みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

北条早龍

秀吉が大陸出兵をかけた陣城 (2019/04/06 訪問)

なんと言っても敷地が大きく、京をもしのぐと言われていたことを体感させられました。
道はきれいに整備されているけれど丁寧に見ようとすると天守までは
30分以上かかるので楽しむためにも時間に余裕を持ったほうがいいです。
各武将の陣跡までは見れなかったのでもう一度行きたいです。。。

そこかしこに高石垣が積み上げられており、圧巻!
天守台からは絶景が広がっておりおすすめです

桜の季節だったので家族連れも多くきれいな景観でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

北条早龍

海城から望む絶景 (2019/04/06 訪問)

天気のいい日で遠くまで望むことができました。

平戸藩松浦氏の居城。

平戸城入場口の北虎口門周辺の改装工事中で一部工事中でしたが、外観見ることができ瓦に部分に数字を割り振っていてなかなか見ることができない箇所も見れていい体験でした。門の一部も展示してありました。

天守まで出ればとてもいい海風も感じられるますし駐車場からもすぐなのでおすすめです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Touch

堀と外郭が立派な城跡 (2019/04/29 訪問)

夕方の登城だったため、残念ながら櫓門には時間切れで入れなかったが、発掘中の大天守石垣が見れた。公園になっているので、夕方でも市民の憩いの場になっている。

+ 続きを読む

ひで

新潟県旅行の三日目 (2019/05/09 訪問)

旅行の最終日に行ってきました🏯

水堀、天守台、土塁と構造が残っていました

一時間もしないで見終わったけど堀直苛の銅像もあったし行って良かったです

+ 続きを読む

ひで

駅から遠かった (2019/05/08 訪問)

村上城を見て新潟に戻るのに寄りました、駅から15分位歩いたのかな、村上城を見た後で体も疲れていましたが無事に到着🏯

+ 続きを読む

Touch

巨大な戦国時代の山城 (2019/04/29 訪問)

二つの峰からなる巨大な山城跡。かつて本丸跡に模擬櫓が作られていたとか。山頂には天神社がある。

+ 続きを読む

ひで

新潟県旅行 (2019/05/08 訪問)

旅行の一日目は新発田城、二日目は村上城を見てきました🏯

天守迄お登りは緩やかなで余り苦は無く登れました、石垣もしっかりと残っていたいし天守台からの眺めは日本海を見降ろせて素敵な景色でした

+ 続きを読む

ひで

初の新潟県旅行 (2019/05/07 訪問)

先日に人生初の新潟県へ行ってきました🚄

新発田城は広かったんでしょうが自衛隊の敷地で入れないのが残念でしたが石垣や水堀、櫓に門と残っていて楽しめたかな🏯

+ 続きを読む

Touch

美しく絵になる天守 (2019/04/29 訪問)

GWに浜松城登城してから掛川城に登城。
山内一豊が建てた城を木造で再建。また江戸時代から残る本丸御殿が入館OKなので、御殿の庭から眺める天守が写真映えします。

+ 続きを読む

オイラー

赤穂城登城 (2019/02/23 訪問)

百名城70城目

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

オイラー

福山城登城 (2019/02/23 訪問)

百名城71城目

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

オイラー

小牧山城登城 (2019/05/26 訪問)

続百名城8城目

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城歩き始めます

浅井長政の心中は? (2019/05/26 訪問)

信長が朝倉を攻めたため、長政は信長を裏切ったわけですが、
その時長政の本心はどうだったのでしょうか。

お市とは仲むつまじかったと云われます。
信長につくか、朝倉につくか、
家臣の意見、先代の意見、
非常に悩んだと思います。

結局長政は朝倉に加勢するため
信長を裏切り滅びました。

今、長政はどう思っているのでしょう?

+ 続きを読む

赤い城

花輪城址公園 (2019/05/25 訪問)

流山おおたかの森駅から徒歩で30分。
流鉄流山駅からの方が近そうですね。
城址公園近くにはバス停もありました。
公園入口には石碑があり、登った所に空堀が少し残っていました。
主郭部には江戸時代に建てられた琵琶首観音堂の礎石が残っています。
比較的小規模な城だったようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まっぴー

分かりづらすぎ! 淵野辺城🏯 (2019/05/26 訪問)

遺構度 ★☆☆☆☆ 復元度 ★☆☆☆☆
施設充実度 ★☆☆☆☆ 楽しさ度 ★☆☆☆☆

足利尊氏の弟の足利直義の武将の淵辺義博が南北朝時代に築城した淵野辺城に行って来ました!
ナビして淵野辺城まで行ったもののまず入口どこ⁇って感じでした。入口を探すのに周辺を何周もしてしまいましたm(_ _)m
よく見てみると入口に石碑があったもののそれでもここであってるの⁇って感じでした。どう考えても人の家でしょ!と思うほどです。
勇気を出して入って少し歩くと芝生の庭のような場所があり、そこをよく見てみると奥に石碑があるのが見えたのであった!と思い写真を撮っていたもののよく見ると人の家の庭みたいだったので写真を撮ってすぐに退却しましたが、その時犬に吠えられもう散々でした。
逆に家の敷地内によく置いてあるな〜と思いました。
その家の持ち主さんには感謝ですね*\(^o^)/*
もし入口の石碑がなかったら更にわからなかったと思うので入口の石碑はあってくれて助かりました。

