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のん

無料のボランティアガイドさんいます (2017/01/20 訪問)

憧れの大坂城へ行きました!
無料のボランティアガイドさんがいて、申し込むと1時間ほど歩きながらさまざまな箇所を説明してくれます。
自分だけで歩くよりより魅力的になり、楽しい時間となりました。
石垣の大きさ美しさは圧巻!しかし秀吉時代の黒の天守閣が見たいなあ。太閤さん時代のお城復活を望みたいですね。
天守閣内は混雑しており、じっくり見たい私にとってははちょっと大変でした。
秀吉の直筆の手紙などは、どんな気持ちで書いていたのかなどと想像してうっとり。感動しました!

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チョイワルオヤジ

石垣の膨らみが・・・ (2019/05/24 訪問)

歴史を感じさせる本丸表門(現存)。
自衛隊敷地内にあるため内部には入れませんが、
海鼠壁と白漆喰塗壁にT字型の屋根をもつ三階櫓も美しい。
「敵の方向感覚を惑わすためのT字型屋根」という事ですが???
本丸表門左右に切込接布積の美しい石垣が続いているのですが、
表門左側の石垣の一部が大きく膨れあがっているように見えたのが気になりました。
内部崩壊から石垣が崩れるような現象でなければよいのですが・・・
表門ではボランティアガイドさんが藩主溝口氏についてわかりやすく説明してくれました。
ありがとうございます。
本丸から徒歩15分ほどのところに「足軽長屋(現存)」があります。昭和40年代まで人が生活していたという長屋です。
内部にも見れますので、当時の生活を想像しながら見学するのも楽しいです。

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あお

工事中、気をつけて!! (2019/05/19 訪問)

山中城とセットで登城。
やはり名護屋城と似ているなーと思いながらまわりました。
石垣はもちろんのこと、眺めもとても良く、小田原城が
見えたときはちょっと感激でした。

Web情報では24時間スタンプが押せそうな記載がありますが、
時間外はスタンプ台が回収され、不可ですのでご注意ください。
私が6時に到着したときにはありませんでしたが、掃除の方が
早めに置いて頂いたようで、7時30分頃には設置されていました。

また、現在保全工事中で2019年9月10日まで井戸曲輪、展望台は
見学できないためご注意ください。

以前箱根を訪れた際も翌週から大涌谷が立ち入り禁止になったのですが、
奇しくもこの日深夜から大涌谷が立ち入り禁止に。
毎回変なタイミングで訪れているみたいです。

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のん

小川城を愛する人々との出会い (2019/05/18 訪問)

真田三名城ウォーキングの一環で訪れました。沼田城→名胡桃城→小川城とバス移動も含め10キロ歩いた最後に小川城跡へ。
堀や土塁石積みなどが残っています。堀は草刈りがしてあり、見やすいです。
名胡桃城が注目される今、小川城も歴史の中で重要なお城だったこと、真田ゆかりの城でもあるという自負がある小川城保存会の方々が、自分たちで作ったチラシやパンフレットを配布しながら、熱く歴史を語ってくださいました。
武田信玄と長尾景虎が戦っていた時代、小川城、名胡桃城か明徳寺城の三城の三角地域は、利根川、赤谷川を挟んだ大きな谷、そして街道があり重要な拠点だったとのこと。最後の沼田城主真田信利が、沼田城主になるまで住んでいたが、その後空き城となった。
城跡は上越新幹線の建設残土で、小川城の前後の沢を埋め立てたこと、また新幹線の駅に繋がるバイパス道路は二の丸を横断し二の丸の堀も埋め立てられてしまった。
そんなことを語ってくださいました。
今は本丸とささ郭だけが残っていますが、畑の中に二の丸跡という看板が立ててあるなど、小川城を誇りに思って後世に残していきたいことが伝わってきました。
ありがとうございました。
トイレや休憩所はありませんが、すぐ近くに大きな公園があり、そちらで売店、トイレなどあります。また、その途中に縄文時代の遺跡もありました。

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のん

大地のへりに建つ名城 城下町巡りも楽しい (2019/05/18 訪問)

真田三名城ウォーキングで訪れました。
行く時は沼田駅から是非歩くことをお勧めします。かなりの急坂を登って行かねばならず、(滝坂と書いてありました)いかに沼田城が急な断崖に建っているかを実感できます。
ゴールデンウィークにみなかみ町にラフティングに行った後、息子と少し寄ったのですが、2週間後イベントに参加、再訪しました。天気も快晴、最高の日でした。

