北条早雲さんが生涯居城とした城と伝わるので、後北条氏の四公六民の制度もこの城から始まったのでしょうか。
小田原征伐では、豊臣の大軍相手に3ヶ月も持ちこたえた堅城でしたが、標高の低い平山城ではあるものの周囲をよく見渡すことができ、城池となっている湿地帯の多さ等からも、その実績に納得しました。
遺構はたくさんありましたが、三ノ丸跡にある韮山高校のテニスコート横の土塁が規模も大きく印象に残っています。また、本丸からは富士山も綺麗に見え、カメラをズームすると宝永火口が真正面に見えたので、噴火した時はここから良く見えたのだろうなと思いました。
周辺にはたくさん観光名所がありますが、源頼朝の流刑地の蛭ヶ小島(ひるがこじま)が韮山城の近くにあり、お茶屋さんもありました。源頼朝と北条政子の像が建っており、そこからも雄大な富士山が見ることができ。頼朝公もこの配流の地で富士山を眺めていたのかと思うと中々感慨深いものがありました。しかし、蛭ヶ小島て配流地なので、小さな島かと思っていたのですが、すぐに逃げられそうなこんな平地だったんですね。意外でした。
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