みきじょう

三木城

兵庫県三木市

別名 : 釜山城、別所城
旧国名 : 播磨

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①本丸跡碑
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昌官忠

(東海&関西)遠征10日目:三木城 (2025/05/24 訪問)

三木上の丸駅から徒歩2~3分で、三木城址入口(34.800629、134.987592)に着きました。
かんかん井戸跡や天守跡、別所氏長治公の辞世の碑、別所長治公像を見学した後、三木市立みき歴史資料館(34.798818、134.987753)➡別所長治公首塚(34.796636、134.986989)の順番で巡りました。

築城年代は定かではないようですが、別所氏によって築かれたと云われています。
三木城は1578年~1580年(天正6年~天正8年)羽柴秀吉による兵糧攻め、三木合戦(三木の干殺し)で、別所長治以下一族が自害し落城しました。
その後、1585年(天正13年)摂津国茨木より中川秀政が入城しますが、朝鮮の役で没しました。
弟秀成が継いだものの禄高は半減となり、1594年(文禄3年)豊後国岡に転封となりました。
1600年(慶長5年)池田輝政が姫路に入部した際、三木城には伊木忠次が30,000石で在城しましたが、元和の一国一城令によって廃城となりました。

本丸跡周辺が上の丸公園として残っており、公園内には長治の騎馬像や城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」があります。
二の丸は南に隣接した部分でみき歴史資料館などがあり、三木城に関する展示となど常設展は無料で見学できます。
三木城には新城、鷹尾山城、宮ノ上要害などの支城があったそうですが、現在遺構を残すのは鷹尾山城のみだそうで、この後、攻城しました。
近隣に、三木城攻防戦の最中に陣中で没した竹中半兵衛の墓があるそうですが、時間の都合で行っていません。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=鷹尾山城(城びと未登録 兵庫県三木市)へ徒歩で向かいました。

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城好きのメガネ

「三木城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
三木城は、室町時代に三木別所氏の初代当主別所則治によって築かれたとされる。小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された。戦国時代には、別所長治と羽柴秀吉との間で起こった三木合戦では、「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われた。三木合戦後も、京都や大阪をつなぐ交通の要衝として秀吉・子飼いの家臣が城代として入る。関ヶ原の戦い後は、池田輝政の姫路入封に伴い、姫路城の支城となる。家老の伊木忠次が入城したが、一国一城令によって廃城となった。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、天守台が遺されている。

<アクセス>
神戸電鉄 粟生線 三木上の丸駅 徒歩10分

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別所長治 (2023/09/23 訪問)

 別所長冶の居城として知られています。羽柴秀吉による兵糧攻め、「三木合戦(三木の干殺し)」の舞台となりました。遺構はほとんど残っていませんが、地形や規模は何となくわかります。
しんちゃんさんが投稿されていた鷹尾山城等も行きたかったのですが、今回は時間がなく周囲を散策する余裕もなく断念しました。

 神戸電鉄粟生線三木上の丸駅より徒歩3分くらいで行くことができます。

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しんちゃん

東播磨を統べる堅固な城郭 (2023/05/28 訪問)

羽柴秀吉による三木の干殺しで有名な別所長治の居城です。
支城である新城、鷹尾山城、宮ノ上要害や別所夫妻の首塚のある霊龍寺なども含めると
かなりの城域を有する巨城であり、織田軍といえども容易には落とせないであろうと思いました。
主郭は公園や神社、二の丸は博物館、新城は宅地化しており、かつての面影は薄いですが
鷹尾山城には土塁や堀が残されておりますので、ぜひとも訪問していただきたいところです。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 不明
築城主 別所則治
築城年 長享2年(1488)頃
主な改修者 前野長康、中川秀政
主な城主 別所氏、中川氏、伊木氏(池田氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、天守台
指定文化財 国史跡(三木城跡及び付城跡・土塁)
再建造物 模擬城壁、石碑、説明板
住所 兵庫県三木市上の丸町
問い合わせ先 三木市文化スポーツ振興課
問い合わせ先電話番号 0794-89-2401