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todo94

私有地 (2018/11/24 訪問)

どうもここは、私有地で立ち入ることができないらしい。とりあえず、御殿玄関が移築されている九品寺には行けたので攻城させて戴いたことにしたいと思う。紅葉がきれいに色づいていた。

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tsuchinari

和歌山城の耳より情報! (2018/12/01 訪問)

その1
やっぱりお城といえば天守。和歌山城の天守は愛媛の松山城の天守と共通点が多い。
まず、連立式であること。これは天守建築の中で最も防御に優れた作りと言われています。それと何より見た目がカッコイイ!
そして三層三階であること。和歌山城は天守が虎が伏せている様子と似ていることから虎伏城とも呼ばれています。五層並みの天守台に実際には三層の天守を乗せたので、ややずんぐりに見えるようです。
あとはどちらも平山城で、天守は小高い丘の上に立っているので、麓から見上げると天守がより凛々しく映ります。
ただ逆に違いを一つだけ付け加えると、松山城は現存天守で和歌山城は外観復元であること。ここは如何ともしがたい...(*´∇`*)
その2
和歌山城には大手門に当たる門が2つあります。現存する岡口門と一の橋の大手門です。岡口門は豊臣秀長の時代、豊臣家にとって最大の脅威だった徳川家を監視するため門は東に作られています。そして江戸時代御三家の紀伊徳川家の居城となってからは今度は逆に大阪の豊臣家を牽制するために一の橋は北側につくられました。和歌山城は時代の流れに合わせて180度役割が変わった城でもあります。
その3
和歌山城は本丸が天守と分離しています。私の知る限り、他の城にはない、かなりレアな縄張りです。多くの場合は天守のある場所が本丸または天守曲輪とかと呼んだりするのだが、和歌山城のように完全に切り離しているのは極めて珍しい。その天守と本丸の間にある堀のように窪んだ場所は、駆け込んだ敵兵なら即死ですね笑笑 この2つに曲輪を分けることで防御機能は格段に上がったことは間違いないと考えられます。
その4
万葉集などにも登場する和歌山。弟に築城を命じた豊臣秀吉が風情あふれる風土に心打たれ、この地を「若山」から「和歌山」へ変えさせたとの事。でもこれはもしかしたら地元の人の間では常識なのかも...

江戸時代、徳川御三家として将軍を2人(8代吉宗、14代家茂)も輩出した紀州徳川家。その高い格式に相応する和歌山城の存在感。是非一度は登城してみてください^ - ^

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tsuchinari

マニア情報。。。実は◯◯!? (2018/11/11 訪問)

石垣の総高が日本一とされる丸亀城。大手門から天守のある本丸に向かうためには、見返り坂というかなり急な坂道を登らなくてはならない。
しかし頑張って登りきれば天守まではすぐの所にたどり着く。それは言いかえれば、城の中心部まで一気にたどり着かれてしまうということ。
中世以前の城はともかく、丸亀城のような近世城郭において大手口から天守にすぐにたどり着く城なんてほぼ皆無。あくまで戦いを前提として作っているから、そんなルートは自殺行為に等しい。

実は丸亀城、大手門の真逆に搦手門があり、ここからも登城できます。この搦手門からのルートこそ枡形が連続する大手門らしい作りをしていて、気になったので調べてみると、案の定、今の搦手門は築城時は大手門でした。つまり城の正門と裏門を交換したわけです。

その理由は、築城時はまだ城下の讃岐一帯に目を光らせておかなければいけない状況だったのが、時間が経ち、太平の世を迎えると、丸亀城の役目は瀬戸内の海上交通網の監視になっていったと考えられます。あくまで推察ですが。

これを読んで少しでも興味を持った方は、是非搦手門から登って観てください。往時は重厚な櫓が乗っていたであろう迫力ある石垣が次々に出てきます。

香川県でいうと高松城が海城として知られていますが、この丸亀城も、本丸から瀬戸内を一望できるロケーションや、当時は現在のように埋め立てはなく、より海に近かったことを考えると立派な海城だったと言えると思う。

先日の豪雨災害で石垣の一部が崩落して、復旧までは20年ほどかかるとのニュースがありました。残念だけど仕方ない。熊本城同様に再び蘇る日を信じ、気長に見守っていきたいものです。

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ふく

堀切など (2018/12/01 訪問)

堀切、石垣

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あずみん

国史跡 楠葉台場 (2018/12/01 訪問)

