鎌倉期に築かれ、近接する栂山城、豊田城とあわせて鼎城と呼ばれた小谷氏の城で、南北朝期には南朝方で千早城からの狼煙の中継所としての役割を果たし、戦国期には三好氏と争い、織田信長の紀州攻めの際に根来党であるとして落城させられたようです。
阪和第一泉北病院の裏山が城址として整備されており、病院の玄関脇の道を上っていくと、本丸と思しき頂部に城趾碑や説明板が設けられていますが、遺構は特にありません。ただ、眺望はなかなか良く、狼煙の中継所だったというのも納得です。
病院の下(南西)には小谷城郷土館があり、こちらにも城趾碑や説明板がありますが、休館日だったため館内には入っていません。また、郷土館入口の長屋門は伯太陣屋から移築されたものです。
アクセスは、泉北高速鉄道・泉ヶ丘駅から徒歩約18分、車なら小谷城郷土館の無料駐車場に駐めて徒歩7分くらいでしょうか。
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