会社に共通の趣味の方がいまして、その方と越前日帰り旅を敢行。個人的には高校以来、実に約20年振りの福井再訪となります。
但し今回は時間の都合上、柴田勝家の北ノ庄城メインです。
天正三年(1575)、越前一向一揆との戦いで活躍した功績により信長より越前北ノ庄四十九万石を与えられた勝家は、翌年天正四年(1576)に越前一向一揆を平定、北ノ庄城築城と城下町の整備に着手しました。
足羽川を天然の堀として利用し、その足羽川と吉野川(後の百間堀)との合流点に築かれたというこの城の規模はかなり壮大だったようで、特に天主はかなり大きかったらしく、秀吉が小早川隆景に送った書状の中で「城中に石蔵を高く築き、天主を九重に上候」と記しています。この時代に九層の建物を造るなんて可能だったのかという疑問はさておき、それだけ大きい天主だったのでしょう。
また、ルイス・フロイスが天正九年(1581)に北ノ庄を訪問した時の記録によると「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」とあります。また、町の規模が安土の2倍程(!)もあることや、勝家によって足羽川に架橋された九十九橋(半石半木という独特な構造の大橋)についても触れられています。
天正十一年(1583)に北ノ庄城は未完成のまま落城してしまいますが、勝家は治政7年間のほとんどを城と城下町の経営に費やしていたようで、まさに現代までの福井の発展の基盤は勝家によって造られたと言っても過言ではないでしょう。
そんな北ノ庄城は江戸時代に入ってから越前六十八万石の太守となった結城秀康によって築城し直されます。地上から勝家の痕跡を無くすかのように…。
柴田神社境内(北ノ庄城址・柴田公園)がかつての本丸跡と伝えられ、発掘調査の結果を踏まえ美しく整備されています。
この地は福井城日向門跡でもあり、遺構のほとんどは福井城関連のものですが、その下の層からは北ノ庄城のものと思われる石垣の根石部分が出土し、今も見ることが出来ます。
あと、柴田神社に隣接して資料館(入館無料!)がありますので、是非行ってみて下さい。柴田勝家が九頭龍川に架けた舟橋の鎖や九十九橋の石の橋脚、北ノ庄城ゆかりの出土品や石瓦なども展示されています。必見ですよ!
ちなみに、柴田神社の御祭神は言うまでもなく勝家公とお市の方です。
北ノ庄城が落城した四月二十四日の夜半、首の無い武者の行列が城へ向けて音も無く九十九橋を渡るといい、それを見たものは怪死を遂げるという…そんな怪異を勝家公や死んでいった者達の怨霊と考えたのか、この地に石の祠を造り、その四月二十四日に福井藩士を中心に祭礼を行ったのが始まりなのだとか。
他にも勝家、お市、三姉妹の銅像があったり九十九橋が再現されていたりと見所がたくさん詰まった柴田公園。
行ってみて本当に良かった…!
その後は福井城本丸跡をチラ見して、丸岡城へ向かいました…。
時間の都合上いろいろ見れなかったので、今度は近いうちに再訪して細かく見てやろうと固く決意した私でした。
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