桐生市のHPに、山上城は藤原秀郷の流れをくむ、山上五郎高綱によって築城され、子孫も代々この地域を領し、関東管領・上杉氏の頃は東上州で重きをなしたと伝えられる。しかし、北条・武田・上杉などの群雄割拠時代のなかで、16世紀終末ころに廃城になる。
城の構造は、並郭構造で北から笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸・南郭と南に並ぶ。南郭には物見台の跡が残っている。南北650メートル、東西220メートルと細長く、平坦な郭構造ではなく、丘城ともいわれています。周囲は自然の要害である蕨沢川と谷によって守られていた・・・と載っている。
櫓風建屋にも駐車場があるが、先に常光寺手前に広い駐車場がある。思いがけない雪となり、雪と寒さで端まで見学ができなかった。曲輪内の土塁は確認出来ないが、曲輪を隔てる空堀・土塁はよく残る。南の公園(三の丸)・二の丸・本丸には遊具が設けられているが、多くは壊れた物が多い。晴れの日と違い墨絵のような景色も美しい。
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