おのじんや

小野陣屋

兵庫県小野市

別名 : 小野藩陣屋
旧国名 : 播磨

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小野小学校 (2023/09/23 訪問)

一柳氏の陣屋です。小野小学校付近が跡地で石碑と説明板があります。磐代神社は小野藩一柳氏の氏神で陣屋設立に伴い建社されました。台風により倒壊し昭和41年再建されています。

 神戸電鉄粟生線小野駅から徒歩3分くらいです。

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ぴーかる

小野陣屋 (2022/09/11 訪問)

【小野陣屋】
<駐車場他>小野市立好古館駐車場入館前提で
<交通手段>車

<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅5城目。小野藩の前史は山中城の戦いで討死した一柳直末の弟直盛が伊予西条と播磨加東郡を領していました。次男の直家に加東郡5000石を分地しましたが、間もなく直盛が死去したので伊予国の遺領2郡も分け与えられ28000石の大名となりました。直家は伊予の川之江藩を立藩し分地の小野には規模の小さい敷地陣屋を置きます。
 1642年に直家は嗣子が無く没したので小出家から末期養子を迎え2代目藩主一柳直次としますが当時は末期養子は認められなかったので伊予国の所領は没収され播磨国加東郡1万石が与えられます。直次は1653年に現在あった位置に小野陣屋を築きました。一柳家は小野藩主として明治まで続きます。
 現在陣屋跡は好古館と隣の小野小学校の場所となります。南側と東側の駅より台地状で歩道橋から見ると1段高くなっているのがわかります。好古館(有料)内の展示品で城に関する物は金鑵城や豊地城の出土品が展示されています。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

一柳三兄弟の次男坊 (2022/01/08 訪問)

もともと伊予河野氏一族とされ自身は尾張生まれの一柳直盛は大名として伊予に返り咲こうとした矢先に斃れ、三人の息子がそれぞれ伊予で独立大名となった。次男の家系が領地を縮小して移転してきたのが小野藩ということだ。

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カズサン

一柳直末の流れを汲む陣屋 (2020/08/01 訪問)

 播磨城廻り4城目、加古川市の志方城から北東方向約18km、小野市の小野陣屋磐代神社にナビを合わせ走行し神社、小学校、好古館前に到着好古館駐車場を利用。
 遺跡らしい物は無く、小野小学校の陣屋風校門の少し南に「一柳家陣屋遺跡」の石碑と下に城下絵図と説明文、その通りを挟んだ東に一柳直末公を祀った磐代神社、由緒書版に小野陣屋の記載も有り。
 磐代神社、好古館の東は段丘崖に成って居り絵図に由ると往時は池などで陣屋を防備してる様子、小学校は陣屋跡武家屋敷跡の様です。
 一柳直末公は秀吉の信任厚く小田原征伐山中城攻防戦で唯一秀吉方で討死した武将です、秀吉も訃報に接し三日も食べ物を口にしなかったとか?家督は弟の直盛が継ぎ、次子直家が遺領の内2万8千石を継ぐが養子直次届前に直家没し内播磨の1万石相続を許され小野に陣屋を築いた。
 
 当日好古館にはこれから訪ねる堀井城の企画展も開催中で小野陣屋常設展も合わせ見学し資料も頂く、小野市には国宝の浄土寺阿弥陀三尊像、広渡廃寺跡も有名で小野市城郭廻りには併せて廻られる事お勧めです、私は7年前に金鑵城と合わせ訪ねました。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 一柳直次
築城年 承応2年(1653)
主な城主 一柳氏
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 兵庫県小野市西本町