【采女城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.929929,136.573471>のポイントが橋の交差の待避所になっていて、2台程駐車できる。
<交通手段>車
<見所>横堀・曲輪・切岸
<感想>現地の由来書き板によると采女城は、1260年三重郡の地頭となった後藤基秀がこの采女山に築城したのが始まりとされます。以来三百有余年後藤氏が続きますが、1568年に織田信長によって落城します。
城跡は大きく9つの曲輪に分けられていて、各曲輪は周囲を横堀で囲んで単体で独立した曲輪構造になっています。7郭は6郭の下段、9郭は斜面の削平地で横堀は備えていないが、それ以外の郭は深い横堀と郭は土居で囲んでいて、ひとつひとつの郭を見て巡るのが非常に楽しかった。登城口から少し登ると、正面に虎口郭が立ち塞がっています。虎口郭から右方向の堀底道を進むと8郭、左方向に進むと5郭に行きます。5郭南側の横堀を降り渡ると6・7郭に行けます。主郭の奥に2・3郭があり、3郭西側堀切を渡り4郭があります。3・4郭の南側が谷になっていて谷底郭になっていた様子で所々段が残っています。4郭の西側がスロープ状の斜面を降りて行くと小さな9郭の削平地があります。
こういう城郭構造は近畿(三重県だけど、もう近畿に入れちゃえ!)には珍しく、後日談になりますが、埼玉県の比企城跡群の1つ、武蔵松山城と非常によく似ていて、武蔵松山城に行った時にこの城跡がフラッシュバックしました。築城年代と場所と築城者が全然違えど、似た城郭構造のお城もあるもんだと感心しました。見応えある城跡です。
<満足度>◆◆◆
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