今は野球場になっている二の丸からは赤城山が見え、捨曲輪からは赤城山や他の山々が美しく見えます。
乾櫓の石垣や石段が残っていて、そこは見応えがあります。その他は城址公園として整備されてます。

個人的にはお城の裏手にあたる断崖に興味をそそられ、歩いてみようと回ってみたら、50メートルほどの深ーい深ーい沢になっており、下の道に行き着かず断念。とてもこちら側からは登って来られないようになっています。後で地図をきちんと見たら、城址公園入り口から左に降りていくと、断崖の下から見上げられる場所に行けるようです。

今回はイベントだったため地元の方があちこちに立ち、沼田城のエピソード、天守閣、堀などについて語ってくれました。
天守閣は確証はありませんが、五層の絵が残ってて、もしかしたら立派な五層天守閣だったかもしれないそう。
最近の発掘で金箔を貼った瓦も出土。金箔を貼ったものは豊臣側の城にしかなく、沼田城は豊臣側だったという証拠だそうです。
また、真田信之は名城主だったようで、全国で3番目(4番目という方も)に用水路を引き、高台にあった沼田城下の発展に尽くしたとのこと。今でもその用水路には水が流れており、町の中を流れています。

ウオーキングの中で最近オープンしたばかりの沼田歴史資料館も行きました。城下町の様子がミニチュアで再現されていたり、床全面に城下町図があったり、なかなか趣向を凝らしたものでした。
城下町地図や城絵図がクリアファイルになっていて、購入〜やった!
ほかに小松姫、信之の息子信吉のお墓なども巡りました。どのお墓にも六文銭が刻印されていました。小学校の門に沼田城の大手門が残っていたりと、町全体に城下町の名残りが見受けられます。時間があれば、是非町も歩くと良いかと思います。

また、城のスタンプラリーもやりました。城址公園内の案内所でハガキを購入し、城下町の商店街5箇所を周り版画のようにスタンプを重ねていくと沼田城が出来上がるというもの。(ゴールデンウィークの間だけはハガキ代が無料でした。)とっても美しく仕上がりました。

また、スタンプラリーの一つ、樫の木という洋菓子屋さんのバームクーヘンがしっとりしてて、卵の味がしっかりあり、最高に美味しかったです。

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ぴーかる

月山富田城 (2018/07/14 訪問)

【百名城31城目】
<駐車場他>道の駅 山中御殿北側に無料駐車場あり。 <交通手段>車

<見所>堀尾吉晴の御墓・山中鹿介銅像・山中御殿・本丸・二の丸・三の丸

<感想>1泊2日山陰攻城の旅2城目。まず資料館でスタンプ・御城印購入・館見学をする。資料館はあまり城に関する見所あるものはない。館ではガイドマップや資料をもらうと良いです。あまり事前に縄張りや見所を調べずに行ったので、ガイドマップを見て堀尾吉晴の御墓が松江にあるのじゃなくここにあることに驚く。調べない時現地でこういう発見があるのも面白さの一つで好きである。山中御殿近くの駐車場に停め攻城する。典型的な山城で山中御殿より北側が下の城本丸以下の月山部分が詰めの城という縄張りだった。登山道の七曲りがコンクリ整備されていて登り易かった。いろんな方々の数年前の写真では無かったので、整備前に登城した方は大変だったろうと思った。山頂部もなかなか見応えがあった。

<満足度>★★★☆☆

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シロマサ

法事の帰りに軽装で立ち寄りました。 (2019/05/25 訪問)

常行院(加西市山下町1130)
常行院の隣に広い駐車場があります。
謎だらけの城主浦上久松氏
駐車場横の遊歩道から直ぐ登城口。
良く整備されていて登り易かったです。夾竹桃の植樹もあります。
途中水の溜まり場、井戸の跡。本丸に東屋の休憩個所があります。
本丸の眺め南、西良好です。
多用広場からの側道は竹藪で深い堀続いてます。
麓まで降りて本丸の案内板から推測した大手口を確認。
常行院へ向かう三叉路の両側に山下城の標識あります。


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くろもり

将軍が避難する城 (2015/03/28 訪問)

