縁結びとか播州の秋祭りで有名な高砂神社。この境内一帯が高砂城の本丸跡といわれています。
元々の高砂城は羽柴秀吉の播州攻めで別所方に与し落城の憂き目にあっています。
その後、池田輝政によって大改修された(その際古くから現在地に鎮座していた高砂神社は北西に遷座させられ、その地に本丸が築かれた…ていうことは、天正期の高砂城は別のところにあった??)。
しかし、徳川幕府の一国一城令によって廃城。
本丸跡には、当時の姫路城主本多忠政によって再び高砂神社が遷座され、その周辺は港町・高砂町として発展してゆくことになります。
過去にも何度か訪れたことのある高砂神社…もとい高砂城。今回は高砂町の街並み探訪も兼ねて再訪してみました。
城跡としての面影は、平城の宿命か、それとも江戸時代以来の港町の繁栄に埋もれてか、ほぼ皆無に近いです。境内には石碑が建っています。
神社の外周を歩いてみると、玉垣の下や塀の下の基礎などに大振りな石材が使われています。なんと高砂城の石材が使われているのだそう。いわれてみればそう見えてくるからフッシギー。流石に当時の場所そのままってことはないかもしれませんが、訪れた際は是非探してみて下さい。
高砂神社の北には南堀川(運河、船着場)がありますが、高砂城の堀をそのまま利用したものでしょうか?
町内の案内板を見ても、なんとなく城の縄張っぽい感じがしますね。実際のところは詳細な構造は不明なままなんですが、果たして??
なお、高砂町一帯には格子やうだつのある建物があちこちに残っています。中でも工楽松右衛門旧宅とその周辺の蔵や発掘された南堀川の雁木や石敷きなど、港町としての繁栄を物語る見所がいっぱいで、歩いていてとても楽しかったですね。
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