しみずじょう

清水城

山形県最上郡


旧国名 : 出羽

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本丸
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朝田 辰兵衛

チェブさんへ~歩き続けて足の指黒くなる,爪取れる…~ (2024/04/13 訪問)

以前のチェブさんの投稿で,「歩き続けて足の指黒くなる,爪取れる…」とありましたが,私も経験あります。ちょっと調べるのに時間がかかりましたが,ご容赦ください。
2019年7月12日,初九州,初福岡県の攻城時のことです。西鉄太宰府駅から徒歩開始。岩屋城,大野城と巡り,再び西鉄太宰府駅に戻るのがイヤだったので,山越え(もみじ谷越え)して,水城を散策。西鉄都府楼前駅に戻り,ホテルを予約してある天神まで。約6時間半歩き続けました。4万歩超え。実は,大野城散策中に右足の靴紐が切れました。必然的に足の指先に力を入れる形で負荷をかけ過ぎたようです。この時,右足の人差し指の爪が少し長かったのが一因となり,結果して「歩き続けて足の指黒くなる,爪取れる…」となりました。
対処は放置プレイ。なるべく指に負荷をかけない歩き方で。約8ヶ月後,自然治癒力で回復の実感がありました。さらに2ヶ月して,完全復活しました。人間の再生能力を実感したワンシーンとなりました。ご参考になさってください。

さて,清水城ですが,todo94さんの投稿にもあるとおり,チェブさんのようにマイカー攻城の方におススメの城です。外堀のすぐそばに駐車場があり,内堀までのまっすぐな散策道(大手道)が舗装されています。内堀から本丸までは「ちょいダウンして,ちょいアップ」。ここで達成感を満喫できるでしょう。

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ぎりょう

最上川舟運をおさえた中世山城 (2023/08/11 訪問)

遊佐町からの帰路は酒田・尾花沢経由としました。その途中大蔵村通過の際、道路脇の「県指定史跡清水城跡」の案内看板が目に留まり攻城することに。この城は最上氏の祖斯波兼頼の曽孫満久が文明8(1476)年に清水に配され、二年後に築城し清水氏を名乗りました。当時この地は最上氏領北端にあたり、北方の政治拠点の確保と最上川舟運の掌握が目的だったと考えます。
城地は最上川左岸に張り出す段丘と深い谷を利用した天然の要害。比高45mほどで最高所に東西65m、南北80mの本丸を置き、その南側に堀で囲んだ出丸、さらに東西95m、南北75mの広大な二ノ丸を連ねて、南側に広がる台地との接点は大規模な土塁と堀によって遮断する連郭式の構造。
城址に到着して先ず本丸を目指しますが、本丸防御の要であった出丸(馬出)は現在林になっており、堀切、土塁は時節柄草が伸びて判りにくい状態。さらに進むと深さのある堀切で画された本丸は広々として、北東隅にある四阿からは最上川がよく見渡せます。二ノ丸南側の台地には最上川の舟運をおさえ繁栄した清水氏の家臣屋敷や町家、寺院など城下町があったと言われていますが、現在は一面田んぼとなり跡形もないのが残念です。
清水城は元和8(1622)年の最上氏改易により廃城となります。最上川流域の中世山城の遺構を今に残す貴重な存在と感じました。
東北中央自動車道(国道13号線)舟形IC出口から11km(14分)。二ノ丸側に専用駐車場あり。

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カズサン

桜の頃に来たかった❣土塁と空堀が絶品! (2020/10/25 訪問)

 鮎貝城、荒砥城を終えて国道287号線沿いの白鷹ヤナ道の駅でトイレ休憩、鮎の塩焼き匂いに誘われてビールを飲む訳にいかず昼飯用に鮎の炊き込みご飯、鮎の唐揚げを購入。
 後はひたすら国道287号線を北上、最上川の川沿いを走る、小雨でしたが紅葉もしっかりと見え良い景観でした、左沢楯山城辺りでは最上川左手奥に懐かしく山城を確認しながら走行、山形西部街道(国道347号線)をさらに北上し県道30号線に入り途中崖崩れで通行止め迂回して国道13号線へ舟形から県道31号線を大蔵村へ、後はナビに従い清水城の駐車場へ、その前に2の丸から外堀大土塁が目の前に現れ胸はドキドキ興奮状態駐車場に停める前にノックアウトです。 約2時間半ほどの走行で道は良くスムーズでした。

 車を駐車場に停め私1人だけの貸切状態、トイレ無く立派駐車場です。
 城郭放浪記さんの桜の時期の写真が頭に入ってるので土塁上の桜の木を見ながら想像するが寂しい限り、外堀土塁、空堀、南城下町方向今は田圃、2の丸も今は田圃、内堀、内堀と本丸堀切と間の細長い曲輪、本丸堀切を降りて登って本丸へ本丸は草原以外に広い、北先端に東屋、曲がった最上川が見下ろせる。最上川に沿い北に伸びた丘陵を堀切で刻み城郭にした丘城かな?東西は崖に成ってる良い造りですし開発に耐えてよく残ってくれたと感謝です。

 歴史的には源義家の末裔斯波氏の流れ成沢城主兼義の子満久が大蔵村の地に入部し文明10年(1478年)清水城を築き清水氏を称する、以来7代約140年継承、6代義氏に子無く最上義光の3子義親を養子に迎える、義光2子家親は徳川家近習、3子義親は豊臣家近習と仕え、関ヶ原、大坂の陣頃より対立が深まり兄家親に攻められ7代続いた清水義親、清水家は滅亡慶長19年(1614年)。(本丸案内板より)

 雨は少し上がり晴れ間も出ましたが黒い雲が走り突風が吹き不安に成りながら探訪撮影、良い城です、桜が咲いてたら最高でしたが?丁度同報無線の正午のサイレンが鳴り車の中で白鷹ヤナ道の駅で求めた鮎ご飯、鮎の唐揚げで昼食にしました突風で車が揺れるほど。

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昌官忠

清水城 (2020/06/29 訪問)

城址駐車場(38.697200、140.2254)に駐車して攻城。二の丸は水田になっていて面影はありませんが、二の丸南側の堀と土塁は一見の価値あり。二の丸と本丸の間に堀切がありますが、草で覆われていて深さがよくわかりませんでした。本丸から最上川がよく見えました。攻城時間は25分位でした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 清水(成沢)満久
築城年 文明8年(1476)
主な城主 清水氏
廃城年 元和8年(1622)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(清水城跡)
再建造物 石碑
住所 山形県最上郡大蔵村清水、比良
問い合わせ先 大蔵村教育委員会社会教育係
問い合わせ先電話番号 0233-75-2323