やまべじょう

山家城

長野県松本市

別名 : 中入城
旧国名 : 信濃

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主郭の石垣
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モト

石垣に感動しました (2023/01/12 訪問)

主郭にある石垣には誰もが感激するのでないかと思います。
その石垣だけでなく堀切など見所がたっぷりの素晴らしい城跡だと思います。
山への入り口からの道のりは勾配なども多少ありますのでそれなりに登山です。
ですが途中で見る事ができる堀切などは疲れを感じさせない遺構達でした。
まして主郭へ辿り着いて見る事ができる石垣には大満足できました。

※ぜひぜひご紹介
苦労したのは素晴らしい城跡の割に案内板などの看板の少なさです。
○○城こちらのような案内はなく登城口にはかなり迷ってしまいました。
山に入る入り口は3つくらいあります。
徳運寺からとお寺を正面に右手におよそ200mで現れる入り口、さらに20m奥にももう一つあります。
いずれの入り口も獣よけネットを開けて入ります。
ここで私は、みなさんの投稿が助かりました。
それがなければわからなかったと思います。
ですから私なりにご紹介します。
登り方は大きく2つ、徳運寺の墓地の後方にある入り口と先ほどお寺から右手に220mほど行ったところにある入り口です。
ほんとうは220mの入り口が1番近いはずですが、その入り口には登城はできないとの案内がぶら下がってました。
ただ結果的には山を降りた際はなぜかこの入り口から出る事になりました。
徳運寺からの道は一本、ひたすら真っ直ぐ進む感じですのでわかりやすいと思います。
尾根を進みますが勾配がそれなりにあるのでなかなか険しい道でした。
その間の矢印などの看板などは主郭近くまで皆無で少々不安な道のりでした。
車は獣よけネットの前のスペースに停めるか徳運寺にある駐車場が良いと思います。

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todo94

県内の城めぐり2022㉓ (2022/05/07 訪問)

9年前のゴールデンウイーク以来の攻城です。前回は山家城攻城の後、高崎に向かい中学の同窓会に参加したのですが、痛飲、泥酔、激しく嘔吐した苦い記憶が残っています。2度目の攻城にもかかわらず、獣よけフェンスの正面に伸びる足下がぬかるんだ沢を登りその後急斜面を直登する羽目になってしまいました。登城路は獣よけフェンスのすぐ右手に伸びています。高石垣が見られる郭は最も新しい郭だそうで「甲信越の名城を歩く」によると武田氏滅亡後に作られたのではないかとのこと。今回は五重堀切の先の秋葉神社が鎮座する郭、更に堀切を越えた最高所の郭まで脚を伸ばすことが出来て満足です。まだ、未踏の郭が残っているので今後の楽しみにとっておきます。現在でも小笠原氏城跡として長野県史跡に指定されていますが、遺構的には国史跡の価値が十分にあると感じています。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目:山家城 (2021/06/28 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目の5城目は山家城です。
桐原城から転戦。徳運寺300m先の路肩(36.220757、138.048231)に路駐しましたがスペースは狭くお薦めしません(徳運寺の駐車場を利用されるのをお薦めします)。ブドウ畑を250mくらい登ると登山口に着きます。


鎌倉時代、諏訪氏の一族が山家氏を称し、この地に居城を築いたと言われています。
1481年(文明12年)に小笠原長朝に攻められ、山家氏は滅亡しました。
その後、小笠原長時の家臣である折野昌治が山家氏を称し、山家昌治となりこの地を治めていましたが、1550年(天文19年)に武田信玄が信濃府中に侵攻すると寝返って以降は武田氏に仕えました。
現在城址には土塁や石積み、連続竪堀などの遺構が良好に保存されており、居館跡とされる山麓の徳運寺から登山道が整備されているようです。(フェンス前で引き返したのでわかりません)
「小笠原氏城跡」として桐原城、埴原城などと共に長野県指定史跡に指定されています。

駐車場所から登山口までの急坂を登っている途中で、右ひざを痛めてしまいました。
遠征2日目でもあり無理せずフェンス前で攻城を断念し車に戻り、徳運寺駐車場で痛み止めの薬を飲んで休息しました。
攻城時間は40分くらいでした。(ほぼ休息時間です)

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ヒロケン

小笠原氏城跡群の山城 (2020/05/15 訪問)

山家城(やまのべじょう)は鎌倉時代末に山家氏が築城したと云われています。1505年頃、小笠原氏の同流である折野薩摩守昌治(折野山家氏)が播州から来てこの城に居たと云われています。
1550年武田信玄の府中(松本)侵攻の際、自落した。山家城は逐次改修が加えられていったが、特に戦国期に入って林城に拠る小笠原氏の属城となってから大規模な改修が行われ山辺谷最奥部の要害城としての威容を誇っていた。(現地説明板より)

山家城は長野県松本市大字入山辺にある山城で曲輪、土塁、石垣、堀切、土橋などが良好に残っています。
登城口は徳運寺の墓地から登るルートと上手町の公民館前から登るルートの二か所あり、自分は徳運寺の墓地から登るルートを選択。(徳運寺の駐車場があります)

山家城の見所は東斜面と南斜面に石垣が残り、中でも東斜面の石垣は高さ約2m長さ約20mにも及び、見応え十分です。また、堀切、竪堀も深く傾斜も急で見事なものです。小笠原氏城郭群の城は見事なものが多いですが、山家城は中でも群を抜いて見事なものだと感じました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山家氏
築城年 鎌倉時代後期
主な改修者 小笠原氏
主な城主 山家氏
遺構 曲輪、石積、土塁、堀切
指定文化財 県史跡(小笠原氏城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県松本市入山辺中入
問い合わせ先 松本市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0263-34-3292