続日本100名城

くのへじょう

九戸城

岩手県二戸市

別名 : 福岡城、宮野城、白鳥城
旧国名 : 陸奥

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九戸城
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トベシュン

2020 東北城巡り (2020/11/07 訪問)

二泊三日東北城巡り、初日は岩手の城をめぐりしました。

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ぎりょう

戦国時代の最終戦 九戸政実公の居城を歩く (2021/07/23 訪問)

先般、地元栗原市の鶴丸城を投稿した際、帰り道に九戸政実首級清めの池があった。日本戦国時代の最終戦「九戸一揆」において奥州再仕置き軍6万をわずか5千の兵で迎え撃ち、難攻不落の城に苦戦した鎮圧軍は謀略を巡らせ、政実に家来・婦女子の助命と引き換えに開城を勧め、開門するや城内に放火、城内の者を撫で斬りにした。政実以下重臣7名が仕置き軍総大将豊臣秀次の本陣三ノ迫(宮城県栗原市)に護送されそこで斬首された。
これは九戸城跡を見に行かねばならぬとの思いが募り、7月の4連休2日目の早朝、東北自動車道を北上していた。八戸自動車道一戸ICで高速を降り二戸市を目指し午前10時に九戸城跡ガイドハウスに到着できた。そこで九戸城跡案内図(周辺地図に城の鳥瞰図、一揆の際に攻城軍が陣取った方角を記載したものでなかなか見やすい)を頂いて攻城を開始する。
ガイドハウスの有る旧三ノ丸跡地から城内に。本丸の切岸を西から北に廻り、二ノ丸と石沢館(外館)の間の堀切を通り二ノ丸搦手門跡から二ノ丸へ。夏場とあって草深く外曲輪のイメージがつかめない。城は九戸一揆終結後に蒲生氏郷により本丸南側、東側に石垣を伴った直線的な堀や、食違い虎口に改修され、南部信直が福岡城と改名して、寛永10年(1633)の盛岡城築城まで本拠地としたという。
九戸一揆時代の中世城館のイメージは西方に位置する石沢館や若狭館、二ノ丸南側の切岸、深田堀などに見ることができる。本丸、二ノ丸、他これまで数度にわたり発掘調査がされており、今後さらに観やすく整備されることと思う。
ガイドハウスのある九戸城エントランス広場に駐車可能。

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昌官忠

東北遠征・続100名城制覇 (2020/07/03 訪問)

エントランス場(40.2685258、141.3022403)に駐車し攻城。本丸の石垣、本丸北辺の断崖(写真投稿しましたが、アングルが悪く、断崖に見えなくてすみません)と周囲を囲む堀、石沢館と二の丸間の堀など見ごたえ十分です。パンフレットも置いてありますので参考にして回られるといいと思います。攻城時間は55分位でした。ちなみに、続100名城スタンプは二戸市埋蔵文化財センター(40.262869、141.295183)にあります。

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カズサン

南部氏城廻りⅡ、九戸政実の乱で有名 (2015/05/25 訪問)

 平成27年5月南部氏の城廻り第二弾、三戸城を終えてレンタカーで国道4号線を南下天気も良く新緑、アカシアの満開大変気分の良いドライブでした、二戸なのに九戸城か?と思いながら町中に入り二戸郵便局辻から東入り九戸城へ案内看板在り。
 車は二の丸駐車場へ、側にプレハブの資料館在り説明を聞きパンフレットゲット(現在は新しく城西麓に資料館と駐車場完備)
 早速城内探訪、事前情報、写真で九戸城本丸の高石垣、蒲生氏郷の改修と脳内認知していましたが現地は本丸石垣は草に覆われ高さもそれ程で無く成程こうなんだと確認、でも素晴らしい造りです本丸、二の丸、二の丸西、南の河岸段丘の絶壁は絶大な切岸、まだ探訪時は続100名城選定2年前、大変見応えの有る素晴らしい城郭です。

 九戸城は九戸政実の乱で有名で南部氏宗家の相続問題から九戸政実などが異を唱え南部氏では収拾が付かず奥州仕置き後でも有り秀吉の介入により奥州再仕置きで九戸政実の乱は鎮圧さて、九戸城は蒲生氏郷に改修され三戸南部宗家に引き渡された、宗家は三戸城から九戸城に移り後領地の北端により中心地の盛岡城に総石垣造りの城郭に移転、九戸城は廃城に成った。

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城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 明応年間(1492〜1501)
築城者 九戸氏
主要城主 九戸氏、南部氏
文化財史跡区分 国史跡(九戸城跡)
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
住所 岩手県二戸市福岡城ノ内
問い合わせ先 二戸市観光協会
問い合わせ先電話番号 0195-23-3641