豊臣政権下では、徳川家康の抑えの城として。江戸時代には、江戸城の将軍家に有事の際は、将軍は江戸城の半蔵門から甲州街道を通ってこの甲府城に避難するよう計画されていたそうなので、石垣をはじめ立派な造りの城でした。

線路で城跡が分断されているのは残念ですが、線路の南側は舞鶴城公園として整備されており、一条小山の山頂に築かれた天守台はかなりの高さがあり城下を一望できました。また、北側に復元されている山手御門の復元も素晴らしかったです。

個人的には稲荷櫓を北側の下の道から見ると、石垣も高さがあり迫力がありました。ただ、石垣の前が堀ではなく車道です(写真9枚目)。

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Touch

意表を突かれる古城 (2019/04/29 訪問)

観光案内所のおば様に、高天神城の資料をもらおうと思ったら、是非訪ねてみてと、勧められた城。その規模にビックリ。丸石垣が目新しく、訪ねて良かった古城。

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Touch

ひっそり感がある出世城 (2019/04/29 訪問)

駐車場から天守へ行く間に、和風のスタバが建っていて賑わっていた。天守内部は、展示室になっていて、浜松城の歴史を知ることが出来る。天守石垣周りは見晴らしが良く、市内中心を見渡せる。

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Touch

儚き大規模石垣が残る山城 (2019/04/30 訪問)

雨中の登城だったが、その苦労を吹き飛ばすくらいインパクトのある廃城。こんな大規模な石垣が残骸として残っているとは想像もつかなかった。

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Touch

山城のお手本 (2019/04/30 訪問)

2019年のGWに初登城。残念ながらの大雨でしたが、その規模と言い、縄張りと言い、山城のお手本のようなお城。
石垣の無い、土塁の城としては最高の城跡じゃないでしょうか。

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オイラー

松代城登城 (2019/03/10 訪問)

百名城72城目

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オイラー

上田城登城 (2019/03/10 訪問)

百名城73城目

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オイラー

小諸城登城 (2019/03/10 訪問)

百名城74城目

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コシャマイン (2019/05/25 訪問)

  コシャマインにより陥落したと伝わっています。海が近い整備された館跡です。

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天候に恵まれて (2019/05/24 訪問)

 勝山館跡ガイダンス施設から、降りて行って旧笹浪家近くの登城口へ出て来ました。夷王山の中腹にあり両側を宮ノ沢と寺ノ沢に守られた場所に築かれ南北は堀切で守まれています。整備されていて歩きやすい城址でした。この地域は石器や縄文土器なども発見され20000年前から人が住んでいたとのことですが、昔はどんな街だったのでしょうか。

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あつ

奇跡の河岸段丘と真田石 (2019/05/25 訪問)

上田城跡駐車場でまず目に飛び込んだのが圧巻の河岸段丘。その上にそびえ立つ南櫓と西櫓は奇跡としか言いようがない。綺麗に植えられた花や真田カラーの赤が至る所で目に入るのでカラフルな写真が撮れるのもうれしかったです。
隣接する上田市立博物館では上田城城主の歴史や真田昌幸、信之、幸村親子のストーリーが学べて、上田城訪問が何倍も有意義なものになりました。
勝守りの真田神社には勝負事のお守りが多くありました。
土曜日の昼過ぎに行ったのですが、無料の上田城跡駐車場はずっと満車なので、有料ですが広い上田城跡北観光駐車場の方が空いてて良いです。
5月ではあるものの、夏日の暑い日だったので、二の丸堀のケヤキ並木遊歩道が涼しくて快適でした。昭和2年から47年まで鉄道が通っていたようで、プラットホーム跡やトンネルなど面白い見所もありました。
公園として散歩や遊びに来ている人も多く、上手く街に溶け込んだ親近感のわく名城だと思いました。

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イオ

難攻不落の名城 (2019/05/05 訪問)

三ノ丸の駐輪場に自転車を駐め、二ノ丸を抜け廊下橋を渡って本丸帯郭へ。開場時間に間に合うよう天守に直行しましたが、入場券販売場には開場10分前で20人程度の行列。これなら問題ありません。待つほどもなく天守に入城です。

