小野駅から徒歩2~3分で、石碑前(34.843330、134.932747)に着きました。
小野陣屋は1653年(承応2年)一柳直次によって築かれました。
一柳直盛が68,000石に加増され伊勢国神戸から伊予国西条へ赴く途中死去しました。
嗣子直重が30,000石で伊予国西条を継ぎ、次子直家が伊予国宇摩郡、周布郡と播磨加東郡小野で28,000石で伊予国川之江、第三子直頼が伊予国小松で10,000石を継ぎました。
直次は園部藩主・小出吉親の次男でしたが、一柳直家の養子となり跡を継ぎました。
ただし末期養子であったことから伊予川之江の領地を没収され、播磨小野10,000石となりました。
当初は敷地(現在の大部小学校付近)に陣屋を置いていましたが、のちにこの地に陣屋を移しています。
以後10代にわたって一柳氏が支配して明治維新を迎えました。
小野陣屋の側に小野市立好古館があったので、覗いてみました。
その後、小野藩主一柳家墓所を確認する為、光明禅寺入口(34.840699、134.934646)に向かいました。
標柱の説明文は次のとおり。
「当 墓所は光明寺本堂西側に所在し、向かって正面には九代末延(すえのぶ)公[左]、十代末彦(すえよし)公[右]の墓、手前には十一代末徳(すえのり)公の 次女、喜久子女子の墓があります。
他の藩主は、江戸在勤時に亡くなったため、東京の祥雲寺に葬られています。
光明寺は、鎌倉時代後期に建立された臨済宗の 寺で、釈迦如来を本尊としています。
江戸時代に小野藩主一柳家の菩提寺(ぼだいじ)となり、位牌堂には藩主十一代とその奥方の位牌がまつられているそうです。
攻城時間は35分(小野市立好古館の見学、移動時間を含む)くらいでした。次の攻城先=三木城を目指す為、三木駅から電車で三木上の丸駅に向かいました。
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