脇城は天正13年(1585年)秀吉より四国平定の功績で蜂須賀家政に阿波の国を拝領、筆頭家老稲田種元が脇城に入城し、戦火で荒れた城郭、城下を復興していく。稲田氏は蜂須賀至鎮が大坂の陣の戦功で淡路一国を加増されて淡路洲本城代で脇城から洲本城へ移る事に成ります。
城下町は、町に来て商売を営む者には、地子銭も諸役も免状され生国を問わないとし、讃岐、伊予、備前などからも諸商人が集まり繁栄が始まる。
吉野川は現在と違い、石垣を洗いながら流れており、石垣の下は、平田舟の船着き場であった。
文政12年(1929年)12月の大火で169軒の家を焼失した、それからうだつ(袖壁うだつ)を設けるところが増えた。
現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に昭和63年選定され85軒の歴史的建造物が残って居る。
通りの両側に白壁造り、白壁のうだつが左右の屋根に建ち黒格子戸で白と黒の対比が見事、江戸期から明治、大正時代の建物が連なる景観は圧巻の佇まいです。素晴らしい景観です。
うだつの町並みの写真を投稿します。
うだつの町並み途中に在る美馬観光ビューローでトイレ休憩、里見浩太郎水戸黄門の撮影ロケが有った様でポスターが張ってありました。
駐車場:県道12号線川北街道(吉野川の北堤防)「道の駅藍ランドうだつ」を利用。
脇城城域へは近くなのですが(800m程北)車の駐車など不安で取り止めました。
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