新潟県村上市の村上城です。別名を舞鶴城ともいい、村上市街地の東に築かれた標高150mの山城です。この城は室町時代以降この地の地頭となった本庄氏の根拠地で、揚北衆の一人として戦国時代上杉謙信に対して本庄氏当主繁長は抵抗しました。謙信に従った後も1568年武田信玄に内通し反乱を起こし、村上城に籠城。謙信の攻撃を受けましたが勇猛な繁長はゲリラ戦と夜襲により謙信軍に多大な被害を与え、翌年会津芦名氏の仲介で許されています。1598年景勝の時会津に国替えとなり代わりにこの地に入った村上頼勝が大改造を行い、その後、堀氏、松平氏によって本格的に築造され、三層の天守閣が威容を誇ったとされます。しかし、1667年落雷により天守は焼失。その後1720年内藤氏が城主となり以降幕末まで130年間続いています。戊辰戦争では新政府軍の攻撃受けた村上城は、村上藩兵自らが火を放ち城は焼失、現在は山上の石垣が往時の名残を残すみのです。城は市街地の東の臥牛山の山頂に本丸、二の丸、三の丸を配し、中腹に大小の曲輪を設け、西側麓現在の城山児童公園に城主居館があったとされます。児童公園から歩道を登り約25分程の山頂本丸を目指しますが、公園の駐車場は狭いため、500m離れた市役所駐車場に置いて登りました。
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