天守台の塩蔵を抜けて上った天守内は郷土博物館になっており、この日は白虎隊の企画展が開催されていましたが、隊士それぞれの肖像画や遺品には、物語でなく一人ひとりがこの会津に生きていたことを感じ、何とも言えない思いになりました…。
常設展もなかなか充実しており、中でも「会津ゆかりの先人たち」のフロアは、大河ドラマ「八重の桜」で馴染みのある人も多いものの、今まで知らずにいた人もまた多く、藩校日新館の存在を下地として「朝敵」の汚名を雪ぐという強い意志があったからこそ、明治以降これほど各方面で活躍した人が多いのだろうか、などと考えさせられました。
そして、最上階の展望台からは「あの辺りが飯盛山かな」とか、「あの山から新政府軍の砲撃を受けたのか」とか、往時に思いを馳せながらの眺望でした。

さて、天守を下りて、木造復元された南走長屋と干飯櫓を見学して外に出ると、本丸を囲む内堀沿いの石垣の上を歩けるようなので、月見櫓跡、茶壺櫓跡と辿って廊下橋門まで。本丸に下りて、御三階跡や本丸御殿跡を見た後、鉄門から帯郭へ。帯郭では、上杉謙信公仮廟所跡や鐘撞堂、武者走りなどを見て回り、西出丸と北出丸、そして二ノ丸の伏兵郭をそれぞれ一周して、駐輪場に戻りました。

会津若松城は本丸を北出丸、西出丸、二ノ丸の3つの曲輪で守る縄張になっていますが、内堀沿いの石垣の上を歩いていると、随所で向かいの曲輪の様子を見渡すことができ、特に北出丸などは、いたるところから狙い撃つことができる作りになっていることがよくわかります。近代兵器を用いた戊辰戦争においても、開城はしても最後まで落城しなかったというのも納得です。そして、何と言っても赤瓦に葺き替えられた天守は勇壮にして優美。まさに天下の名城ですね。
 

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イオ

会津史跡めぐり (2019/05/05 訪問)

宿の近くの温泉施設で疲れを癒し、翌朝、目覚めたのは6時前。ぐっすり眠れたので疲れも眠気もなく体調万全。ホテルの駐車場は、チェックアウト後も次のチェックイン時間までなら引き続き駐車可とのことなので、ホテルのレンタサイクル(無料)を借り、会津若松の史跡めぐりに出発です!

会津若松城までの道中、まず訪れたのは髙巌寺北隣の蒲生忠郷公墓所と興徳寺北隣の蒲生氏郷公墓所。現在に続く会津若松の礎を築いたとして、今なお慕われていることがよくわかります。
続いては、会津若松城の外堀跡の史跡へ。甲賀町口門跡は大手門にあたる門だけに立派な石垣が残っています。東部の天寧寺町には住宅地の一区画分の規模の土塁が現存し、南部の南町口には外堀の名残の水路と橋脚の礎石があります。三ノ丸の堀跡を見たあたりで8時過ぎになったので、三ノ丸の駐輪場に自転車を駐めて城内へ(城内編は次の投稿で)。

城内をひととおり散策した後は、また周辺の史跡めぐりを再開しましたが、会津は東北と関東を結ぶ交通の要衝であり戦略上の要地だったことから、葦名にはじまり、伊達、蒲生、上杉、加藤、保科・松平と蒼々たる顔ぶれがこの地を治めており、それぞれに由来する史跡があちこちにあって、一日かけてもとてもめぐりきれそうにありません。

とりあえず、城周辺で会津藩校日新館の天文台跡、山鹿素行(後に赤穂藩に仕え、赤穂浪士の生みの親とされる)の生誕地、上杉時代の直江兼続屋敷跡、大河ドラマで有名になった新島八重と山本覚馬の生誕地(三ノ丸には新島八重の像も)、一族自刃の悲劇の地となった西郷頼母邸阯などをめぐり、自転車を返却して、車で白虎隊自刃の飯盛山や、法界寺(会津坂下町)の中野竹子の墓所などをめぐりました。

今回の福島行は、城めぐりに加えて戊辰戦争の史跡を辿るというのが主な目的ですが、棚倉城も白河小峰城も戦場となり、二本松藩では二本松少年隊、会津藩では白虎隊はもとより西郷頼母邸や中野竹子ら娘子隊の悲劇があり、いち早く新政府軍に降伏して戦火を避けた三春藩においても、奥羽越列藩同盟に出向いていた4名の藩士が裏切り者として殺害される(三春城本丸に慰霊碑あり)など、戦争の惨禍を見せつけられるようで、改めて平和な時代のありがたさを考えさせられました。
 

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