とよだじょう

豊田城

茨城県常総市


旧国名 : 下総

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豊田城模擬天守
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T-Shionoya

筑波サーキットのついでに豊田城 (2005/05/05 訪問)

過去のお城巡りの振り返り第21弾は、茨城県石下町(現常総市)の豊田城。

現在の茨城県常総市周辺は嘗て下総国の豊田郡と呼ばれ、平安時代にその地を賜った常陸平氏の中の一族が豊田氏の始まりなのだとか。
そしてその豊田氏が、室町初期から1578年に多賀谷氏に滅ぼされるまで本拠としていたのが豊田城とのこと。

さて、訪問当時は主に天守のある城を巡っており、筑波サーキットへ行く途中に模擬天守の地域交流センターを撮影したのみ。
しかし本来の豊田城はそこから南東に約2kmの場所で、現在は石碑や案内板が建つ程度。

元々は小貝川西岸に沿う微高地に、屋敷や井楼矢倉を築いた城だったでしょうか。
「石下町史」によると、北側(現在の本豊田住宅地)に寺や城下町を配置し、堀切で分断されていた石碑の南側の農地部分が城の中核だったと推測される模様。

石下の町の大きな模擬天守は、嘗てこのエリアに豊田氏が存在していたことを今に伝えているのですね。

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城とマスク

茨城のお城巡り (2022/08/12 訪問)

豊田城も記念撮影だけしました

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チェブ

地域交流センターだっぺよ。 (2021/11/28 訪問)

法事で早く到着してしまいそうなので「豊田城」に寄りました。
いつもながら、城びと失格です。はい。

垣武平氏一族の豊田氏のお城です。
豊田 政親さんは小田城主の小田 氏治さんと同盟を結び、多賀谷氏に対抗してました。
小田 氏治さんは戦国最弱で有名ですが、いささか不安です。
その後、豊田氏は家臣に毒殺され滅亡してしまいました。
へっ、豊田家中、もめてたのでしょうか。
多賀谷氏の所領になりますが、徳川 家康さんの出陣要請に応じず、会津討伐に向かう家康さんに夜襲をしかける強者です。改易されてしまいました。
なんだか、憎めない方々です。

「豊田城」の場所は、模擬天守風の常総市地域交流センターではなく、小貝川の堤防上に城址碑があるそうです。
行ってませんがヽ(´Д`;)ノ
早朝だったので、地域交流センターも開いてませんでした。
外で地元野菜を販売している、おばちゃんたちと歓談。
茨城県の方言は語尾のイントネーションが高くなり明るい気持ちになります。
いや、どーも。なんちゃって模擬天守、見だらよかっぺよ(*´∀`)♪

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赤い城

模擬天守なのに存在感が大きい (2021/08/01 訪問)

地域交流センターの模擬天守が圧倒的な存在感を出しています。
この地域のシンボル的存在。
実際はここから徒歩で30分くらい、小貝川の脇にあったとされ、堤防上に石碑と説明板が立っています。
桓武平氏一族の豊田氏が築城し、小貝川から水を引き込んだ堀と土塁があったと考えられています。
もちろん遺構はありません。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 複合式層塔型[5重7階/1992年築/RC造模擬]
築城主 豊田善基
築城年 正平年間(1346〜1370)
主な城主 豊田氏、加賀谷氏
廃城年 慶長4年(1599)
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板、近隣に模擬天守(地域交流センター)
住所 茨城県常総市本豊田
問い合わせ先 常総市地域交流センター
問い合わせ先電話番号 0297-42-0169