まりこじょう

丸子城

静岡県静岡市

別名 : 鞠子城、三角城、宇津谷城、赤目ヶ谷砦
旧国名 : 駿河

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枡形虎口
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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目:丸子城 (2021/07/02 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の9城目は丸子城です。
持舟城から転戦。誓願寺駐車場(34.9481965、138.3273671)に駐車しました。
道路沿いに説明板、登城口(34.948837、138.328737)の丸子の里自然歩道入口にむかいました。

丸子城は今川氏、武田氏に重視された城で、本丸は今川氏時代、武田氏時代と二カ所あるそうです。
山頂を中心に、今川時代に本丸があった北城と、武田時代の本丸の南城(千畳敷)を連結した縄張りになっています。
北城は応永年間(1394年-1428年)、駿河国守護今川氏の家臣、斎藤安元歴代の居城として築城され、北城の北側山麓には斎藤氏の居館が設けられていたそうです。
今川義忠が、1476年(文明8年)に戦死し、龍王丸(後の今川氏親)と、小鹿範満との間で家督争いが起きた際、龍王丸は一時丸子城で暮らしていたそうです。
家督相続した氏親が西進を目指すに当たり、駿河府中の防御を固めるため斎藤氏の居城を接収して、南の三角山方面に城域を拡大したのが南城だそうで、氏親以降氏真までの城主や歴史は不明のようです。
また、家督相続した氏親は直ちに駿府の今川館には入らず、1495年(明応4年)頃まで丸子城を今川氏の居館である丸子館にしたとする説も出されているようです。

1568年(永禄11年)武田信玄が駿河に侵攻すると、西駿河に残る今川方への押さえとして山県昌景が丸子城に置かれました。
1570年(永禄13年)信玄は駿河全域を制圧して、丸子城は諸賀兵部大輔・関甚五兵衛を在番とし、1578年(天正6年)頃には屋代勝永に替えました。この間、西方面の大規模な増築や各所の改修が行われたようです。
1581年(天正9年)高天神城落城を前に、武田方は徳川方に丸子城を明け渡して退去し、徳川家康は松平備後守(松平清善?)を置いたが、1590年(天正18年)の関東移封に伴い廃城となったようです。

登城路は整備されており、駿河匠宿の観光スポットを横目に、ちょっとわかりにくい登城口から入って険しい道をしばらく登ると、いきなり丸馬出の見事な遺構が現れて感動します。
攻城時、強雨となった為、本曲輪のみの見学で下城。誓願寺には片桐且元の墓があるそうですが、見学しませんでした。
本曲輪までの距離表示が急に伸びたのには驚きました。
攻城時間は40分くらいでした。

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丁子屋 (2021/05/28 訪問)

 他の方も投稿されていますが、丸子宿といえばとろろ汁が有名です。丁子屋さんは丸子城近くにある江戸時代初期(慶長元年創業)から400年以上続く、静岡で最古のとろろ汁の店です。広重の東海道五十三次、芭蕉の俳句、十返舎一九の東海道中膝栗毛にも登場する、丸子宿のとろろ汁。近くに行く機会があれば立ち寄ってみてください。丁子屋の前には徳川家康が駿府城築城のときに石垣を作るために、この周辺から切り出したと伝わる辰石があります。「東海道中膝栗毛」では丸子のとろろ茶屋で夫婦げんかに巻き込まれて、とろろを食べそこねた弥次さん、喜多さんのエピソードが書かれていますが、自分は食事はしましたが、料理の写真を撮ることを忘れました。

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ぴーかる

納得の百・続百名城に負けていない名城 (2020/09/19 訪問)

【丸子城】
<駐車場他>城跡の専用駐車場はなし。駿府匠宿の駐車場1日200円を利用
<交通手段>レンタカー

<見所>中世山城にある遺構が大方見られます。
<感想>GoTo静岡1泊2日攻城の旅2日目、4城目。丸子城をめっちゃ行きたい城候補になったのは加藤先生の特集・連載記事を読んでから。この旅最大の期待を胸に登城した。今更城跡の説明は不要なので状況だけ記述します。
 三日月堀は添付写真の通りシダで埋まっていて(先達の方々の時より増えてる)輪郭がわかりにくいです。三の曲輪下段の堡塁の横堀もシダで覆われています。主郭から東西に降りる道には虎ロープが張られているので、降りるのに遠慮するのですが、北曲輪辺りから東西下段に行け、ロープも張ってません。物見曲輪には石の礫が多く転がっており、1列石が並べられたようなものが見られたので、この曲輪は石積みがあったかもです。
 期待通り大満足(^_^)v 全然百・続百名城に負けてない城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

老体には急峻な登城路あとは胸躍る山城 (2016/03/23 訪問)

 浜松より1号線バイパスを飛ばして清水区蒲原城を終えて西に戻り丸子宿に聳える丸子城を初登城。

 国道1号線バイパス沿いに体験工房駿府匠宿が在り同所の有料駐車場を利用(丸子路ガイドマップを駐車場の方に頂く)、匠宿内のおもしろ体験館の壁に丸子城指示の案内看板が有り指示に従って行くと急峻な階段登城路。
 北の登城路から東尾根に出るまでが大変キツイ神社の祠に着けば後は平坦な城域に東から入る、駐屯地7曲輪過ぎると尾根を進み丸子城見どころの三日月堀が6曲輪下に存在感あり、後は曲輪が連なり余湖図コレクションさんの俯瞰図に依れば5、4、3、2、本曲輪、4曲輪から本曲輪北側下に横堀が連なり丸馬出が要所に在る様ですが下まで降りて確認はしてません、曲輪間には虎口と堀で土塁で構えてます。
 一人静かな探訪でしたがガサガサと音がして構えましたが丸子城でウォーキングしてる方でした若干会話して探訪継続、樹木は杉等鬱蒼としてますが歩きやすく成ってます。
 横堀、虎口、土塁、曲輪、馬出と色々山城の構成部位に出会い楽しい探訪です、急峻な登城路さえ無ければと思い来た登城路をゆっくりこけない様にと下城。

 西の備え駿府を守る今川の山城、武田との攻防で武田の城、武田の大改修、徳川との攻防で徳川の城へ、武田氏の改修、徳川氏の改修を経て今日に至ってるのでしょうか?

 日帰り蒲原城、丸子城探訪でしたが今回は足腰にキツイ山城廻りでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 斉藤氏?
築城年 不明
主な改修者 今川氏親
主な城主 斉藤氏、福島氏(今川氏家臣)、山県氏(武田氏家臣)、松平氏(徳川氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、竪堀、枡形、馬出
再建造物 説明板
住所 静岡県静岡市駿河区丸子字泉ヶ谷