はせどうじょう

長谷堂城

山形県山形市

別名 : 亀ヶ城、楯山
旧国名 : 出羽

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本丸 もう暗くなってきた
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しんしんちゃん

慶長出羽合戦・長谷堂城の戦い (2019/08/13 訪問)

長谷堂城は比高120mの独立した丘陵上に築かれていて米沢盆地と山形盆地を結ぶ要衝にあります。戦国期は伊達氏の攻撃に耐え関ヶ原の合戦の際には直江兼続率いる2万を超える上杉軍の攻撃に耐えました。最上氏にとっては山形城に次ぐ重要な城で直江兼続の猛攻に耐え抜いたことが長谷堂城の評価を決定付けたと思います。
周囲を水堀で囲み(推定)主郭の周囲に郭や腰郭を無数に配しています。

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牛若丸

前日に降った雪が積もってました。 (2022/12/05 訪問)

前日に降った雪が残っていました。
かなりの急坂もありましたが見応えのある山城です。

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TERU

長谷堂城 (2021/05/22 訪問)

城めぐり

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にのまる

慶長出羽合戦 (2020/09/29 訪問)

 今回の山形弾丸ツアーのいちばんの目的地は、“北の関が原”最後の激戦地、長谷堂城です。共に山形城の守りの城であった成沢城から6km行軍し、最上軍の援護に向かいました(‘◇’)ゞ
 東北中央自動車道を過ぎてからは落ち着いた町並みが続きます。かつてこのあたりは外堀に守られた町場だったようです。
 いくつかある登城口のうち、大手門口(慈眼庵口・内町口)から登りました。慈眼庵を過ぎ、15分程登ると山頂広場に到着。途中、要所ごとにある説明板は写真付きでとてもわかりやすかったです。曲輪群があったという一帯は木立に覆われていたので想像で補いました。山頂広場(本丸)の虎口の枡形も説明板のおかげでよくわかりました。
 遠くまで見渡せる山頂で420年前に思いを巡らし想像に耽ります。これがしたくてここまで来たので、周囲に人がいようと関係ありません。浸り尽くします。眼下に広がる田園地帯は当時も田んぼで(刈入れ後かな)、上杉(直江)の大軍は最上軍のぬかるみ作戦にはまり、城山をぐるりと囲む水堀にも進軍を阻まれて右往左往。そうこうしている間に関が原ではあっけなく西軍が敗れるも、こちらでは両軍ともにそうと知らないまま攻防戦が続けられ…などなど。

 そして山頂からよく見える山形駅前のビル「霞城セントラル」。このあと行く予定の山形城のすぐ近くです。長谷堂城から山形城までは約7km。電車で行くとしたら蔵王駅まで4km戻り、‪1時‬間に1本の電車を待つことになります。しかし、たった15分で長谷堂城から山形城まで連れて行ってくれる頼もしい馬のような路線バスがあるので、この日の私は‪1時32分‬発のそのバスに照準を合わせてスケジュールを組んでいました。(ちなみに本数は少なく、その次の便は3時間後。)しかし、朝の新幹線の選択ミスと成沢城での滞在時間オーバー、そして成沢城から長谷堂城までの6kmの移動の間に少しずつ時間がずれ込み、走って下山しなければ間に合わない時間になってしまいました。でもまだ最大の見どころの帯曲輪群も麓の水堀も見ていません。なので急いで下山することはせず、馬(バス)は諦めて山形城まで7km歩くことにしました。(背中を押してくれたのは東西両軍体験しながら往復徒歩行軍されたくろもりさんのご投稿です。)
 その帯曲輪群はまだ夏の名残の緑の下でしたが、改変されたりせず往時の姿のままであり続けてくれていることはありがたいことです。八幡口に下りたところには水堀跡など、きれいに整備された城跡公園がありました。

そして山形城へ向かいました。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 最上氏
築城年 16世紀前期
主な城主 最上氏、志村氏、坂氏
廃城年 元和8年(1622)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 山形県山形市長谷堂
問い合わせ先 山形市観光協会
問い合わせ先電話番号 023-647-2266