こじんまりとした城址、駐車場はあります。
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2019/04/30 13:02
2019/04/30 12:33
明智光秀「丹波攻め」の激戦地黒井城 (2019/04/28 訪問)
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に向け、
明智光秀ゆかりの地として色々と盛り上がりを見せている丹波地区。
このGW中にもドラマのロケ地誘致のためのイベントが開催されるとのことで行ってきました。
イベント目当てで参加されているお客さんの中には
険しい山城を前に戸惑ってられる方もおられました。
(イベントは山頂で実施のため)
コースは2コース
行きは「急坂コース」より上り
帰りは「ゆるやかコース」で下りてきました。
この日は寒かったですが汗だくの登城となりました。
途中曲輪跡にあるベンチで休みながら約30〜40分ほどで山頂。
本丸、二ノ丸、三ノ丸には当時のまま野面積みの石垣が残っています。
本丸跡は思ったより狭いですが、
山頂からの眺めは素晴らしく360度街を見渡すことができます。
さぞ敵の動きがよく掴めたことと思います。
本丸跡到着後、3山(黒井城・金山城・八上城)を狼煙でつなぐイベントが始まりました。
金山城はかろうじて肉眼で確認できたものの狼煙は確認できず・・・。
続いて、城主の赤井直正をテーマにした能楽を鑑賞。
甲冑姿の武者隊も見受けられ、なんとも戦国ロマンあふれるイベント体験でした。
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2019/04/30 10:06
「戦国の始まりと終わりの城」韮山城 (2019/04/29 訪問)
<オススメ>★★★★★
韮山城は戦国時代に後北条氏の祖である伊勢宗瑞が築城した城である。伊勢宗瑞は堀越公方を攻め、伊豆を平定した後、堀越御所の東に位置する丘陵地、自らの本城と定めたとされる。1590年、小田原征伐の際は4万4000の軍勢に包囲されるが、100日間に及ぶ籠城の末、降伏開城した。そのため、韮山城は戦国時代の始まりと終わりを告げる城である。三の丸へと続く横矢掛けや土塁など遺構は多い。城跡近くには世界遺産・韮山反射炉や国重文・江川邸跡も必見である。
<アクセス>
伊豆箱根鉄道駿豆線 韮山駅 徒歩20分
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2019/04/30 03:01
【平成22年▪26年▪27年】 (2014/01/15 訪問)
なんといっても姫路城の平成の大修理が印象的でした。
大きな素屋根で天守が覆われる前、最後に大天守を見たいと思い、平成22年5月27日に訪れました。
工事が始まって半年以上の月日がたっていましたが、やっと素屋根を建設するためのプラットホームが一部完成し、そのプラットホーム上で使う大きなクレーンを、更に大きなクレーンで下から釣り上げる作業をしていたころでした。
しかし、このプラットホームのデカイこと!下から見上げると、大きなビルが建っているように見えました。まだ工事の準備段階。大変な工事になるんだろうな!と感じたことをよく覚えています。
そして素屋根も完成し、大天守はスッポリ素屋根の中に。工事見学スペース『天空の白鷺』もオープンし、テレビ、新聞でも姫路城の平成大修理の様子が取り上げられるようになりました。
岡山に住んでますので、いつでも行けるだろう!って思いながら、年月が過ぎました。工事も最終段階に近づき、そろそろ行っておこうかなと思い、雨で仕事が休みになった平成26年1月15日に初めて天空の白鷺に。
なんと、姫路城に着いてから、その日が天空の白鷺公開の最終日!だと知り、胸を撫で下ろしました。
この平成の大修理、その時にしか見れない視線で大天守を間近に見れたことが本当によかったと思います。
素屋根がすべて撤去され、中から真っ白な大天守が現れた時もビックリ!
