木津城はかつては三好氏の武将、篠原肥前守入道自遁の城で、
後に長宗我部元親の城になります。
元親の腹心、東条関之兵衛が守将を務めますが
天正13年(1585)内大臣になった豊臣秀吉の大軍の総攻撃を
受けます。豊臣秀長、秀次の連合軍は城郭大系によれば6万あまりとされ
堅固な天然の要害である木津城は八日間持ちこたえますが
水の手を絶たれ、関之兵衛は敗走、責任を取らされ弟の唯右衛門と共に
元親に首をはねられます。ひどい話です。
東側に登城道があるというので登ってみたのですが
廃屋近くにある道を使って登ったので道は途中で消え直登に近い
やり方で登ることになりました。どうやら、もう少し北のコンクリの
くぼみにある藪のあたりから登れば横堀につきあたる
らしいのですが、それどころでは無くなってしましました。
四国ではすぐにGPS圏外になり地形図が役に立ちません。
なんとか山頂あたりまで、よじ登りますが、ひどいヤブで進めません。
降り口を探して周辺をさまよいながら郭らしい箇所で
謎の石積らしいものを見つけましたが詳細は不明です。
結局直接山肌を下っていくのですが、さすがに6万の大軍をてこずらせた
要害。一筋縄ではいきません。
下りが急で、ブレーキが利きづらいので木をストッパー代わりにして
下っていきます。危険個所を避けながらなんとか下山。
正式な登城道からリトライしてみたいとは思いますが、
万一に備え、ロープでも準備しておきたいものです。
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