うねめじょう

采女城

三重県四日市市

別名 : 北山城
旧国名 : 伊勢

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じゅんじん

中世豪族のお城 (2025/12/31 訪問)

織田信長に滅ぼされました。中世豪族の貴重な遺構です。

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T-Shionoya

采女城 北勢屈指の戦国城郭跡へ (2026/01/19 訪問)

今年1月に訪れた2つ目の城は、城びとでも評判の三重県四日市市にある采女城。

内部川と足見川の北岸、泊丘陵南端部の比高30~50mの3つの尾根を城郭とした城。

鎌倉時代にこのエリアの地頭に任命された後藤基秀が、1260年に築城したとされる後藤氏代々の居城で、織田信長の伊勢侵攻により1568年に落城。
現在は内部川沿いに入城口があり、市民緑地として維持整備されている。

パンフレットによると内部地区市民センターの駐車場を利用することが正解でしょうか。
実際に訪れると、各曲輪を分断する大型の堀が印象的で、特に一の郭北側の堀は見どころの1つ。
また写真ではわかり辛いが、一の郭南のクランク状枡形虎口も個人的には魅力的なポイント。

案内図にある三の郭と四の郭の間からから南へ向かうルートはロープで塞がれており、六の郭と七の郭は断念。
それでも滞在時間は2時間以上。
もう少し草が刈られていると尚嬉しい、私の城郭巡りの225城目でした。

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小城小次郎

程よい整備が心地よい (2025/03/29 訪問)

鎌倉時代に采女郷の地頭となった後藤氏が織田氏に攻め滅ぼされるまでこの地を治めていたらしい。広い主郭を中心に求心力のある技巧的な縄張が広がり城主の高い統率力が窺える。程よい整備がなされているのも実に心地よい。

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ぴーかる

采女城 (2025/01/18 訪問)

【采女城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.929929,136.573471>のポイントが橋の交差の待避所になっていて、2台程駐車できる。
<交通手段>車

<見所>横堀・曲輪・切岸
<感想>現地の由来書き板によると采女城は、1260年三重郡の地頭となった後藤基秀がこの采女山に築城したのが始まりとされます。以来三百有余年後藤氏が続きますが、1568年に織田信長によって落城します。
 城跡は大きく9つの曲輪に分けられていて、各曲輪は周囲を横堀で囲んで単体で独立した曲輪構造になっています。7郭は6郭の下段、9郭は斜面の削平地で横堀は備えていないが、それ以外の郭は深い横堀と郭は土居で囲んでいて、ひとつひとつの郭を見て巡るのが非常に楽しかった。登城口から少し登ると、正面に虎口郭が立ち塞がっています。虎口郭から右方向の堀底道を進むと8郭、左方向に進むと5郭に行きます。5郭南側の横堀を降り渡ると6・7郭に行けます。主郭の奥に2・3郭があり、3郭西側堀切を渡り4郭があります。3・4郭の南側が谷になっていて谷底郭になっていた様子で所々段が残っています。4郭の西側がスロープ状の斜面を降りて行くと小さな9郭の削平地があります。
 こういう城郭構造は近畿(三重県だけど、もう近畿に入れちゃえ!)には珍しく、後日談になりますが、埼玉県の比企城跡群の1つ、武蔵松山城と非常によく似ていて、武蔵松山城に行った時にこの城跡がフラッシュバックしました。築城年代と場所と築城者が全然違えど、似た城郭構造のお城もあるもんだと感心しました。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 後藤基秀
築城年 文応元年(1260)
主な城主 後藤氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、土橋、枡形虎口、井戸
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県四日市市釆女町字北山
問い合わせ先 四日市観光協会
問い合わせ先電話番号 059-357-0381