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くろもり

兵どもが夢の跡 (2012/07/14 訪問)

天守もない、大きな石垣もない。城=天守と思ってる方には、少し石垣が残ってる程度のただの山でしょうが・・・
最盛期には山陰・山陽八ヶ国(出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後)の守護であったものの、そのわずか15年後には毛利氏の侵攻により滅亡した尼子氏の居城。
この月山富田城を奪回する為に山中鹿介こと山中幸盛公が「我に七難八苦を与えよ」と月に祈り、主家の尼子氏再興の為に一生を捧げたと思うと、込み上げてくるものがあります。
尼子経久公・晴久公(国久公と誠久公も)・義久公・勝久公・山中幸盛公等の尼子氏にゆかりのある人物を知っていると、目には見えない往時の景色が見えてくるような、そんな気持ちにさせてくれる城址です。
以下、写真の説明です。
1枚目・・・本丸にある山中鹿介記念碑。割れたような石碑が悲愁を誘います。今は背後の木が綺麗に整備されているようです。
2枚目・・・千畳平の尼子神社。八ヶ国の守護の面影もない小さな社に思わず目頭が熱くなりました。
3枚目・・・月山富田城前を流れる飯梨川。国破れて山河ありといった感じ。往時もこのような風景だったのか。
4枚目・・・洞光寺の尼子清定公・経久公墓所から見た月山富田城(突き出た山の所)。両公は尼子氏栄華の跡を見守っています。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー88個目 (2018/11/23 訪問)

本当は麓から歩いて攻める予定だったのだが、たかとり城まつりの開催日に当たっていて観光駐車場はすべて関係者用の駐車場となってしまっていた。仕方なく前回同様、壺坂口に車を回す。大手門跡まで攻め上った後は、猿石まで下る。数々の門跡が連なっていて、このあたりが最強の城に選ばれた理由の1つになるのだろう。山中にこれだけの石垣が残っているのは驚きだ。国見櫓跡にも寄り道をして大和三山を俯瞰する眺望を楽しんだ。天守台が聳える本丸周りは、紅葉が色づいていたが、14年前の2004年11月の高取城の紅葉の美しさには到底及ぶものではなかった。

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チェブ

方向音痴にもほどがある! (2018/11/23 訪問)

連休の初日、東京都町田市の小野路城に行きました。
前回に行った小山田城(鹿児島県のとは違います)の支城です。
小山田城は「お城を探す」に入ってないのに小野路城は認定されてました。

小野路城までもなかなかたどり着けなかったのに、城攻めを開始すると、どこをどう歩いてしまったのか予習していた井戸跡やら鎌倉古道の祠など見つけられませんでした。

でも、見つけてしまったのが「青山学院陸上部 寮」!
町田市で迷っている時にありました。
お正月の箱根駅伝の山越えパワーは、この辺りを走っているからなんですね。
私はこの後、2城、近くに行くもののたどり着けませんでした。
不完全燃焼の初日でした。

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カルビン

押すなよ?!絶対に押すなよ?! (2015/03/22 訪問)

頑張って車で関西遠征してきた最終日、中央道沿いにお城を見ながら帰った際に立ち寄ったのが松尾城。

隣に鈴岡城があるのですが、どうもこの両城の城主、とても仲が悪くて度々戦っていたんだそう。。。

でも、この両城の間にはとんでもない深い渓谷がある為、直線的な戦いは無かったと思われます。

今はその両方をつなぐ細い橋が出来た為、最短で行き来が可能になりました。
・・・決して簡単な道ではありません。。。高所恐怖症の自分にとってはwww


松尾城は鈴岡城と比べると規模も遺構も少な目です・・・が、鈴岡城の方が訪問者多かった為、駐車場の空いている松尾城側に駐車して両城見学するのが効率良さそうです。
自分は橋が怖くて車で移動しようとしましたが・・・とドケチ根性が上回って、2度の罰ゲーム(行きと帰りw)でがんばりました(笑)

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モト

さすが国宝天守!! (2018/11/20 訪問)

待望の天守ありの城址訪問に心踊る攻城のはずでございました。
なんといっても国宝、現存天守にワクワクしながら訪れました。
到着したのが16:35。
ネットの情報では17:00までという記事もあったので、セーフ!!
なんて思ったら、まさかの16:30まででした。
ギリギリ間に合わずです。
仕方なくこの日は遠目から天守を拝んで帰りました。
ま、なんとなくのライトアップが見れたしいいか。
自分を慰めながら退散しました。

