ひとかべじょう

人首城

岩手県奥州市

別名 : 人首要害、人首館
旧国名 : 陸奥

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本丸の現状
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ぎりょう

仙台藩21要害を訪ねて 人首要害 (2021/09/12 訪問)

旧仙台藩21要害訪問二ヶ所目は人首要害。ここも上口内要害と同様、南部藩に対する藩境警備を担っていた。盛街道/県道8号線の人首の街並みは昭和の面影が色濃く残り、懐かしい雰囲気。その中ほどから東側に入る小路があり、進むと「人首城跡入口」の看板があり、程なく大手門跡の標柱と曲輪跡に至る。
この城の築城年、築城者はともにはっきりしない。葛西氏統治の時代には岩谷堂城主江刺氏の家臣人首氏の居城であったと云う。「仙台領古城書上」には江刺郡人首村の項に「一 人首城 東西十一間 南北十二間 城主阿蘇修理」との記載もある。仙台藩領となって慶長十一年(1606)に沼部氏(一族1000石)が配され、明治維新まで10代263年間続いたと云う。
縄張は比高50m程の丘陵先端部に三つの曲輪が並ぶ。一番西端の曲輪が本丸と云われ、北・西・南側は高い切岸となり幅15m程の腰曲輪が取付く。南西側に枡形虎口の大手門跡が残る。本丸東側に一段下がって、現在水道施設がある曲輪が続き、更にその東側に空堀で隔てた東西35m南北50m程の曲輪がある。この曲輪は城内の最高所であり切岸・土塁が残り、古い時代の本丸と考えられる。
富原文庫蔵陸軍省城絵図では「江刺郡人首村旧舘絵図面 長サ七拾八間 横 四拾四間」、本丸に三基の建物と門、腰曲輪の南西側にも門が描かれている。現在本丸跡には「招魂社」が、東の最高所の曲輪には石碑四基と四阿が建てられている。東北自動車道水沢ICから24キロ(30分)本丸東の曲輪跡に2~3台駐車可能。

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カズサン

人首要害として明治まで残る (2020/10/26 訪問)

 今回の城廻りの主目的城郭、下越の大葉沢城、出羽清水城、後三年役の金沢柵を終えて秋田横手ICより岩手、宮城未踏の城廻りへ先ずは岩手県奥州市人首城(ヒトカベジョウ)を目指す、秋田岩手の県境紅葉も素晴らしい景観です、東方約100km程ナビは人首城南側の入口辺りに在る県道8号線の米里郵便局より東に入った辺りに目的地を合わせ走行、ナビは何と水沢ICを目指すと思いきや北上JCTを北へ花巻JCT経由釜石道江刺田瀬IC降りて地道山間地を越えて人首城の米里へ、お陰で岩手の山々の紅葉と里山ドライブを楽しみました。
 目的地の米里郵便局を確認して人首城の標柱を東に入り200m程の所に人首城白標柱が有りそこを道なりに登って行くと2郭に舗装道終点の駐車エリア車を停めて探訪。
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、余湖さんの俯瞰図で探訪、2郭に車を停めて1郭へ招魂社が祀られてる、1郭南西に枡形虎口、高い切岸で囲まれてる、1郭と2郭は若干の高低差、3郭は2郭との間に堀切、3郭が一番高そう、周囲に帯曲輪。
 
 歴史的には築城年代は定かでないが葛西氏の支配地域で秀吉の奥州仕置きで葛西氏改易没落し城主の安蘇氏もこの城を立ち去り、仙台伊達家の北の守り要害の一つとして伊達氏一族沼辺氏が1000石で拝領10代続いて明治を迎える。

 撮影中一眼レフカメラが動かなく成り、予備のコンパクトカメラも電池量不足、雨を被った影響かな?結局思うように撮れず残った写真で投稿します。

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夏の雪だるま

伊達藩最北の人首要害 (2016/06/04 訪問)

岩手県奥州市の人首城です。いつ頃築城されたかは定かではありませんが、葛西氏家臣で江刺郡を領した岩谷堂城主江刺重胤の二男人首如清が城主であったと言われます。1590年豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏は改易となり、伊達氏の一族沼辺氏が伊達領北辺の守りとして、この城に配され明治維新まで続き、城は人首要害と呼ばれたとされます。城の規模は東西188m南北104mで本丸は東西50m南北46mあり招魂社(護国神社の前身)が祭られています。本丸東側に一段高い二の丸があり東西36m南北50mの規模です。人首氏の時代は二ノ丸が本丸だったとされます。本丸と二の丸の間にも曲輪があり、伊達氏時代は搦手門、人首氏時代は大手門があったとされます。城の周りには堀が廻らされ、伊達領時代は西側に大手門があり、城への道、本小路は城内と称し家臣たちの屋敷町があったとされます。城は人首川に沿って東西に伸びた丘陵部にあり、岩谷堂城から北東13kmにあり遠野・三陸に通じる街道が分岐する交通の要衝の地で、現在は、館山公園となっています。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 人首氏
築城年 戦国時代
主な城主 人首氏、南部氏、沼辺氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、枡形虎口
再建造物 碑、説明板
住所 岩手県奥州市江刺米里荒町