小野陣屋は小野藩の藩庁で承応2年(1653)一柳直次によって築かれました。元々は一柳直家は伊予国川之江に本領を置き、分領である播磨小野には敷地陣屋(代官所)を置いていましたが、直家急死の際に嗣子がいなかったため、緊急に直家の娘に婿(直次)を取り藩を存続させようとしたことを幕府からとがめられ、1万8600石を没収され小野藩1万石に縮小されてしまいました。
当時まだ幕府は末期養子を認めていなかったため禁に抵触するという理由だったそうです。そんな経緯で敷地陣屋を廃して正式な1万石の陣屋として築かれたのが小野陣屋になります。城域は案外広く、馬場跡には好古館が建てられ、東は西池・中池・雁俣池の三池が堀の役目を果たしていたようです(現在は消滅)。
小野小学校が有るあたりに御西御殿や御手丸御殿などの主要部が置かれ、小野高校が有る場所には藩士の邸宅があったようです。陣屋とはいえ最低限の防御力を備えているようで、豊臣秀吉配下の頃から関ヶ原まで数々の武功を挙げた一柳直盛の後継としての誇りが残されている気がします。
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