小泉城のマーカー位置は,阪急京都線の西院駅から,約500mの距離です。スーパーフレスコ西院店となっており,遺構は消滅しています。Googleマップで検索をかけると,裏通りの住宅地を示していましたが,どうも撮影するには状況がマズかったので自重しました。
とりあえず,西院春日神社と西院小学校を撮影しましたが,撮れ高不足が否めないので,大山崎駅で撮影した阪急電車を加えます。
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2026/04/01 18:34
2025/05/03 10:44
長慶の櫓跡発見! (2025/03/08 訪問)
築城時期は不明ながら小泉荘を領する小泉氏が築いた城で、三好長慶が細川晴元と対抗するために改修して洛中の拠点とし、織田信長が上杉謙信に贈ったと伝わる狩野永徳作の洛中洛外図屏風にも「さいのしろ」として描かれています。長慶の死後も松永久秀や三好三人衆配下の城として機能しましたが、信長の上洛に際して自焼し、廃城となったようです。
遺構はもとより石碑や説明板すらない城ですが、6年前には比定地とされる西院春日神社を見落としていたので、お参りして写真を撮って再訪完了。早々に次へと向かいました。
…などというだけの再訪の投稿をしても仕方ないよなぁ…と思っていたら、城びとの✕から西院城発掘調査のポスト(https://x.com/Shirobito_jp/status/1918089992750203295)が流れてきました。西院城って小泉城のことだよな? と思いながら元記事を見てみると、城びとでの小泉城の位置情報の少し東あたり(たぶん)で共同住宅建設に伴う発掘調査があり、櫓とみられる高い柱と大型の礎石を備えた建物と石組みの溝の跡が出土したとのこと。洛中洛外図屏風に描かれている建物に近い形状で、四条大路をまたぐように建てられていることからも長慶が改修した際のものと考えられるようです。現地説明会の有無等は記されていませんが、調査の後に埋め戻されるのは仕方ないとしても、これまでは本当に見るところのない城だったこともあり、せめて調査場所に発掘調査の説明板だけでも立ててもらえないかなー、と。
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2022/08/22 13:01
2022夏の青春18キップ8日目:小泉城 (2022/07/27 訪問)
革嶋城からの転戦です。西院駅から徒歩4~5分くらいで、西院春日神社入口付近(35.004752、135.730118)に着きました。
築城時期は不明のようですが、小泉氏代々の居城です。
天文年間(1532年~1555年)の京の様子を描いたとされる『上杉本洛中洛外図屏風』に「さいのしろ」として描かれており、城主に「小泉秀清」の名が確認できるようです。
1550年(天文19年)に細川晴元が小泉城を攻めたことが『言継卿記』に記されており、三好氏の京における拠点として機能していたようです。
1552年(天文21年)に細川晴元が西岡一帯を放火して京に迫り、小泉秀清は城を焼いて霊山城の足利義輝に合流しました。
その翌年に足利義輝と三好長慶が対立すると三好方に付き、義輝方に城を包囲されるも撃退しています。
長慶の死後は松永久秀に従い、1566年(永禄9年)に久秀と対立する三好三人衆に攻められています。
1568年(永禄11年)に織田氏が上洛すると、九条河原城主・和久壱岐守とともに城を焼いて三好方に付いたことが確認できるようです。
その後の小泉氏と小泉城の動向は不明のようです。
西院春日神社と、その周辺の住宅地をブラブラと歩きましたが、城の痕跡は見られませんでした。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=御土居を目指す為、電車とバスを使って西院駅から千本北大路/京都市営バスに向かい、まずは金閣寺を見学します。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 三好長慶 |
| 築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
| 主な城主 | 三好氏 |
| 遺構 | 消滅 |
| 住所 | 京都府京都市右京区西院春日町他 |