めがじょう

妻鹿城

兵庫県姫路市

別名 : 国府山城、功山城、甲山
旧国名 : 播磨

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岩場の登城道
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しんちゃん

百万(メガ)石とまでは言わないが。 (2023/12/30 訪問)

メガとはイングリッシュな人たちの言葉で百万を意味します。メガビッグ、メガデス、メガ粒子砲、メガバンク‥こっちじゃない。

妻鹿城は薩摩氏長の子孫であるとされる妻鹿孫三郎長宗によって築かれたとされています。妻鹿長宗は元弘の乱の時、元弘3年(1333)一族と共に赤松則村に従い北条方と戦い、その功により妻鹿地方を領有し、城もそのころに築かれたものと思います。
黒田官兵衛孝高の父、職隆は息子孝高に家督を譲って姫路城から妻鹿城(功山城)に移ったとされています。三木城合戦の後、秀吉は三木城を居城としますが、孝高は三木城より姫路城の方が毛利攻めに良いと進言し、秀吉に姫路城を譲って妻鹿城に入ったとされています。(三木城では戦略的に不備であると進言したとも)
妻鹿城はおそらく黒田二代によって改修を受けていると思いますが、縄張りに特に派手なものは有りません。しかし岩肌がむき出しになった登城道はなかなかに険しく攻略時にはかなりてこずったと思います。鉄塔のある郭を越えていくと枡形のような場所に二重の隅櫓跡があります。先には土橋が主郭に向かって続きますが右手に一段下がって郭が連なり郭の間も土塁で仕切ってあります。北端は展望台になっており、西には市川が流れ眺望はすこぶる良く、遠く姫路を見渡せます。黒田家の城と勇んで来ると少し肩透かしを食らいますが、地味に遺構の残る良い城だと思います。
職隆の孫・長政は関ヶ原の合戦で大きな功績を挙げ、筑前国名島に52万3千石で入りました。今でいう1400億円くらいです。百万(メガ)石とまでは言いませんが0.5メガ石まで言ったので十分ではないでしょうか。
いや~うらやましい。どこかの竹藪に1メガ円(百万円)でいいから落ちていないかな~。

※少し怪しげな縄張り図を見ると他にもたくさん郭の様なものがありますが、いくつかしか見れていません。主郭の先にも郭があって磐座があるようです。

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ぴーかる

厳しい意見ですが、メガな遺構の見応えはあまりない。 (2024/01/13 訪問)

【妻鹿城】
<駐車場他>駐車可能場所あり。カズサンさんの投稿を頼り<34.796999, 134.694601>砂利敷3台分の場所に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>竈門跡・眺望
<感想>妻鹿城は国府山城・甲山城ともよばれ、現地石板碑には元弘の頃妻鹿孫三郎長宗が築城したと伝えられる。1573年に黒田職隆が新たに築城し、天正13年職隆が没するまでの居城としました。天正8年に子の孝高が羽柴秀吉に姫路城を譲ったあと黒田孝高も居城(実際は三木城攻めに従軍したり、有岡城に幽閉されたりしてほとんど住んではいないが)としています。
 城は市川の東側に沿った甲山という独立した山に築かれています。北東から南西にかけて尾根が走っていて尾根の東側が比較的緩やかなので曲輪が伸びています。尾根の西側は市川が流れて急斜面で曲輪は少ない構造です。南にある荒神社から登山道があります。荒神社にトイレ・城跡碑があります。遺構としては門跡、門跡を少し登ると竈門跡があります。登山道に竈門跡の矢印板が道の左手方向にありますが、逆に右手方向に入って下さい。こちらの方が明瞭な石積みの竈門跡が3基程確認できます。矢印板左手の竈門跡は石が無くなっています。竈門跡から一旦登り上がった段があります。左右に長い馬場跡のような帯曲輪です。左方向に進んで、経塚跡からは市川と西方向の眺望が良いです。山の尾根に取り付いて北東方向に進みます。薄くなった堀切があり、すぐに平坦な感じになります。右手に曲輪跡が続いて主郭に至ります。主郭からも西方向と北西方向の眺望が望め姫路城が見えます。主郭から北東方向に進み庭園跡、巨石のある磐座、尾根曲輪の北東端の北曲輪が広いです。北曲輪からの方が姫路城が近く見えます。表面観察では堀切が1条、横堀・竪堀も見受けられず、強い防御性はあまり感じられませんでした。

<満足度>◆◆◇

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黒田官兵衛 (2024/02/01 訪問)

 羽柴秀吉に姫路城を譲った黒田官兵衛と父・黒田職隆が入城した城です。
荒神社から登城路が整備されています。概ね歩きやすく頂上周辺を矢印の標識に従ってぐるりと歩くコースができていました。登城口にある「妻鹿 国府山城跡 平面図」を見ると空堀、縦堀、石垣跡などの表記がありますが、よくわかりません。石垣跡らしい場所はありましたが、遺構かどうか判断できません。
 主郭からは姫路城天守閣を観ることができます。

山陽電鉄本線妻鹿駅より徒歩10分くらいで登城口である荒神社に行くことができます。

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カズサン

にわかの雨で麓から眺める (2022/10/24 訪問)

 秀吉に姫路城を譲り黒田官兵衛が居城した妻鹿城(国府山城)を恒屋城から南下約18~20km程市川沿いの登城口を目指す。
 ガイドは古城盛衰記さんとグーグルマップに依ります。登城口と駐車エリアは市川東側県道517号線沿い(34°47'50"N 134°41'41"E)にあり駐車エリアは砂利舗装で約3台は可能、隣のフェンスに囲われた駐車場は私有地で施錠されてる。
 恒屋城辺りから雨が降り妻鹿城辺りでは雲が黒く成り土砂降り雨が少し小降りになるまでの待って傘を差しながら周辺を撮影、眺める、市川に架かる水道橋、その近くに市川工業用水道管理所建屋、奥に城跡の在る国府山麓に荒神社があります。

 登城口を眺め、樹木鬱蒼としており雨模様でもあり駐車場確認して終りとしました。
 姫路城が今日に在るのは黒田官兵衛の見識による、秀吉に譲った行為が秀吉姫路城、輝政姫路城と継承されて日本一の大城郭姫路城となり、日本、世界の方々に見て頂ける。妻鹿城はありがたい城です。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 妻鹿長宗
築城年 元弘3年(1333)
主な城主 妻鹿氏、黒田氏
遺構 曲輪、石垣
再建造物 碑、説明板
住所 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