もともと何もないところに建てた、完全な模擬天守閣ですが、立派な建物です。途中まで、エレベーターがあり、最上階は、展望台になっています。内部は、図書館などがあります。
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2024/12/02 00:19
2024/11/20 13:47
豊田城探訪 (2024/11/06 訪問)
茨城県常総市にある豊田城を訪問しました。
国道294号を南下していると5重7階の天守閣が視界に入ってきます。高さ48.5mで市内で一番高い建物だそうです。
この豊田城は常総市地域交流センターとして建てられましたが、実際のお城跡は別の場所のようです。
最上階からの眺望は素晴らしく、常総市の街並みや筑波山が良く見えます。また、登城日はあいにく見えませんでしたが、天気が良ければ、富士山も見えるとのこと。
1階のロビーには、城主豊田治親氏の毒殺の場の展示がしてありました。戦国時代の厳しさを見るようです。
ところで、常総市内を走行していると櫓風の建物が散見されます。いくつ位あるのでしょうか?
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2022/10/30 20:29
筑波サーキットのついでに豊田城 (2005/05/05 訪問)
過去のお城巡りの振り返り第21弾は、茨城県石下町(現常総市)の豊田城。
現在の茨城県常総市周辺は嘗て下総国の豊田郡と呼ばれ、平安時代にその地を賜った常陸平氏の中の一族が豊田氏の始まりなのだとか。
そしてその豊田氏が、室町初期から1578年に多賀谷氏に滅ぼされるまで本拠としていたのが豊田城とのこと。
さて、訪問当時は主に天守のある城を巡っており、筑波サーキットへ行く途中に模擬天守の地域交流センターを撮影したのみ。
しかし本来の豊田城はそこから南東に約2kmの場所で、現在は石碑や案内板が建つ程度。
元々は小貝川西岸に沿う微高地に、屋敷や井楼矢倉を築いた城だったでしょうか。
「石下町史」によると、北側(現在の本豊田住宅地)に寺や城下町を配置し、堀切で分断されていた石碑の南側の農地部分が城の中核だったと推測される模様。
石下の町の大きな模擬天守は、嘗てこのエリアに豊田氏が存在していたことを今に伝えているのですね。
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分類・構造 | 平城 |
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天守構造 | 複合式層塔型[5重7階/1992年築/RC造模擬] |
築城主 | 豊田善基 |
築城年 | 正平年間(1346〜1370) |
主な城主 | 豊田氏、加賀谷氏 |
廃城年 | 慶長4年(1599) |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑、説明板、近隣に模擬天守(地域交流センター) |
住所 | 茨城県常総市本豊田 |
問い合わせ先 | 常総市地域交流センター |
問い合わせ先電話番号 | 0297-42-0169 |