ちまたでは、白すぎる!って批判の声も上がっていましたが、真っ白な天守を見れるのも今の時期だけ!池田輝政が姫路城を新たに築いた時も、きっと真っ白に輝く天守を見て、領民達はあの時の私たちのように度肝を抜かれたのでは!と考えながら見ていました。
姫路城の平成の大修理に立ち会えたこと。これが私の「平成のお城の思い出」です。
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2019/04/29 23:35
白鷺城の別名を持つ (2016/10/10 訪問)
美しい白壁を持ち、城郭では初めて世界遺産に登録。
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2019/04/29 23:23
必見の大空堀 (2019/03/30 訪問)
北条早雲公の旗揚げの城として有名ですが、その後の時代に今川氏・武田氏・北条氏で繰り広げられたこの地をめぐる争いでその都度、城の機能が強化され、規模の拡張が施され、価値も増していった魅力的なお城です。
静岡県東部の愛鷹山南麓に位置する舌状台地の突端部に高土塁を四方に巡らし、三方にある低湿地、深田足入と呼ばれる天然の泥田堀に守られた城です。北側から北曲輪・伝天守台・本丸・二ノ丸・三ノ丸・東側の清水曲輪によって構成された連郭式平山城です。
本丸の大土塁や天守台背後に造られた幅20m 以上もある大空堀が見所です。実際に歩けますのでその迫力を体感、堪能出来ます。駐車場も本丸脇に有り、便利です。
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2019/04/29 23:21
【平成30年】意地だけで1年に3度登城
初チャレンジは2月です。丸子城からの帰りにさくっと攻略♪したつもりでした。
しかし下山後、実は城址に片足突っ込んですらいなかったということに気づき愕然。しばらくの間、賤機山城は封印、この日のことはなかったことにしていました。
しかし9月に駿府城を俯瞰しようと上がった静岡県庁展望室から山の姿がくっきりと見えてしまい、モヤモヤが収まりません。封印を解いて突撃、城址への道を見つけました。ところが既に日没近くだったため本丸まで行くのは断念せざるを得なく、却ってモヤモヤが増長されるという結果に。
再リベンジは11月。満を持して午前中からの登城です。スッキリしたい一心で本丸を目指し、無事ゴールイン。城址碑を見つけてやっとホッとできました。
平成最後の投稿キャンペーンにギリギリの参加で平成を振り返って(というほど長くお城巡りはしていませんが)みましたが、今まででいちばんしつこく執念で行ったところはここでした。
9月と11月に投稿しているので写真は使い回しです。
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2019/04/29 22:52
正木様 (2015/02/11 訪問)
主郭部には堀切や土塁等の遺構が良好に残っていましたが、印象に残ったのは、北側の主郭部と南の中郭部の間を東西に切通しが通っており、「水往来」という名前がついていました。切通しに名前が付いているのは珍しいし、「水往来」という言葉も初めて聞きました。
また、主郭部へ向かう途中に「正木様」と書かれた祠があり、里見氏家臣の正木氏を祀ったものだそうです。今でも、城跡周辺に5軒の正木家があり、旧暦の2月18日に先祖の供養をしているそうです。
城跡は畑になっている所も多く、中郭部の方は作業されている方もいたので散策はしませんでした。作業されている場合、邪魔にならないように気をつけて散策しましょう。
訪れた時は縄張り図がなく、手探りで散策したのですが、帰ってからよさげな縄張り図のあるサイトを見つけたので、共有しておきます。
安房文化遺産フォーラムさんのサイトです。
http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=107
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2019/04/29 22:15
【平成31年】海とお城 (2019/04/13 訪問)
フェリーに原付をのせ、大阪から福岡へ、
そこから原付で移動。
途中名護屋城や、唐津城を寄り道しながら
たどり着いた平戸城。
寺院や教会、屋敷跡など見所が多いですが、
やっぱり海城は海とお城のコラボレーションですね。
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2019/04/29 21:54
