おのじんや

小野陣屋

兵庫県小野市

別名 : 小野藩陣屋
旧国名 : 播磨

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小野小学校
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しんちゃん

小野藩一万石の陣屋 (2024/04/20 訪問)

小野陣屋は小野藩の藩庁で承応2年(1653)一柳直次によって築かれました。元々は一柳直家は伊予国川之江に本領を置き、分領である播磨小野には敷地陣屋(代官所)を置いていましたが、直家急死の際に嗣子がいなかったため、緊急に直家の娘に婿(直次)を取り藩を存続させようとしたことを幕府からとがめられ、1万8600石を没収され小野藩1万石に縮小されてしまいました。
当時まだ幕府は末期養子を認めていなかったため禁に抵触するという理由だったそうです。そんな経緯で敷地陣屋を廃して正式な1万石の陣屋として築かれたのが小野陣屋になります。城域は案外広く、馬場跡には好古館が建てられ、東は西池・中池・雁俣池の三池が堀の役目を果たしていたようです(現在は消滅)。
小野小学校が有るあたりに御西御殿や御手丸御殿などの主要部が置かれ、小野高校が有る場所には藩士の邸宅があったようです。陣屋とはいえ最低限の防御力を備えているようで、豊臣秀吉配下の頃から関ヶ原まで数々の武功を挙げた一柳直盛の後継としての誇りが残されている気がします。

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小野小学校 (2023/09/23 訪問)

一柳氏の陣屋です。小野小学校付近が跡地で石碑と説明板があります。磐代神社は小野藩一柳氏の氏神で陣屋設立に伴い建社されました。台風により倒壊し昭和41年再建されています。

 神戸電鉄粟生線小野駅から徒歩3分くらいです。

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ぴーかる

小野陣屋 (2022/09/11 訪問)

【小野陣屋】
<駐車場他>小野市立好古館駐車場入館前提で
<交通手段>車

<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅5城目。小野藩の前史は山中城の戦いで討死した一柳直末の弟直盛が伊予西条と播磨加東郡を領していました。次男の直家に加東郡5000石を分地しましたが、間もなく直盛が死去したので伊予国の遺領2郡も分け与えられ28000石の大名となりました。直家は伊予の川之江藩を立藩し分地の小野には規模の小さい敷地陣屋を置きます。
 1642年に直家は嗣子が無く没したので小出家から末期養子を迎え2代目藩主一柳直次としますが当時は末期養子は認められなかったので伊予国の所領は没収され播磨国加東郡1万石が与えられます。直次は1653年に現在あった位置に小野陣屋を築きました。一柳家は小野藩主として明治まで続きます。
 現在陣屋跡は好古館と隣の小野小学校の場所となります。南側と東側の駅より台地状で歩道橋から見ると1段高くなっているのがわかります。好古館(有料)内の展示品で城に関する物は金鑵城や豊地城の出土品が展示されています。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

一柳三兄弟の次男坊 (2022/01/08 訪問)

もともと伊予河野氏一族とされ自身は尾張生まれの一柳直盛は大名として伊予に返り咲こうとした矢先に斃れ、三人の息子がそれぞれ伊予で独立大名となった。次男の家系が領地を縮小して移転してきたのが小野藩ということだ。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 一柳直次
築城年 承応2年(1653)
主な城主 一柳氏
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 兵庫県小野市西本町