神田城は天治2年(1125)に那須氏の祖、藤原資家(須藤貞信)によって築かれ、以後4代に渡って須藤氏(那須氏)の居城として使われたようです。屋島の合戦で扇の的を射落とした那須与一宗隆は嘉応元年(1169)に那須資隆の11男として、この地で生まれたとされています。主郭は畑地になっており、土塁の上にある社に続く道から眺めるだけです。普段は史跡保護のため郭から土塁を眺めているので(登るときもある)あべこべで、ちょっと面白い。正門は南辺中央に設けられ、大手門は東辺に付いているようです。
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2024/12/20 22:12
御免那須って (2024/09/18 訪問)
神田城は天治2年(1125)に那須氏の祖、藤原資家(須藤貞信)によって築かれ、以後4代に渡って須藤氏(那須氏)の居城として使われたようです。屋島の合戦で扇の的を射落とした那須与一宗隆は嘉応元年(1169)に那須資隆の11男として、この地で生まれたとされています。主郭は畑地になっており、土塁の上にある社に続く道から眺めるだけです。普段は史跡保護のため郭から土塁を眺めているので(登るときもある)あべこべで、ちょっと面白い。正門は南辺中央に設けられ、大手門は東辺に付いているようです。
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2022/02/14 22:45
郭内は水田に (2022/02/05 訪問)
神田城交差点からすぐ近く。
飲食店の駐車場に駐めるのも憚られたのでスーパーの駐車場を拝借しました。
飲食店の敷地に説明板がありすぐ近くの鳥居の先に堀と土塁があります。
橋を渡り、坂道を登るとここにも説明板があり、神社が祀られています。
土塁の内側は水田。この時季は普通に畑っぽい。
四方を土塁が囲んでいます。
土塁の上は笹薮となっています。
南側の虎口から下に降りると深い空堀がありました。
北西側には石碑も立っています。
その先にも堀がありますが藪で侵入は断念しました。
那須貞信が築いたとされています。
単郭方形の城で遺構はよく残っていました。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 藤原資家 |
| 築城年 | 天治2年(1125) |
| 主な城主 | 須藤氏、那須氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
| 指定文化財 | 国史跡(那須神田城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 栃木県那須郡那珂川町三輪 |
| 問い合わせ先 | 那珂川町役場 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0287-92-1111 |