【平成31年】雨の山城 (2019/04/29 訪問)
出発時は晴れていた天気も到着した頃には本降りに。
諦めるか迷いましたが、綺麗に整備されていたので、
初めて雨の中、山城に挑みました。
石の階段を上り続けた先に見える本丸は結晶片岩の
石垣が美しく、雨のお陰でむしろ虫がいない
良コンディション。眺望だけは残念です。
一昨日雨で霧山城を麓で諦めましたが、次は雨でも
もうちょっと攻めてみようと思わせてくれる登城でした。
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2019/04/29 21:41
2019/04/29 21:32
2019/04/29 21:25
2019/04/29 21:20
【平成31年】もれなく足攣れます (2019/04/29 訪問)
偶然にも今日の新幹線の指定行き帰りが取れたので、米原まで行ってきました。
レンタサイクルは連休の琵琶湖ツーリングの人々の為、予約無しでは借りられず、いろいろ余計に歩く羽目に。。。
んで、太尾山城は15時前くらいに登場開始しました。
この日2ヶ所目の山城と言う事で、ここ最近の調子悪さと運動不足で不安でしたが・・・なにここ?この急角度の登りw
己の不安吹き飛ぶくらいこの場所自体に不安なんですがwww
階段用の丸太(木ではなく別素材と思われ)を設置してあるにも関わらず、土が斜めに埋まってしまっていて、ずーっとつま先上がりの状態での登りを余儀なくされ・・・更に高所恐怖症にとって一番嫌な、道が斜面に向かって傾いていて・・・
要は足の設置面がありえない状態での登りを余儀なくされている訳ですw
あれ、平行に削ってくれないと危ないですよ。。。といっても誰のお金で誰がやる?って話ですがw
一番上の堀切に着いた所でお約束の足攣りしまして(痛)
暫定回復に10分要し、登城再開。
ま、ここからは南北ほぼアップダウンは無く、平行な尾根道を進むだけでしたので助かりましたが(汗)
堀切から南城までは2、3分で到着。。。蔀土塁に囲まれた曲輪とその手前に埋まったと思われる堀切と切岸が。
その逆の北城は7、8分・・・ちょっと距離ありましたが、途中やはり堀切がたしか2ヶ所、主郭には南城と同じように土塁がありました。
南北共にそれなりに遺構はありましたが、ぶっちゃけ最初の南北の分かれ道のところの堀切が一番の見所だったというオチでしたw
下りは下りで登りとは違う足の部位に力入りまくりで、下山してすぐに違う場所攣りました(涙)
平成最後のお城攻略でこんな目に遭うとわorz
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2019/04/29 21:18
山名氏の居城 (2019/04/28 訪問)
登城ルートは3ヶ所あるようですが、いずし古代学習館の裏手の登城口より登城しました。主郭までの道は整備され、案内板も新しくなっています。堀切などを見ることができます。主郭まではいいのですが周辺の曲輪を見に行くには道が整備されていません。袴狭登城口方面へ途中まで降りて行ってみましたが、曲輪があり見る所もあるのですが道が整備されていない所もありました。願成寺方面(出石神社の裏に出る道)を選択して下山しましたが、トラロープを伝って降りて行かなければならず、こちらから登って来なくてよかったと思いました。千畳敷や宗鏡寺砦方面へ行きたかったのですが、ルートはないとの情報でした。それでも何とか行こうしましたが、よくわからず行けなかったのが残念です。
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2019/04/29 21:01
東播磨の城郭を見通す守護の城 (2019/04/29 訪問)
シロマサさんに前後して本日、中道子山城→志方城と巡りました。
主郭からの眺望はすばらしく、東播磨の城を40以上望むことができるとか。淡路島、明石大橋が見えましたが、曇りで写真でははっきりしません⤵️
加古川右岸の山は、凝灰岩、流紋岩、花崗岩の火山性岩石からなる。中道子山城は、流紋岩の山体。登山道にも随所に大きな岩が露出する。北西側尾根を断ち切る堀切も岩が露出。西側郭に多くの石仏があるがこれらは凝灰岩。大手道沿いの毘沙門岩は、花崗岩の貫入ではなかろうか。
加古川竜山石で有名な石材は、凝灰岩。中道子山城からも石切場が見える。
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2019/04/29 20:12
高低差に痕跡を感じる (2019/04/29 訪問)
