遊佐町からの帰路は酒田・尾花沢経由としました。その途中大蔵村通過の際、道路脇の「県指定史跡清水城跡」の案内看板が目に留まり攻城することに。この城は最上氏の祖斯波兼頼の曽孫満久が文明8(1476)年に清水に配され、二年後に築城し清水氏を名乗りました。当時この地は最上氏領北端にあたり、北方の政治拠点の確保と最上川舟運の掌握が目的だったと考えます。
城地は最上川左岸に張り出す段丘と深い谷を利用した天然の要害。比高45mほどで最高所に東西65m、南北80mの本丸を置き、その南側に堀で囲んだ出丸、さらに東西95m、南北75mの広大な二ノ丸を連ねて、南側に広がる台地との接点は大規模な土塁と堀によって遮断する連郭式の構造。
城址に到着して先ず本丸を目指しますが、本丸防御の要であった出丸(馬出)は現在林になっており、堀切、土塁は時節柄草が伸びて判りにくい状態。さらに進むと深さのある堀切で画された本丸は広々として、北東隅にある四阿からは最上川がよく見渡せます。二ノ丸南側の台地には最上川の舟運をおさえ繁栄した清水氏の家臣屋敷や町家、寺院など城下町があったと言われていますが、現在は一面田んぼとなり跡形もないのが残念です。
清水城は元和8(1622)年の最上氏改易により廃城となります。最上川流域の中世山城の遺構を今に残す貴重な存在と感じました。
東北中央自動車道(国道13号線)舟形IC出口から11km(14分)。二ノ丸側に専用駐車場あり。
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