ここ数年で整備された台場跡。京街道を分断し、台場内を通らせて改める番所でもあったそう。ここを上れば京都はすぐそこ。目の前は淀川、地理的に要所であったことがよくわかります

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カルビン

まさかの続100名城選定 (2014/07/22 訪問)

2014年夏に中部地方1周のお城ツアーを個人的に敢行してきた際、2日目の午前中に立ち寄りました。

鳥越城は当時グーグ〇マップを参照に適当に立ち寄りたいお城を決めたうちの1ヶ所で、まさかここが後の続100名城に選定されるなんて考えてませんでした(汗)
・・・このツアーの目的は主に元祖100名城がメインだったので・・・同様に後に100名城に選定されて今スタンプ未入手のお城、このツアーで鳥越城含めて4ヶ所も巡り・・・orz
また同じツアー敢行せんといかんのか~(面倒w)


鳥越城へは車で高い所まで行けるので、比高が稼げる分山城ではありますが比較的楽に散策できるお城だと思います。。。車限定ですが。。。
そんな鳥越城は上杉謙信を悩ませた一向一揆の拠点で、一揆をモチーフとしたレリーフがお城の駐車場傍にありました。

登城前は土のお城の遺構をイメージしておりましたが、その大部分が木々を排除し、芝生が敷き詰められた状態へ整備されていた為にどちらかと言うと官衙系の建造物跡の方が印象に残っております。

おそらくメイン見学路から少し外れたところに土のお城系の遺構が残っていたんだと思います。
(少しはメインの見学路からもV字堀とか横堀とかも見る事が出来、更に車で山上に向かう途中にも城碑や大堀も見られました)


どちらかと言うと100名城のバーター的な感覚で訪問した為にざっとしか見れていないので、再訪してじっくり見学したいところです。

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あずみん

光秀様( p′︵‵。) (2018/11/26 訪問)

公園として整備されている。近くに恵解山古墳があり、こちらも整備されていて簡単ではあるが親切な解説もありました。

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にのまる

見晴らし良いですが寒かったです。 (2018/11/29 訪問)

北海道新幹線、初乗車してきました。青函トンネルに入るときの車内アナウンスが旅行気分を盛り上げてくれました。
新函館北斗から函館に移動して、志海苔まで路線バス。
冷たい風に舞う粉雪。さぶっ…
ゆっくり見てもそれほど時間はかかりませんでした。
時折吹雪くなか、同じ経路で戻るバスを1時間待っていたら凍死しそうだったので、函館空港に避難(徒歩20分)。
空港発のバスで戻りました。

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朝田 辰兵衛

私にとって新鮮だったのは… (2017/05/13 訪問)

発掘間もない井戸でした。

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チェブ

坂、坂、作延城。 (2018/11/24 訪問)

南武線の「津田山駅」の改札から坂を上がると霊園の入口があります。
事務所っぽい建物の所に「←作延城跡碑」の看板があり、ナンバー6を探すと作延城跡に着きます。

この南武線のお城巡り、駅近の割に坂が多かった気がします。
ただ、大きな街道やニュータウン開発でどんどん変化してしまいそうです。
小さな「城跡碑」を、大事にしてきてくれた地元の方達に感謝します!

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カルビン

実は俳優さんの御実家 (2014/11/09 訪問)

自分はお城見学以外にも、戦国武将のお墓詣りで寺院訪問する事多いのですが、以前雲松院を訪問したのもここが小机城城主たった笠原家の菩提寺だったからで、ここが土井谷砦跡地とはつい最近まで一切知りませんでした。
(実際「城びと」サイトに掲載されているのを見て初めて知りましたw)
いつの間にか1ヶ所史跡訪問していたんですな(笑)

確かに御本堂左手から笠原家墓所に向かって登りになっているので、地形的には昔砦跡だったと言われれば納得できるかと。。。ただし遺構は残っておりません。
(墓所の奥は確認してませんが、お寺からは行けなかったと記憶してます)

ちなみに改めて写真確認しても、雲松院の解説には土井谷砦の事は一切書かれておりませんでした(汗)
そのかわり笠原氏が後北条家→徳川家と仕え、徳川家では旗本だった事が墓所の解説に書かれておりました。


そういえば雲松院って俳優・内野聖陽さんの御実家なんですね。
時代劇に頻繁に出演される俳優の御実家が徳川家の旗本の菩提寺ってなんか不思議な縁がありますなぁ(´ω`)シミジミ


