伊豆國稲取には松平土左守・山内忠義が切り出した江戸城築城用の角石(城郭の角に使用する大型の築城石)が民家門前やお寺の境内、神社の忠魂碑礎石、山中に四百年の刻を経て存在しています。山内忠義は山内一豊に続き二代目の土佐藩主として江戸城改修の公儀普請に参加しています。山内忠義は土佐藩主二代目として朝廷に申し出たのですが「土佐」を「土左」と記載され、土佐藩第二代藩主のみ松平土左守と記されているのです。伊豆國稲取に残る土佐藩切出し角石に刻まれている銘文は「進上(御進上) 松平土左守」、つまり土左藩第二代藩主・山内忠義であることが明確になっているのです。
写真一枚目は栗田家門前角石、「御進上 松平土左守 十内」と刻まれています。この角石の文字刻印により山内忠義切出し角石が伊豆國稲取に十個存在していたとされますが、現在目視確認出来るのは七個です。二枚目は一枚目同様、栗田家門前の角石で「進上 松平土左守」の文字刻印。三枚目は国道135号線下の竹藪内に埋没している角石で文字刻印は「進上 松平土左守」。四枚目は民家石垣下から発見され東伊豆町庁舎に展示されている角石、文字刻印は「進上 松平土左守」。五枚目は稲取八幡神社境内の戦没者忠魂碑に使用されている角石で文字刻印は「進上 松平土左守」。六枚目は稲取吉祥寺より発掘され、境内に鎮座する角石です。文字刻印はありませんが小口には山内家の代表紋とされる「柏一様」の刻印が刻まれています。七枚目は愛宕山山中に残された角石。以前、二柱が並んで鎮座していたのですが一つは造園業者によって砕かれてしまいました。二つ目を砕く際、小口に「進上 松平土左守」の文字が見つかり、粉砕は免れたのです。
他江戸城築城石の情報はhttps://www.edojyo.tokyo/
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