小諸城の起源は鎌倉時代末期にまで遡ります。戦国時代、武田信玄が山本勘助、馬場民部少輔信房(後の美濃守信春)に命じて築城したのが現在の小諸城と言われています。武田家滅亡後の天正18年(1590)仙石秀久が城主となり主要な城郭を整備し、子の忠政の代で現在の小諸城が完成しました。以後城主は徳川氏、松平(久松)氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川(松平〔大給〕)氏と変遷し、元禄15年(1702)に牧野周防守康重が越後与板から赴任、この後明治維新まで牧野氏10代の治世となりました。
現存遺構は大手門、三の門、天守台、石垣など。特に大手門は、長野県内の現存例としては貴重な慶長期の建築物で、国指定の重要文化財に指定されています。三の門は、寛保二年(1742)の水害で流失しましたが明和2年(1765)に再建されこちらも重要文化財に指定されています。門に掲げられている「懐古園」の書は、徳川宗家第16代当主、徳川家達によるものです。
小諸城は、大手門側からしなの鉄道の線路を挟んで反対側の三の門の方が低くなっているため、別名「穴城」とも言われています。しかし、不開門のあった水の手展望台から見下ろすと分かりますが、千曲川を眼下に望む崖の上に築かれているため、その難攻不落さが見て取れます。
戦国~江戸時代を経て大正15年(1926)近代的な公園「懐古園」として生まれ変わり、春は桜、秋は紅葉の名所として訪れる人の目を楽しませてくれます。特に秋の紅葉は、京都の庭園を思わせるような趣を醸し出し、その彩の豊かさは天下一品の芸術品と称賛できると思います。
11月からは従来の懐古神社の御朱印とは別に、小諸城址の「御城印」が新たに販売されるようになりました。
+ 続きを読む









