岩手県奥州市の人首城です。いつ頃築城されたかは定かではありませんが、葛西氏家臣で江刺郡を領した岩谷堂城主江刺重胤の二男人首如清が城主であったと言われます。1590年豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏は改易となり、伊達氏の一族沼辺氏が伊達領北辺の守りとして、この城に配され明治維新まで続き、城は人首要害と呼ばれたとされます。城の規模は東西188m南北104mで本丸は東西50m南北46mあり招魂社(護国神社の前身)が祭られています。本丸東側に一段高い二の丸があり東西36m南北50mの規模です。人首氏の時代は二ノ丸が本丸だったとされます。本丸と二の丸の間にも曲輪があり、伊達氏時代は搦手門、人首氏時代は大手門があったとされます。城の周りには堀が廻らされ、伊達領時代は西側に大手門があり、城への道、本小路は城内と称し家臣たちの屋敷町があったとされます。城は人首川に沿って東西に伸びた丘陵部にあり、岩谷堂城から北東13kmにあり遠野・三陸に通じる街道が分岐する交通の要衝の地で、現在は、館山公園となっています。
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