国宝天守、遠目からもきれいでございました。
入れなかったこともあり、余計に輝いて見えた国宝天守でした。

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コバトン

奇跡的に残った山城天守 (2018/03/28 訪問)

備中高梁駅から予約した乗合いタクシーで山の中腹まで行き、そこから徒歩で山道を15分。不便な山頂にあるが故に廃城令による破却を免れた奇跡のお城。堅固な石垣に目を奪われる。こんなところに石垣積むのも天守建てるのもさぞ大変だろうなぁ…。

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コバトン

南国土佐の特徴が詰まったお城 (2018/06/10 訪問)

江戸時代に築城された城だが長宗我部残党が不穏な動きを見せる中の統治のため防御性にも優れる。
天守は美しいだけではなく、居住域が残って生活感がある。実際に住んでみたくなるようなお城。
あえて野づら積みを多用したのは降水量が多い土佐の地域性ゆえ。水はけの良い野づら積みが適しているらしい。
色々と特徴を感じられて面白いお城です。

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にのまる

任務完了('◇')ゞ (2018/11/23 訪問)

一度目は勘違い、二度目は城域に踏み込むも日没で途中棄権。
「✔︎行った」ポチしたけど、気持ちは「♡行ってみたい」のまま。
やっぱり、ここを攻略しないことには私の平成は終わらない…。
くろもりさんに背中を押され(押してない?)三度目のチャレンジしてきました。
体力は気力で補えるので、足りないのは時間だけ。
ということで、午前10時に浅間神社から登城開始。(余裕持ちすぎ!)
三度目ともなると山頂までは軽々行けます。約17分で山頂(=スタート地点)に到着。
ここからまずは前回リタイアした地点まで一息に進みます。前回と同じく10分で到着しました。
いよいよ未踏の地へステップイン!
小山を登って下って切岸を越え、もう一つ小山を登って下って、ふと右を見るとそこに城址碑が!
会いたかったんだよ、君に!!
突然現れたので、ゴール手前のあのワクワクドキドキ感は全然なかったけれど。
前回地点から城址碑までは7分でした。
主郭にあたるここは土塁に囲まれ、下界がよく見渡せます。
今川館(現:駿府城)の詰の城だったというのも納得。信玄さんが欲しがったのも納得。家康が「いらない!」と言ってポイしたのも納得。

麓の浅間神社からだと40分見ておくといいと思います。
ハイキングコースなので険しくはないのですが、距離があるので時間がかかるというのと、木の根っこが階段代わりにもなるけれどつまずきやすいという、ありがたいようなありがたくないような箇所が何か所もあります。崖っぷちも歩きます。
尾根伝いにまだ先へと縦走するハイカーさんたちを見送り、元来た道を戻りました。

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kumeak

雑感 (2018/11/25 訪問)

麓から片道2Km程度で急勾配も無く、想像より楽に登城することが出来ました。
事前の調べでは、北郭と主郭の虎口を枡形と書かれていたが、石垣作りではあるが「完全に」「単なる」
平入りの虎口にしか見えませんでした。
しかも、主郭周囲は石垣作りで(安土以前!!)主郭南側は土塁となっていたが石塁と、事前調べと違い面白い経験でした。

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赤い城

徳川御三家である水戸徳川氏の居城 (2018/11/25 訪問)

水戸駅から徒歩で5分。
水戸徳川氏の居城です。
100名城スタンプは弘道館窓口にあります。
近年整備が進み、現在は大手門の復元工事中です。

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赤い城

石碑が建っているだけです (2018/11/10 訪問)

水戸駅から徒歩で20分くらい。
竹熊市民センターに石碑が建っているだけです。

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赤い城

妙徳寺が跡地 (2018/11/10 訪問)

常磐道の水戸インターから近く、妙徳寺が跡地になります。
寺の裏手に堀が良好に残っています。

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todo94

続日本100名城スタンプ69個目 (2018/11/11 訪問)

初めての時は、青龍の滝方面から七つの堀切を越えたどり着いた。今回は麓から徒歩にて登城していく。急坂登はなく2kmほどの登城は想像以上に楽だった。西の郭へは急坂登だったため今回は割愛。次回の最重要課題としたい。

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赤い城

徳川ミュージアムの近くにあります (2018/11/25 訪問)

徳川ミュージアムから徒歩で7分くらい。
石碑が建っています。
時間がなかったので少しだけ見学。
土塁や堀も残っているそうです。

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ヒロケン

多気北畠氏城館及び霧山城 (2018/11/25 訪問)

