千葉県佐倉市の百名城の一つ佐倉城です。戦国時代、下総を領地とし本佐倉城を居城とした千葉氏当主親胤がこの地に1556年築城を命じますが、家臣に造反され自害し築城中止となり、親胤の孫の千葉邦胤の代にも再び築城しようとしましたが、家臣に暗殺されてまたもや工事は中止。その後、千葉氏は小田原征伐時に北条氏に味方したため領地を没収され滅亡。徳川家康が関東を領すると松平忠輝、小笠原吉次、土井利勝が千葉氏の居城であった本佐倉城跡の陣屋に入ったとされますが、1610年家康の命を受けた土井利勝が佐倉城築城を命ぜられ1617年完成させています。その後の城主は入れ替わりが激しく、1746年堀田氏が城主になると明治維新まで続いています。城は、鹿島川右岸丘陵に造られ、西を鹿島川、南を高崎川、北を広大な印旛沼を堀とし、本丸、東側に二の丸、三の丸、西側に出丸、その外多くの曲輪を配し、石垣を使用せず土塁づくりの土から成る城です。本丸には天守閣の代わりに三階櫓があったとされます。明治に入ると日本陸軍の駐屯地が置かれたため建物等が撤去されています。現在は、佐倉城址公園として整備され、寺に移築されていた藥医門が場内に移され、再現された馬出し空濠や土塁などの城址遺構とともに、陸軍駐屯時の軍遺構もあり、また、国立歴史民俗博物館も公園内に建設されています。
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