西播磨の上月城、歴史資料館を約2時間滞在、探訪と城談義有意義な時間を終えて故郷鳥取へ山を越えると天候はガラッと変わり雨模様で気温は寒い、昨年末に城郭放浪記さんの放浪記の寄稿が有り故郷の山崎城を認識し帰省の折にと考えてましたが武漢コロナウイルス禍で中々移動が難しく今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り(城廻り累計32城目)の帰路途中に鳥取入りし寺参り墓参りの序にと「稲葉山崎城」を訪ねました。
行程は国道373号線を北上し横目に利神城、武蔵の最初の決闘場を車窓チラ見、佐用平福ICより無料鳥取道を北上、河原城をチラッと見て河原ICを降りる、県道32号線をを東方向、船岡、郡家、国道29号線を一部通り、県道39号線山道山越え国府町中河原辺りから県道154号線へ殿ダムに抜ける道を入り殿ダムの手前に大きい看板が有り到着。車は交通量が少ないので登城口の幅の広い所に路駐、または直ぐ近くの殿ダム駐車場か手前の駐車場エリア十分駐車台数可能。
情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さんですが今回は古城盛衰記さん案内図を参考にしました。
今回は当日雨で条件が悪く登城口、案内板、殿ダムから全体撮影だけと成りました、城郭は袋川、上地川に守られた要害の地、草が枯れて雪前の登城が最高でしょうから次回の帰省タイミングで再訪できたらと思っております。
歴史は看板によると源平の頃因幡守であった大江広元の子孫で12代続いた家柄、天文年間(1532~55年)一族の市場城(私部城)毛利豊元に攻められ落城と有ります。 大江広元の子孫と言えば安芸毛利元就も同族。
次に殿ダムの頂部道を渡り県道31号線を国府町経由鳥取城へ約10km程の北西に走る。
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