三木上の丸駅から徒歩2~3分で、三木城址入口(34.800629、134.987592)に着きました。
かんかん井戸跡や天守跡、別所氏長治公の辞世の碑、別所長治公像を見学した後、三木市立みき歴史資料館(34.798818、134.987753)➡別所長治公首塚(34.796636、134.986989)の順番で巡りました。
築城年代は定かではないようですが、別所氏によって築かれたと云われています。
三木城は1578年~1580年(天正6年~天正8年)羽柴秀吉による兵糧攻め、三木合戦(三木の干殺し)で、別所長治以下一族が自害し落城しました。
その後、1585年(天正13年)摂津国茨木より中川秀政が入城しますが、朝鮮の役で没しました。
弟秀成が継いだものの禄高は半減となり、1594年(文禄3年)豊後国岡に転封となりました。
1600年(慶長5年)池田輝政が姫路に入部した際、三木城には伊木忠次が30,000石で在城しましたが、元和の一国一城令によって廃城となりました。
本丸跡周辺が上の丸公園として残っており、公園内には長治の騎馬像や城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」があります。
二の丸は南に隣接した部分でみき歴史資料館などがあり、三木城に関する展示となど常設展は無料で見学できます。
三木城には新城、鷹尾山城、宮ノ上要害などの支城があったそうですが、現在遺構を残すのは鷹尾山城のみだそうで、この後、攻城しました。
近隣に、三木城攻防戦の最中に陣中で没した竹中半兵衛の墓があるそうですが、時間の都合で行っていません。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=鷹尾山城(城びと未登録 兵庫県三木市)へ徒歩で向かいました。
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