勝連按司を凌ぐ勢力を誇った安慶名按司の本拠地は、中山王・尚氏の琉球統一過程をも大いに苦しめた。森と岩と石垣とが混然一体となった独特の景観が、このグスクを強烈に印象付ける。
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2019/06/10 21:21
安慶名城
勝連按司を凌ぐ勢力を誇った安慶名按司の本拠地は、中山王・尚氏の琉球統一過程をも大いに苦しめた。森と岩と石垣とが混然一体となった独特の景観が、このグスクを強烈に印象付ける。
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2019/06/10 20:33
摂州郡山城 (2018/01/28 訪問)
その場所については、二説あるようですね。案内板があるのは少年院の所(上記の住所)。ですが、『茨木の史跡』(茨木市教育委員会)には池の向こう側である茨木市郡山2丁目、正現寺の辺りと記されています。『図説 日本の城郭シリーズ② 大阪府中世城館事典』(戎光祥出版 中西裕樹著)でも、郡山寺内町をこの地とし、寺内町の一角に城があったとしています
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2019/06/10 20:22
2019/06/10 19:14
2019/06/10 19:03
案外良かった (2019/06/10 訪問)
遺構も残っているようです。
案外良かったです。
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2019/06/10 17:26
彦根城博物館 (2019/05/27 訪問)
(続き)
気を取り直して西の丸へ。以前は非公開だった(はずの)西の丸三階櫓に入ってみると、大堀切を隔てた出曲輪と虎口が見渡せ、大手側の天秤櫓と同様に搦手側を守る拠点であることを実感します。また、三階まで上ることができるのも嬉しいところ。
さて、西の丸を出て山崎山道を下り、山崎曲輪から梅林を経て大手門側に行くか、楽々園や玄宮園に行くか迷いましたが、時間の都合もあり楽々園へ。槻御殿を見学し、玄宮園から天守を仰ぎ(足場…)、彦根城博物館に向かいます。
今回はひこにゃんからの年賀状の招待券による登城でしたが、前回は行かなかった彦根城博物館にも入館できるようなので、見学してみました。館内には井伊の赤備えで知られる具足や武具をはじめ、能面や能装束、茶道具、雅楽器、書画、古文書など、譜代大名筆頭・井伊家に伝わる名品の数々が展示されていますが、中でも目を引いたのは、関ヶ原の戦いで使用されたと伝わる朱地に金の井桁紋が鮮やかな旗印で、さすがに展示品はレプリカだろうと思いきや本物とのことで、決死の敵中突破を図る島津義弘に追いすがる井伊直政のもとにこの旗が翻っていたのか…と想像すると、映画や大河ドラマで見るようなシーンが脳裏に浮かび、身震いするような感動を覚えました。
また、博物館内には能舞台が移築復元され、客席も設けられていて、能の公演も行われているんだとか。さらにその奥には、表御殿の奥向が発掘調査と資料に基づいて木造復元されており、普通の博物館としか考えていなかった私にとって思い掛けないことばかりで、大変興味深く見学することができました。
彦根城博物館の前ではちょうどひこにゃんのステージが行われており、ひこにゃんにも会うことができましたし(以前はまだいなかったので、実際に会うのは初めて)、強がりでなく、たとえ天守が足場に覆われていても彦根城大いに見応えあり! でした。
…とはいえ、やっぱり天守は天守で堪能したいので、今回行けなかった大手門側から山﨑曲輪にかけてと、内堀や中堀周辺、そして城下町の散策と併せて、また訪れたいと思います。今度はちゃんと直前に確認した上で…。
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2019/06/10 17:19
修復工事中… (2019/05/27 訪問)
彦根城には10数年前に一度行ったことがあるものの、何分にも「城=天守」としか思っていなかった頃のことなので、天守と隠し狭間と西の丸三重櫓と玄宮園くらいしか記憶に残っていませんが、当時より多少は物事がわかってきた今ならもっと堪能できるはず! と勇んで登城しました。
いろは松沿いに進むと、水堀越しに連なる佐和口多聞櫓に気分が高揚してきます。枡形を抜けた先には、馬屋や鉢巻腰巻石垣、登り石垣など彦根城ならではの見どころが続き、大堀切から天秤櫓に向かう…前に鐘の丸を散策。特に見るほどのものはないかと思いきや、櫓台(鐘楼?)と思しき石積みや井戸があり、南東隅では表門から続く登り石垣が確認できました。
そして天秤櫓へ。以前は入れなかったように思いますが、公開されている櫓内からは鐘の丸や大堀切、廊下橋が見渡せ、大堀切に面した壁が二重壁になっているなど、防衛の拠点であることを実感しました。
