築城時期は不明ながら小泉荘を領する小泉氏が築いた城で、三好長慶が細川晴元と対抗するために改修して洛中の拠点とし、織田信長が上杉謙信に贈ったと伝わる狩野永徳作の洛中洛外図屏風にも「さいのしろ」として描かれています。長慶の死後も松永久秀や三好三人衆配下の城として機能しましたが、信長の上洛に際して自焼し、廃城となったようです。
遺構はもとより石碑や説明板すらない城ですが、6年前には比定地とされる西院春日神社を見落としていたので、お参りして写真を撮って再訪完了。早々に次へと向かいました。
…などというだけの再訪の投稿をしても仕方ないよなぁ…と思っていたら、城びとの✕から西院城発掘調査のポスト(https://x.com/Shirobito_jp/status/1918089992750203295)が流れてきました。西院城って小泉城のことだよな? と思いながら元記事を見てみると、城びとでの小泉城の位置情報の少し東あたり(たぶん)で共同住宅建設に伴う発掘調査があり、櫓とみられる高い柱と大型の礎石を備えた建物と石組みの溝の跡が出土したとのこと。洛中洛外図屏風に描かれている建物に近い形状で、四条大路をまたぐように建てられていることからも長慶が改修した際のものと考えられるようです。現地説明会の有無等は記されていませんが、調査の後に埋め戻されるのは仕方ないとしても、これまでは本当に見るところのない城だったこともあり、せめて調査場所に発掘調査の説明板だけでも立ててもらえないかなー、と。
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