しもあかさかじょう

下赤坂城

大阪府南河内郡

別名 : 赤阪城、楠木館
旧国名 : 河内

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

棚田散歩 (2024/02/24 訪問)

今、南北朝時代が静かに熱いです。個人的には戦国時代の背景や武将たちが好きですが、洗練された戦国の武将たちに比べて、無骨で荒っぽいネイティブな南北朝時代の戦や武士(もののふ)達にも魅力を感じます。
南北朝時代だと私が好きなのは楠木正成や護良親王(大塔宮)ですね。親王は皇子なのにゲリラ戦ばっかりやってるのが良いですね。
「逃げ若」だと、痛鎧の石塔範家ですかね(なんで?)。
下赤坂城は標高185.7m 比高61.4mの丘陵状に築かれた山城(案内板による)です。最近は比高100m以上を山城にしようという動きが学会を中心に起きているようです。確かに高低差は重要な要素ですが、詰の城って大概、50m~100mぐらいの間に築かれているんですよ。厳密に言えば江戸城や名古屋城も、元々は丘の上に築かれているし、それだと城郭は平山城ばっかりになってしまうんですね(カオス)。
歴史や用途(築城者の意志)、地形的要素や城郭の構造などを考慮すると比高100mに満たない城でも山城に匹敵する城は山ほどあり、比高100m以上にある単郭の砦を山城とするなら比較自体がnonsenseになります。現状では誰も明確な区別をつけることが出来ないのではないでしょうか。
高低差のみで判別するのなら、kodomoで事足ります。
下赤坂城の駐車所から10分ほど歩くと城址碑のある場所に到達します。周囲は棚田として開墾してあり、正直山城としての雰囲気は感じません。とはいえ、平山城というとちょっと違う気がします。当時の城址の面影がまったく無いので、どのような防御態勢を取っていたかがイマイチ判別できない。とはいえ楠木正成や護良親王ゆかりの城でもあるので、ここに来るだけの意味は十分にあるわけです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

【城と看板】楠公さんから言われては… (2019/01/13 訪問)

下赤坂城の城址碑と説明板が建つあたり(下赤阪の棚田)に、かつては駐車場があったようですが、訪れた時点では10分ほど歩いたところに駐車場が新設されて、自動車での乗り入れは禁止になっていました。写真はその際に見つけた看板で、楠公さんの城めぐり中に当の本人から言われては従うしかないよなぁ、と妙に納得した覚えがあります。
 

+ 続きを読む

棚田を眺めて (2021/10/14 訪問)

「赤坂中学校前」のバス停から中学校付近を通って上がろうとしましたが、今はここからは行けなくなっているとのこで、大回りをして城址碑まで行きました。北の方へ歩いて行くと下赤坂城本丸の石碑もありました。観光客も何人かいましたが、棚田を見に来ていたんでしょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

下赤坂城・棚田・楠木正成生誕の地 (2020/06/07 訪問)

【下赤坂城】
<駐車場他>消防署千早赤坂分署横に6台分無料Pあり。
<交通手段>車

<感想>赤坂城の戦いで舞台になったところ。後醍醐天皇の皇子護良親王を擁した楠木正成が下赤坂城に約1ヶ月籠り戦ったが、にわか造りの城だったので落城、護良親王は逃れ、楠木正成は金剛山に潜伏した。南北朝期にも使用されたが再び落城した。

 土塁と城跡碑がある所は棚田の展望台にもなっており、駐車スペースはありますが封鎖されていて近くまでの車の乗り入れは控えた方がよいです。道が狭いので駐車スペースはありません。上記駐車場に駐車して途中の棚田を眺めつつ訪れるのが良いでしょう。
土塁・城跡碑・説明板以外は特にこれといった遺構は無いですが、棚田の眺望が素晴らしいです。主郭は役場付近にあったようです。

 楠木正成生誕の地碑があるのは千早赤坂村立郷土資料館の横にあります。楠木正成産湯の井戸は資料館・道の駅のある道路を挟んで真向かいにありますが、2018年の台風21号の影響で立入禁止になっていました。残念。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成
築城年 元弘年間(1331〜1334)
主な城主 楠木氏
遺構 消滅
指定文化財 国史跡(赤阪城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 大阪府南河内郡千早赤阪村下赤坂
問い合わせ先 千早赤阪村役場
問い合わせ先電話番号 0721-72-0081