さて、天秤櫓を出て、時報鐘の角を曲がり、太鼓門をくぐるといよいよ本丸です。天守だけが城じゃないと思うようになったとはいえ、やはり国宝天守は楽しみで、石段を上がり、わくわくしながら見上げると……足場!? 天守を足場がぐるりと取り巻き、何やら作業をしています。帰ってから調べてみると、昨秋の台風で剥落した漆喰の修復工事がGW明けの5月7日から行われている模様(9月20日までの予定)。もともとは桜の頃に行くつもりで下調べしており、今回改めて確認するのを怠ったのが間違いでした。数多の破風に彩られた華麗な天守をいろんな角度から撮りまくるつもりだったんですが…。
ショックを引きずったまま天守内へ。それでも隠し狭間や隠し部屋、現存天守ならではの急な階段、最上階からの琵琶湖の眺望などを楽しむうちに気分も晴れ、彦根城の魅力は天守だけじゃないやい!(強がり)と、気を取り直して西の丸に向かいます。
(続く)
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2019/06/10 14:20
2019/06/10 12:34
猫が沢山います。 (2019/05/22 訪問)
駐車場から本丸に至るまで、猫が沢山います。猫好きな方々には有名なスポットなようです。かなり人馴れしていて、人懐っこいです。
野良いいますか野生といいますか、行った時はバッタを捕まえてバリバリ食べてました😅ワイルドですね。
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2019/06/10 02:00
6月末まで、補修工事中 (2019/06/09 訪問)
南海岸和田駅より、徒歩にて。
街の雰囲気にも、縄張の面影が残る。散策も楽しい。
本丸石垣の犬走がいい味出している。岸和田高校側からのアングルが美しい。
反対側の登城口(西大手)側は、櫓などの補修工事中のため、足場がかけられていて、フォトジェニックではない。ご自慢の八陣の庭も、立入禁止のフェンスで残念。。
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2019/06/09 21:03
発掘調査で新事実続々…らしい (2019/02/16 訪問)
郡上八幡城に続き向かったのは小牧山城址。
NHKの歴史ヒストリアでもやっていたが、最近の発掘調査の結果、新事実が明らかになったとのこと。
清須を居城にしていた信長は新しい秩序を築くため小牧山に新たに城を築く。
上下関係を明確化し、横並びな家臣との関係の序列化を目指し、山城の最上位に石垣を積んだ居館を建築。家臣は下段に石垣なしの扱いとし上下関係を明確化した。
登城したほんの数日前に発掘した箇所は埋め戻されたが、おびただしい数の石材が出土し積み上げてあった。発掘では庭のような玉石を配した遺稿も発見されたらしい。
信長は小牧山にて家内の統制を行い、美濃侵攻を行う。小牧山から稲葉山城に移った信長は名を岐阜城と改め小牧山城は廃城となったが、小牧山と同様に発掘の結果庭園があったのではないかと考えられており、歴史が見直されているとのこと。
小牧山城はその後小牧・長久手の戦いで徳川家康が大規模改修を行ったが、この時の遺構がほとんどらしい。
徳川家の手厚い保護の結果、現在まで良好な保存状態を保てたらしい。
麓にも遺構が残されており大変面白い城址だ。
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2019/06/09 20:47
石碑が無い。 (2019/06/09 訪問)
石碑を探したけど見つからず。
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2019/06/09 18:23
2019/06/09 18:14
どこでも桜と城も似合います。 (2019/04/07 訪問)
言わずとしれた藤堂高虎の城、津城。本丸を囲う堀と石垣が、かつての城の威厳を残している。
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2019/06/09 18:07
2019/06/09 17:51
2019/06/09 17:50
2019/06/09 17:36
2019/06/09 17:31
岐阜城登城 (2019/01/12 訪問)
岐阜城は信長が美濃を平定し、天下を視野に入れ始めた頃の城。
天守からの眺めは濃尾平野を一望でき、素晴らしい。
きっとここから如何に天下を取るか、考えていたのだろう。
当時の石垣も残っており、心躍る城である。
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