安濃城は長野氏の分家である細野氏によって築かれ、長野氏が織田氏と和睦してからも
終始反抗的な態度を取り続け天正8年、織田信包の攻撃によって落城し、城主である
細野藤敦は専修寺に逃れ、後に蒲生氏郷に仕えたと伝わります。城域はかなり広く
丘陵上全体に築かれ、取土によって地形が変化してはいるものの、主郭と見られる阿由田
神社周辺に遺構が多く残っています。主郭は方形で周囲に土塁や堀を巡らし、南と東に
虎口が付いています。主郭の北側から東にかけ多くの郭が残り土塁や堀が南北に縦横して
主郭を守っています。それらの遺構は阿由田神社の東の虎口から続く軽自動車用の参道
ぞいに確認することが可能です。
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