今治城は慶長7年(1602)から9年(1604)にかけて藤堂高虎によって築かれました。石垣と堀は当時の姿をほぼ残しているようです。本来の天守は層塔型の美しい建物だったのですが、現在の再建された模擬天守はすいぶん形状が異なるようです。だいぶ昔ですが、私が訪問した時はただのエレベータ付き展望台として機能していたと思います。今はどうなのでしょうか?
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2025/01/26 11:27
2024/12/15 12:20
2024/11/08 10:30
お城への交通手段レポート (2024/11/01 訪問)
愛媛+α城廻:第一日
※大洲城と共に登城
今治市に着くとあいにくの雨、散策後半はお濠にも波紋が結構広がるくらいの雨でした
堀は思ったより広い海水の堀、残念ながら泳いでいるというクロダイやスズキは確認できませんでした
模擬天守だが、近くで見ると迫力ある天守に隅櫓もあり、本丸には神社が建立されていました
鉄門にある鏡石は立派で目を引きます
【本日の行程は以下の通り】
6:00東京(新幹線)、9:26,10:00福山駅前(高速バス)、11:30今治桟橋
(歩11分)今治城(9:00-17:00無休:百名城スタンプは天守入り口)
12:36今治城前(路線バス)、12:45,13:01今治駅(JR)、14:09,14:28松山駅(JR宇和海17号)、15:02伊予大洲,15:17大洲駅前(コミュバスぐるりん)、15:29大洲城前
大洲城(9:00-16:30無休:百名城スタンプ台所櫓入口券売所)、三の丸南隅櫓
(大手門歩6分)17:47大洲本町(路線バス)、18:48宇和島バスセンター
泊:宇和島
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2024/09/16 19:49
藤堂高虎築城の城 (2024/09/13 訪問)
村上海賊の城を廻った後、最後は今治市内に入り、今治城に立ち寄りました。今治城は、10年ぶり。今回で4度目の登城となりました。
今治城の地は、瀬戸内海に面し「吹揚の浜」と呼ばれた砂丘地帯だったとか。城の山里櫓方面にはその名も「吹揚小学校」が隣接。運動会前の練習なのか、吹奏楽部と思われる子ども達が「宇宙戦艦ヤマト」の演奏をしており、曲に合わせて旗振りのパフォーマンスをしていました。
さて、今治城の話にもどりますが、この城は築城の名手として名高い藤堂高虎が、関ヶ原の戦功で伊予半国20万国を領し、慶長7年(1602)に築城を開始。約6年の歳月をかけ、慶長13年頃にほぼ完成したとのこと。創建時には史上初の層塔型天守が建てられていたとか。層塔型は構造が簡単で建立が容易あるため、その後の天守のモデルになったのだそうです。天守は、その後慶長15年(1610)に丹波亀山城に移築されたとのこと。現在は、層塔型の模擬天守が立っており、資料館となっています。
天守の他にも、御金櫓(おかねやぐら)、山里櫓(やまざとやぐら)、鉄御門・武具櫓(くろがねごもん・ぶぐやぐら)の中に入ることができます。櫓内は、美術館等になっています。本丸にある吹揚神社にお参りもしました。いろいろ巡れて大満足です。さすが100名城。美しい城でした。
【今治城】
開館時間 :9:00〜17:00
休館日 :12月29・30・31日
天守等観覧料:一般520円 学生260円 高齢者420円 高校生以下無料
駐車場 :乗用車1時間100円
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築城名人の藤堂高虎が来島海峡の監視基地として築いた海城。本丸・二の丸の海側には高石垣を備えていたが、陸側の防御は土塁だけだった。海水を引いた水堀を曲輪の周囲に巡らせ、軍船が出入りできるようになっていた。本丸には、破風を持たない日本初の層塔型の天守が建てられ、現在は模擬天守が再建されている。
城地種類 | 輪郭式平城(海城) |
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築城年代 | 慶長7年(1602) |
築城者 | 藤堂高虎 |
主要城主 | 藤堂氏、松平(久松)氏 |
文化財史跡区分 | 県史跡(今治城跡) |
天守の現況・形態 | 型式不明[5重?/1608年築/解体(丹波亀山城へ移築?)]、複合式望楼型[5重6階/1980年築/RC造模擬] |
主な関連施設 | 模擬天守、鉄御門、多聞櫓5棟、石垣、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀)、犬走り |
住所 | 愛媛県今治市通町3-1-3 |
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問い合わせ先 | 今治市役所産業部観光課 |
問い合わせ先電話番号 | 0898-36-1541 |