えだやかた

江田館

群馬県太田市


旧国名 : 上野

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「物見の松とあかがね街道」「境城」。 (2026/02/21 訪問)

前回投稿した「世良田館」から「境城」へ向かう途中に「物見の松とあかがね街道」の説明板を見つけて路駐しました。写真①②③です。
物見の松とは、新田 義貞さんが鎌倉攻めにあたり、松の木に登って敵情をうかがったと説明板にありました。
後の松の木を見上げて、説明板を最後まで読むと、空洞に大蛇がいて退治する為に火をつけたところ、松の木も枯れてしまったとの事です。
小さくズッコケました。

あかがね街道とは、足尾銅山から銅を江戸に運ぶ為の街道なんだそうです。
私は小学校の遠足で『足尾銅山跡』に行った事があります。トロッコに乗り見学。当時の作業者を再現していて、キャーキャー大騒ぎでした。

「境城」は室町時代に井上氏が築城したそうです。写真④⑤⑥です。
お寺と神社と学校が近くにあります。
朱い祠がお祀りされ、水掘跡を思わせる池と朱い橋の投稿があり、行ってみました。
朱い橋や祠はボロボロで改修するのか『立ち入り禁止』の札。公園には土塁のような高みがありましたが、遺構かは不明です。
水もカラカラです。
ちなみに「境城」は広瀬川と利根川を渡った所に『渋沢栄一記念館』があります。
近くの住所は『境下武士』。

何となく惜しいなと思ってしまった「境城」攻めでした。

*城びとオールスターの皆様の投稿を拝読させていただくと、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
、、、でも、辞めません v(・ิω・ิ)v

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「世良田館」。 (2026/02/21 訪問)

前回の「新田館」から「世良田館」に向かいます。
「世良田館」は『新田荘歴史資料館』の駐車場に車を駐車し散策できます。

この辺りが「世良田館」のはずですが、とりあえず『新田荘歴史資料館』で予習してから歩いてみようと資料館へ。
新田 義貞さんの像がお出迎えしてくれます。

でも、資料館の中は馬の塙でお出迎えです。
人はまばらですが、『塙びと』の方々が熱心でした。群馬県て、馬の群れから群馬?と、目的を忘れかけたころ中世・近世ゾーンへ。
徳川 家康さんは、徳川 義季さんを祖先と仰ぎました。確かに、『徳川発祥の地』とあったけど、、、。
と、もう「世良田館」から遠のくばかりです。

東照宮がありました。
家康さんが、新田氏の支族の子孫である事から、子の秀忠さんが建て、孫の家光さんが移建したそうです。
工事中でした。
それから、『千姫を大河ドラマへ』の幟と書名の紙が。
新田 義貞さんじゃないんかーい、と小さめのツッコミ。

『世良田館』が不発(いつも?)だったので、今更ですが写真⑦を借りてきました。
まだ行ってない未登録の館がある事を知り、その時『世良田館』にまた行けばいいかな~と、カレンダーの休みを確認するのでありました。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「新田館」 (2026/02/21 訪問)

以前投稿した「台源氏館」から「新田館」へ。
撮れ高不足で脱線します。ご注意下さい。

群馬県 太田市 世良田町、総持寺が「新田館」跡に建立されたそうです。
総持寺の前に駐車しました。と言うのも、お父さんと子供さんが遊んでいて敷地内に入るのを躊躇しました。
なので、いつもの如く早目の退陣。

私は最近読んだ『足利兄弟』と、1991年の大河ドラマ『太平記』を観て、新田 義貞さんに興味を持ちました。
昨日、会社の同僚からアニメの『逃げ上手の若君』で新田 義貞を知ったが、この感動は私以外には伝わらない!と。
そーだろ、そーだろ。熱く語れば語るほど引かれますので。

ちなみに太平記での、緒形 拳さんの直垂の着方が好きで、その後観た1997年大河ドラマ『毛利 元就』の尼子 経久役の時も、我流の直垂姿が良かったです。
と、新田 義貞さんが置いてけぼり。さっき分かったのですが、大河ドラマ『太平記』で新田 義貞さん役は途中、萩原健一さんから根津 甚八さんに変わったそうです。
気が付かなかった。
いったい何を追いかけているのか分からなくなってしまった「新田館」攻めでした。

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しんちゃん

居館から平城に (2016/01/01 訪問)

江田館の主郭は東西約80m、南北約100mの広さを持ち、周囲に土塁と堀を巡らせていました。本丸の西と南をカギ状に囲んで二の丸が配されていたようです。古くは新田義重の子孫である江田行義の館跡(平城)とされ、行義は新田義貞の北条氏討伐に参加し軍功を立てました。文禄年間に子孫の守下大膳が祖先の居住していた、この地に戻ってきたとされています。
戦国期には金山城の出城としての役割を与えられ、由良氏の四天王の一人とされる矢内四郎左衛門の居城となりました。土塁上には新田義貞を祭る石宮があります。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 江田頼有
築城年 13世紀前期
主な改修者 矢内四郎左衛門
主な城主 江田氏、矢内氏
遺構 曲輪、土塁、虎口、横堀(空堀)、横堀(水堀)
指定文化財 国史跡(新田荘遺跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 群馬県太田市新田上江田町925-9