というわけで大変な1日でした(>_<)

+ 続きを読む

あつ

深すぎる空堀と野面積みの要塞 (2019/05/26 訪問)

今までにこれほど野面積みに守られたお城や深い渓谷に囲まれた城跡を見たことがなかったので、圧巻でした。
日本で唯一の穴城を体験したかったので、小諸駅側にある大手門から入城を始めました。
駅からも近く、駐車場は広いので行きやすいです。
本丸は懐古神社があり、5月の訪問時には庭園のツツジや藤の花も綺麗でした。
2つの展望台からの眺めは最高で、千曲川のダムとカーブが見えたのは興味深かったです。空気が澄んでいれば富士山まで見えるそうです。
懐古園の入場料で隣接の動物園も入園出来るので、2つの違った雰囲気が楽しめました。
とにかく野面積みに見とれていて、あっという間に2時間経っていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

かなり広い陣屋 (2019/05/26 訪問)

今年2回目の訪問、この辺は親戚や子供が通学してたが伊奈城は最近知りました・・・最近発掘調査・整備をしたので表舞台に立った感じですね。暑い中 私は堀と土塁を見ながらウロウロしました! かなり広いです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

延岡城

千人殺しの高石垣が有名だが、本丸周辺に残る石垣や精緻な門礎石の方が「萌え」ポイントのような気がする。

+ 続きを読む

勝野武士

西宮砲台から東へ、約1km。 (2019/05/25 訪問)

西宮砲台に来たからには、御前浜公園で若者達とバーベキュー…じゃなくて、車で東に5分ぐらい…距離にして約1kmぐらいの位置に『今津砲台跡』がありますので、ついでに行ってみました。位置関係とか知りたかったので。

なんで西宮砲台から近い距離に同仕様の台場を造ったのかは判りませんが、建造時期は西宮砲台などと同時期に、砂地だったために同じ工法で築かれたのですが、西宮よりも難工事だったようで、こちらはなんと4年もかかったそうです。
そして更に膨れ上がる工費…。
完成後は一度も使われることなく明治を迎え、大正時代に解体されてしまったとのこと。
跡地には残念ながら何も残っておらず、道路とマンションが建っています。
石碑は辛うじて残った今津砲台の堡塔の石材を使ったものですので、観ておく価値はあるかと。

なお、その対岸には『今津灯台』があります。
江戸時代のもので、なんと現役です!もちろん現役では現存最古となります。そして当初から同じ位置にあります。
但し、現在県主導で水門の工事をしていて近々移転するとのことで、現位置で見られるのも見納めとなりそうです。

…なんか、画像だけ見たら今津灯台の記事みたいになっちゃいましたねw

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

勝野武士

幕末の砲台の貴重な遺構。 (2019/05/25 訪問)

子供の頃に連れて行ってもらって以来、実に30年振りの再訪となりました。
もうそれだけで感慨モノですが。
御前浜公園内の一角に、西宮砲台はあります。

相次ぐ外国船の来訪に危機感を募らせた幕府が、海防策の一つとして大阪湾の防備を固める目的で建造した砲台場の一つが、ここ西宮砲台です。
西から古宮(播磨町)、明石海峡で挟撃するかのように舞子と松帆、和田岬、川崎、西宮、今津と数多くの砲台場が築かれました。
このうち西宮と同仕様の砲台は他に、和田岬、川崎、今津でした。
ちなみに当時の建築担当者はご存知、勝安房守(海舟)です。

建設地が砂地だったことからかなり苦労したようで、約1000本以上の松材の杭を基礎として打ち込んでから石造りの堡塔を建造したそうです。
建造費用は総額約二万五千両。
現在の金額にザックリ換算すると、なんと25億円!
そして同仕様の砲台があと3ヶ所…うわぁ…。
着工から約3年と巨額を費やし、ようやく完成したのでした。

堡塔は石材を四角く加工して円筒状に積み、表面に漆喰を塗り、砲眼11ヶ所と窓1ヶ所をぐるりと巡らし、内部は木造二階構造で二階部に大砲を据え、大砲を冷却するための井戸もあったそうです。
そして堡塔の周囲を土塁で囲んでいました。

しかしそんな西宮砲台に、残念なエピソードが。
試しに大砲を堡塔内に据えて一発なブッ放してみたら、堡塔内に煙が充満。あまり実用に向かなかったようです。残念すぎる…。
そして(幸いにも)一度も実戦で使用されることなく明治を迎えたのです。

現在は西側の土塁の一部と堡塔が残っています。堡塔の内部は残念ながら失火で消失。内側から鉄骨で補強してあります。

国内でも珍しい貴重な遺構です。
いつまでも大切に残していきたいものですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1724