やまかみじょう

山上城

群馬県桐生市


旧国名 : 上野

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じゅんじん

公園 (2021/11/07 訪問)

史跡が残されつつ子供も遊べる公園でした。空堀が残ってます。

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pascal

藤姓一揆の集合拠点か (2014/09/20 訪問)

 山上城は藤姓足利氏の一族である山上氏の居城でしたが、ここも一土豪の城を越えた、巨大な城址でした。

【アクセス(車)】
 膳城の次に訪れましたが、膳城からは直距離1km未満の、目と鼻の先にある城址です。
しかし地図上では道がゴチャゴチャして判りにくいのでナビに任せたら、ものの3分で到着しました。
入口に櫓を模した看板と、資料館のある駐車場がありますが、満車の場合は北100m(常広寺の方向)にも広大な駐車場があります。

【城の歴史】
 平安末期の足利五郎高綱の居館がスタートの様です。
山上氏は源頼朝~足利尊氏に従ったので、常に勝ち組でしたが、上杉氏と古河公方が戦った“享徳の乱”では上杉氏に付き、古河公方に攻められて、落城の憂き目に遭います。
しかし金山城の由良氏の支援で奪還し、以後は由良氏の傘下に組み込まれます。

 戦国中期の北条氏の侵攻、そして上杉謙信の侵攻で争奪の場となった山上城ですが、下野に追われた山上氏に替わり謙信配下の大胡氏が入って支配します。
 大胡氏は厩橋の北条(きたじょう)高広と共に北条氏に寝返り、戦国末期は北条傘下に居ましたが、豊臣秀吉の小田原征伐では片桐勝元に攻められて落城し、廃城となりました。

【見どころ】
 北から本丸、二ノ丸、三ノ丸と連郭の城ですが、それぞれの郭が巨大で、普通の豪族の城ではない事が判ります。
西側は堀を二重にして土塁を高く積み上げているのに対し、東側には堀はなく、下段に広い帯曲輪を備えます。
西の勢力に備えた縄張りですね。
三ノ丸の南には丸馬出(らしき)遺構があり、武田氏の関与も窺われますね。

 本丸と二ノ丸は広葉樹林に覆われて、城遺構は良好な状態で眠っています。
壇上にはラピュタのロボットみたいに昭和期(?)の児童遊具の残骸が多数あり、これもまた歴史遺産を感じさせます。

【感想】
 資料館の学芸員さんとの話によると、城と言うより全体が館構造で、周辺の豪族が集結した場所だそうで、南にある膳城が詰め城の役割を果たしたのでそうです。
中世までの戦いは平地に布陣しての野戦が作法ですから、味方同士は何処かに集結して戦場に赴いたのでしょうね。
 この地域には藤原秀郷を祖とする氏族の共同体:藤姓一揆がありましたから、山上城がその集会場になっていたと想像できます。
あれこれと、弱小豪族の生き様が見える様な気がする城址です。

 戦国期には、争奪戦も有った様ですから、本丸を中心に城の強化で改修された事でしょう。
おそらく防戦機能の多くは、戦国期のものでしょう。
武田氏の関与に関しては、有るとすれば天正8年(1580)の勝頼の東上野への侵攻ですね。
広かった山上城が陣城として使われ、その際に馬出しが築造されたのでしょう。
そうすると膳城の『素肌攻め』には、この城から出発したのかも知れませんね。

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みやびと

山上城 (2020/09/20 訪問)

想像よりもかなり遺構が残っていました。

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響ちゃん

晴れ (2020/04/23 訪問)

芝生広場北側の主郭にある朽ち果てそうな遊具が残念ぽい…

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 足利高綱
築城年 平安時代後期
主な城主 山上氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、帯曲輪、土塁、横堀(空堀)、物見台跡
指定文化財 県史跡(山上城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 群馬県桐生市新里町山上282
問い合わせ先 桐生市教育委員会管理部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0277-40-1212