きづじょう

木津城

徳島県鳴門市


旧国名 : 阿波

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謎の郭の石積
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しんちゃん

下り坂地獄 (2023/08/13 訪問)

木津城はかつては三好氏の武将、篠原肥前守入道自遁の城で、
後に長宗我部元親の城になります。
元親の腹心、東条関之兵衛が守将を務めますが
天正13年(1585)内大臣になった豊臣秀吉の大軍の総攻撃を
受けます。豊臣秀長、秀次の連合軍は城郭大系によれば6万あまりとされ
堅固な天然の要害である木津城は八日間持ちこたえますが
水の手を絶たれ、関之兵衛は敗走、責任を取らされ弟の唯右衛門と共に
元親に首をはねられます。ひどい話です。
東側に登城道があるというので登ってみたのですが
廃屋近くにある道を使って登ったので道は途中で消え直登に近い
やり方で登ることになりました。どうやら、もう少し北のコンクリの
くぼみにある藪のあたりから登れば横堀につきあたる
らしいのですが、それどころでは無くなってしましました。
四国ではすぐにGPS圏外になり地形図が役に立ちません。
なんとか山頂あたりまで、よじ登りますが、ひどいヤブで進めません。
降り口を探して周辺をさまよいながら郭らしい箇所で
謎の石積らしいものを見つけましたが詳細は不明です。
結局直接山肌を下っていくのですが、さすがに6万の大軍をてこずらせた
要害。一筋縄ではいきません。
下りが急で、ブレーキが利きづらいので木をストッパー代わりにして
下っていきます。危険個所を避けながらなんとか下山。
正式な登城道からリトライしてみたいとは思いますが、
万一に備え、ロープでも準備しておきたいものです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:木津城 (2022/07/26 訪問)

原田城からの転戦です。登り口(34.171542、134.578792)付近に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)に篠原肥前守自遁によって築かれたと云われています。 篠原自遁は三好氏の家臣で篠原長房の弟です。
1577年(天正5年)三好長治は荒田野で細川真之と戦って敗死すると、長治の実弟で讃岐国十河城主となっていた十河存保が勝瑞城に入ることとなりました。
自遁はこれを歓迎せず抵抗したが敗れ、勝瑞城入城の先導役を務めました。
1582年(天正10年)中富川合戦で三好氏は長宗我部氏に敗れ勝瑞城は落城、十河存保は讃岐国虎丸へ退きます。
自遁はこの戦いには参加せず城に籠もっていたが、本能寺の変により織田信長が倒れると城を捨てて淡路へ逃れたそうです。 長宗我部元親は木津城に桑野城主東条関之兵衛を置いて守らせました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉による四国征伐では、羽柴秀長・秀次を大将とする大軍が押し寄せました。籠城方も奮戦して良く防いだが、水の手を切られ落城したそうです。

しばらく登城口を捜しましたが、草に隠れて見えず登城を断念しました。
「木津城山公園」には行っていません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=撫養城に向かいます。

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小城小次郎

遺構は東の山にある (2020/10/17 訪問)

城山公園に引っ張られてそちらに行ってしまったがお城があるのは東隣の山の上。登りにくいが登ればそれなりにいい遺構があるらしい。ここは長宗我部が落とし羽柴が取り返した歴史を有する重要拠点でもあった。

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コウキ

木津城登城 (2019/03/27 訪問)

木津城に行ってきました‼️
西側は、木津城山公園となっていました。
また、城山にものぼりました‼️
畝状竪堀が、たくさん見えました‼️
草木が生い茂っていて登るのも大変😖💦
本丸は平らになっているのがよくわかりました‼️
皆さんも木津城山に登る時には、気をつけてくださいね🎵

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 篠原自遁
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 篠原氏、東条関之兵衛(長宗我部氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、畝状竪堀群
指定文化財 市史跡(木津城跡)
住所 徳島県鳴門市撫養町木津(木津城山公園)
問い合わせ先 鳴門市役所秘書広報課
問い合わせ先電話番号 088-684-1118