玉石垣で有名なお城だが城域の保存状態、本丸の切岸、松尾丸の池、それに北東尾根を断ち切るダイナミックな堀切など見所満載だ。
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2024/03/11 22:38
2024/02/01 07:51
櫓門南前面が整地化されスッキリ (2024/01/30 訪問)
松尾山北、東の大空堀を堪能した後、西の丸下の駐車場に戻り、大空堀投稿の写真に花を添えようと横須賀城の見所である玉石垣の本丸南下櫓門周辺玉石垣を撮影しようと本丸下枡形によると、何か明るいスッキリしたなと感じると、なんと三日月池が見通せて、旧道の両脇に在った建物が取り払われて整地されていた、中土居道である県道41号線まで見通せて南側外堀跡まで整地されている。
整地後はガイダンス施設か?大型観光バス駐車場か?期待される施設で有ればいいのですが?。
整地された所より櫓門跡、本丸、西の丸南側の玉石垣を正面より撮影、以前は斜めに撮るしか無かった玉石垣を真正面から撮影する事が出来ました。
後はサラッと本丸南前面の玉石垣壁、東虎口から本丸、発掘整備された天守台、立体模型、最後の城主西尾子爵による横須賀城址碑、西の丸、本丸石段上部と西の丸石段上部から建物が取り払われて整地に成った所を撮影し見下ろす。
駐車場からまだ確認して居なかった二の丸北西角の不開門跡、と西側外堀の確認、現在はコンクリートの水路と埋め立て地と成っています。駐車場から西へ約300~400m程の所に標柱が有ります。
この後は不開門が移築されてる撰要寺・撰要寺砦を探訪見学しました。
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2024/01/31 17:19
大空堀初探訪 (2024/01/30 訪問)
昨年4月10日登城した折に松尾山より大空堀を見下ろし圧巻のスケールに驚愕し、草も枯れ周辺の草刈もされた冬枯れの時期に大空堀を探訪しようと思っておりました。
令和6年の初登城は掛川城1月6日、以来寒さと出不精で3週間炬燵とパソコンで皆さんの投稿を拝見しておりましたが、昨日晴天風無く穏やかな日和、以前からの懸案の横須賀城大空堀探訪に出掛けました。
駐車場:横須賀城西の丸西下の駐車場利用、トイレ完備。
探訪ルート:駐車場より北側外堀を埋め立てた旧小学校の体育館現多目的センターの前の通りを東に農道を進む、横須賀城の北側畑の中を進む、北東辺りでアスファルト舗装の道を南に進むと大空堀標柱が在る。
北東角、少し西に戻ってみる、角から東側、南東角と様子を探るが大空堀に降りれる所が無い、無理をすれば降れるようですが、赤穂城本丸横矢台の土塁法面で足を捻挫した記憶が甦り降りられない。
残念ですが写真は外堀大空堀外からの写真です、しかしさすが城郭放浪記さんの写真館には大空堀の堀底からの写真も載っています。
大空堀から三の丸への道を探しましたが、墓場よりの降下ルートも道が在るようで途中途切れて坂法面降りれない、三の丸から本丸へと思ったのですが引き返し駐車場へ。
防御の大空堀ですのでそう簡単には降下は出来ませんが、何とか散策ルート階段を作っていただければ、大空堀のスケールを実体験出来るのにと思ったりしたり、大空堀の南東角から東、南は竹林で覆われて見通しが大変悪い、三の丸への外堀散策ルートと北側の外堀散策ルートの開設をお願い出来たらと思ったりしたり?
取り敢えずは大空堀の探訪を良しとしました。
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分類・構造 | 連郭式平山城 |
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天守構造 | 型式不明[3重4階/1578年頃築/破却] |
築城主 | 大須賀康高 |
築城年 | 天正6年(1578) |
主な城主 | 大須賀氏、渡瀬繁詮、西尾氏 |
廃城年 | 明治元年(1868) |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、移築櫓、枡形虎口 |
指定文化財 | 国史跡(横須賀城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 静岡県掛川市西大渕 |
問い合わせ先 | 掛川市役所観光交流課 |
問い合わせ先電話番号 | 0537-21-1121 |