野口神社は微高地で、回りの堀痕跡は、窪んでます。近くの加古川城も微少高低差や細く残る川に堀跡を見いだします。最も海側の高砂城は、加古川河口の堆積地の立地であり、高低差はわかりませんでした。
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2019/04/29 19:43
再訪▪城廻りvol.7 松江城② (1982/03/08 訪問)
(1982.3.8訪問、2019.4.20再訪)
再訪▪城廻りvol.7 松江城①に続く
ここ松江城には過去何度か訪れていますが、来る度に何処かで改修や発掘などが行われていて、立ち入り禁止になっていました。しかしそのおかげで、現在私たちが安心してお城を散策出来ているんだと思いました。
整備に関しても、(ここ松江城だけではないとおもいますが、)安易に安全対策を施すのではなく、徹底的に調査して史実に合った保存整備をずっと行ってきた経緯も知り、その努力と根気に、いちお城ファンとして敬意を表したいと思いました。
松江歴史館で、松江の町は江戸時代から現在まで、城下町が建設された当時の掘り割りや道筋がほとんどそのまま残っていると、時代ごとの古絵図を順次見ながら説明してくださいました。空襲も受けていなく全国的にも稀な城下町だそうです。
話に聞くと、松江城には、まだまだいろんな保存整備上で課題があると聞きました。その一つ一つをクリアして素晴らしい松江城跡になっていくことを期待し、楽しみにしたいと思います。
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2019/04/29 19:19
再訪▪城廻りvol.7 松江城① (1982/03/08 訪問)
(1982.3.8訪問、2019.4.20再訪)
山陰地方に唯一、天守の現存する松江城に行ってきました。2015年7月8日、天守が建築年代が明かになり国宝に指定されて以来、多くの観光客が訪れとても賑わいを見せています。
最初訪れた37年前時も、今と変わらず豪快な天守や高石垣に目を奪われたのを覚えていて、当時も多くの観光客で賑わっていました。
以前と変わったなと思ったのは、二の丸や本丸入り口辺りにあったお土産屋さんや茶店がなくなっていたり、二の丸に櫓が3棟復元され、県庁舎の建つ三の丸大手方面からの堀越し見た景観が、よりお城らしさを感じさせています。
また、内堀周辺も綺麗に整備されていて、堀端には松江歴史館ができ、松江城の資料などが多く展示され、和菓子製作の実演なども行われていて人気の観光スポットになっています。
あとなんと言っても一番目立つのは内堀を船頭さんの操る船で巡る、堀川めぐり。
現在綺麗に整備された松江城も、わかっているものだけで昭和25年からの天守の解体修理に始まり、少しずつ段階を踏んで徐々に整備されてきたものです。
その都度、保存整備計画が策定され、それに基づいて実施されてきました。
昭和34年から60年にかけては20箇所以上の石垣修理や修復が行われています。平成5年には史跡松江城環境整備指針が策定され、それに基づき大手門から二の丸の櫓復元を含め本丸への道筋が整備され、平成12年に完成しています。
もちろん、その都度、発掘調査も随時行われて史実に基づいた復元となっています。
大手門をはいったさきにある、広々とした二の丸下の段に新しく観光案内所と茶屋ができていますが、ここは発掘調査成果に基づいて、もとあった御破損方と寺社修理方の同じ居場所、平面規模で城内環境にあった意匠で建てられているそうです。松江市ではこれを復元風整備と位置付けています。この手法はとても良いと思いました。二の丸にある公衆トイレも同じ手法で御番所跡に建てられています。
現在は平成29年に策定された史跡松江城保存活用計画により、整備が継続中です。
これによると、入場券売場のある一ノ門と隣の多聞を史実に基づいて復元し直すとか、懸賞金をかけて資料を集めている大手門の復元、県庁南側の戦後埋め立てられた内堀の復元、樹木の計画伐採などいろいろこの先の計画が盛り込まれています。
松江城の未来がとても楽しみです。また訪れてみたいお城のひとつになりました。
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【平成29年】
豊臣方の猛攻に合い、天正18年6月23日落城。
小田原合戦の際、小田原城開城のきっかけの一つとなった。
人目を忍ぶように、山中にひっそりと眠る石垣。400年以上もの間、時が止まったままである。
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