大坂の陣史跡めぐり、第2回は真田丸周辺を。大坂城の出城なので、大阪城で投稿します。
三方を川と水堀に囲まれた大坂城にあって、唯一の弱点とされる南側の防備のため、大坂冬の陣に際して真田信繁(幸村)が築いた出城で、前田利常、井伊直孝、松平忠直ら徳川方の諸隊を撃退し勇名を轟かせましたが、冬の陣の講和の条件として破却されました。
明確な遺構はなく、比定地や構造も諸説ありますが、空堀町という地名が今に残る大坂城惣構南側の空堀を隔てて、大阪明星学園から心眼寺あたりにかけて存在したのは間違いなさそうです。実際、空堀町から比定地を見上げると、心眼寺の石垣と相まって、寺院を出城に取り込んだ真田丸の姿が想像されます。
遺構はなくても、関連史跡はいろいろあります。大阪明星学園のグラウンド脇には真田丸顕彰碑が建てられ、心眼寺には城跡碑や信繁の墓、説明板があり、そこから西に4分ほど歩けば、幸村が霊木に鎌を打ち付けて戦勝祈願したと伝わる鎌八幡があります。また、東に徒歩5分の三光神社には幸村の銅像と大坂城まで繋がっていると言われる真田の抜け穴があります。社殿には幸村のねぶたに顔ハメ看板まで設置されていて、もはや観光地です(笑) 抜け穴といえば、南に徒歩10分ほどの産湯稲荷神社にも真田の抜け穴と伝わる井戸(産湯玉之井)があります。
周辺には、これらの史跡をめぐる「真田幸村めぐルート」の案内板があちこちに建てられており、迷うことなくめぐることができると思いますので、真田びいきの方はぜひ。
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