国史跡多気北畠氏城館跡は、伊勢国司北畠氏の居館と山城の総称です。北畠氏が住まいとした居館である北畠氏館跡は、現在の北畠神社境内付近にあたります。その一部が今も北畠氏館跡庭園として現存しており、紅葉の名所として知られています。
標高320mにある北畠氏館跡の背後には標高約400mの所に詰城跡、さらに標高約560mの山頂付近に霧山城跡があります。

急峻な山道を15分程登ると詰城跡に到着。詰城跡の脇を通って更に山道を30分程登っていくと、ようやく霧山城跡にたどり着きます。霧山城跡は二つの曲輪群からなる山城で、曲輪周辺には土塁や堀切が良好な形で残っています。

朝9時頃北畠氏城館跡に到着。居館跡は後回しにして、朱色の鳥居をくぐり左へ。1時間程で鐘撞堂跡へ到着、鐘撞堂を通り過ぎ真っ直ぐ山の尾根を突き進む<(`^´)> 20分くらい進んでも霧山城に辿り着けない(´・_・`) あれっ看板も無くなり、獣道も無くなり、山の尾根筋を突き進む(○゚д゚)ャバィカモ・・・とうとう、90度くらいありそうな壁が(◎-◎;)!!周りを見回しても登れそうなところなし。
5分程どうするか考えたが、どう見ても命の危険が(○゚д゚)ャバィカモ・・・。
鐘撞堂まで引き返し山仕事をしていた方に、「霧山城に行くにはどう行けば良いですか!?」と訪ねたところ、「そこに見えてるよ」って
指差してくれました。もう少しで遭難するところでした。

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あんらくごえ

天然記念物を城で見た (2018/07/15 訪問)

2018年7月の事ですが、久保田城の堀周辺を散策していたらカモシカを発見しました
8時ぐらいだったと思いますが、結構街中なのに驚きました

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カルビン

行きたてホヤホヤ (2018/11/25 訪問)

私有地の為、以前は入れないと伺ってましたが・・・
国(もしくは市)の働きかけで地主様との調整が進み、城域の見学させて頂ける見学路が出来たとの情報得たので、今日早速訪問させて頂きました。

有る程度開発の進んでいる場所の為、遺構はそれ程残っていない・・・と思ってましたが、なかなかどうして満足出来るだけの遺構が残っておりました(土塁、虎口、切岸、曲輪等)

しかも整備されているのは地主様ということで、頭が下がりますm(_ _)m

皆様におきましては立入禁止区域に入ったり、ゴミを捨てたり、地面掘り返す等ご迷惑をかけない様、マナーを守って見学して頂きたいと思います。


本サイトに登録されておりませんが、ここから東に400m程行った場所にある姉崎小学校の北側の門のところには「鶴牧城」の石碑と標柱があります。
おそらく小学校と、そこから西にある椎津稲荷山古墳を含めた一帯が鶴牧城(陣屋)にあたると思われますが、遺構は無いとの事だったので城碑(もちろん学校の外から)だけ撮影して撤退しました。。。一応ご参考まで。

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ぽんたっく土佐守

リベンジ成就! (2018/11/25 訪問)

高知市内中心部から車で約30分で着きます。
前回発見した登城口から登ると
源希義を祀った神社(写真8)から先へは進めませんでした。
もう一方のルートは登れど登れど墓地ばかり…。
一旦下山して朝峯神社(写真5)から再登城。
宮司さんに登城口を尋ねると
「ほとんど人が通らないので獣道になってると思いますよ…」とのこと。
それでも木に貼られた赤いビニールテープをめざして登っていくと
曲輪や土塁と思われる遺構かいくつかありました。
山頂裏手に出ると太平洋が一望できます。
とにかく「道」はありません。
ひたすら斜面を登っていきますので
トレッキングポール等の装備は必需品です。

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山口駿河守幻夢斎

城城跡

何年か前に行きましたが、主要部は立ち入り禁止、遠目に腰郭や堀跡は確認できましたが、フェンスに囲われていて、入れませんでした。

フェンスのドアが開いてたんで、強行突入しようと思えばできましたけど。していませんよ、もちろん。

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山口駿河守幻夢斎

森山城跡

山麓に、水堀跡、注意深く見ていくと、空堀や土塁が残っています。ヤブ漕ぎしますけどね。

収穫周囲だけは、きれいに整備されています。

最初に訪れたときに、郭内を猛スピードで走るキジと、それを追いかけてきたイタチ?タヌキ?を目撃しました。

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