の悪い城に南部氏が本拠を移した理由はわかりませんが、広い城域を持つ立派な城であることは間違いありません。この日は二の丸、本丸を周遊して若狭館跡まで足を延ばしております。
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