雲松院はJR横浜線・小机駅南口からまっすぐ200m足らずの場所にあるので、小机城と一緒に電車で訪問するのが良いと思います。

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ロカンドロス

天守ある (2018/09/03 訪問)

江戸時代からある

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モト

空堀に囲まれた居館タイプの城跡 (2018/11/14 訪問)

城跡をけっこう立派な空堀と土塁が囲っていました。
虎口への土橋のようになった入り口も左右に空堀が広がり雰囲気があります。
そこでもすでに空堀が周りを囲っている様もはっきり確認できます。
郭に入ると高い土塁に囲まれており、奥では竹やぶがかなり覆い茂っておりますが、二重の空堀が確認できます。
また、空堀にも降りることができ、堀底からの眺めはなかなかです。

茨城県の南の城巡りをする際には押さえたい城跡だと思います。

近くには夢を叶える大杉神社という神社があります。
宝くじや競馬などの願掛けに良いらしいですよ。

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灰猫☆

宇和島城 (2018/11/20 訪問)

2回目で100名城スタンプ押印、城カードも購入しました。

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たかりん

北条氏照の城 (2018/11/04 訪問)

山城とはいえ二の丸~中の丸~本丸は概ね平坦で歩きやすかったです。
二の丸の大馬出ほか2か所の馬出の集中防御の堅固さがよくわかりました。
続100名城は自然豊かなお城が多いので暑さや草、虫の心配が少ないこれからの時期に計画的に回りたいです。

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くろもり

関東管領 (2013/07/13 訪問)

関東管領山内上杉氏の居城だった城です。
東を流れる鮎川側は断崖になっており、東側は鉄壁の守りです。
主郭跡だけがかろうじて整備されていますが、牛舎が大きく食い込んでおり、東側の竪堀跡を見るには牛舎を迂回して行かなければなりませんでした。
訪問時は夏の盛りだったので、牛舎から強烈な臭いがして難儀しました。強烈な匂いは土塁や堀の代りにもなりますよ・・・と、あまりいい紹介になっていませんが、モトさんの投稿の通り、こちらの竪堀跡と堀跡は見て損はないと思います。
また、主郭跡前の県道173号を北に120m程の所には、平井城址保存会・平井城史探訪会の倉があり、パンフレットや大河ドラマの上杉氏のポスター等が置いてありました。17:00を過ぎていたので中には入れなかったのですが、平井城の歌が非常に気になりました(主郭跡にも立派な歌碑があります)。
主郭跡には駐車場(無料)とトイレもありました。

個人的には小学生の頃から特に行きたかった城の一つだったので、とても感動しました。群馬藤岡駅から往復14km、ゆっくり歩いて4時間かかりましたが、関東管領上杉憲政公がいた平井の地を歩くことができて、幸せの2文字以外の言葉はありません。ありがとう平井城。

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にのまる

絶景 (2018/11/24 訪問)

麓の温泉街からの散歩にちょうどいいか、ちょっときついか、人によってはかなりきついか…ぐらいの山頂です。舗装されているので、凍結しない限りは大丈夫そうです。
「中腹にある歴史館、見てくるといいよ」とか「あそこの神社はご利益あるよ」とか言われていたので、わりと楽しみにしていたのですが、歴史館は閉まっていて、神社のご利益は私には不要でした(気になる方は検索してみてください)。「動植物遊園」の遺構もあり、かつては賑やかな行楽地だったんだろうなぁと想像できました。山頂までのロープウェーもあったようです。
そんな中、ロケ地荒砥城、結構な人出で、観光スポットとして頑張っていました。晴れていたので千曲川の絶景も拝めました。長野らしい石積みも楽しめました。
「戦略上の重要拠点の一つ」という言葉がよく似合う城址でした。
♪ヘビにはお会いしませんでした。

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たかりん

雨の小机城 (2018/11/04 訪問)

本当に高速で切られてました。
雨の中の訪問でしたが、思ったよりこじんまりだったので、東、西の各曲輪の主郭部メインで大体回れました。
空堀の広さ、幅がすごいです。

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朝田 辰兵衛

足利氏館よりも… (2017/05/05 訪問)

足利学校のほうが楽しかったです。

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じょーうん

美しき城 (2018/11/23 訪問)

閉館間際の4時に行きました。ちょうど紅葉していたこともあり、司馬遼太郎先生が美しい城と言っていた意味の一端を味わえました。今回時間が無かったので、次回はじっくり城下町もまわりたいです。

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