やまべじょう

山家城

長野県松本市

別名 : 中入城
旧国名 : 信濃

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奥の城・主郭背後の堀切
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しんちゃん

奥の城 大堀切が尾根を分断す (2023/11/19 訪問)

今さらですが山家城・奥の城の投稿です。下の城の投稿からだいぶたっていますが、ご容赦を。
この城は全国の山城の中でもかなりすごい遺構を誇ります。正直、林城より好きですね。国の史跡にしましょうよ。
東西に伸びる尾根に渡って山家城は築かれています。主郭の東側には見事な石垣が残っていますが主郭背後の堀切から北東に向かって遺構がまだ続きます。見ごたえのある山城が二つ続いているようなもので上の城は「奥の城」と呼ばれています。大きな堀切がそのまま左右に竪堀となって幾条にも連なっていきます。このへんは奥の城で最もダイナミックな部分です。そこから先に主郭に通じる道が有るんですがちょうど見える場所に熊のフンが落ちています。この城では二つ目、実は去年の11月から熊のフンのある城を三つ訪問してます。皆様、どんな身近な城でも山城では熊スズが必須です。
山家城に話を戻しますが熊のフンがあろうが無かろうが遺構は隅々まで見ます。慣れってやつですね。
東のコの字状の土塁(?)まで見た後戻りますが、間違って南の郭の方に行きました。そこから修正して出口に戻ります。あちこちで不穏な音がするとクマか!と緊張が走りますが不思議と落ち着いています。生きてるって素晴らしいですね。

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ぴーかる

山家城 (2023/11/23 訪問)

【山家城】
<駐車場他>徳雲寺駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>主郭石垣・堀切
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅初日4城目。現地説明板によると「築城時期は不明だが城主は中世山家郷を支配した山家氏と伝えられる。山家氏は神為頼(諏訪氏)の子孫で1331年に徳雲寺を創建しており、山家郷の地頭を相伝していたとされる。1480年に府中の小笠原長朝に攻められ滅びたか敗走した。1505年頃小笠原氏の同流である折野昌治が播州から入城し、1550年武田信玄の攻撃によって林大城が落ちた際に自落した」とあります。小笠原氏時代は本城を守る支城としての役割を担っていたと思われます。西側の主郭に石垣が残る方が新しく、東側の連続大堀切を数条はさんで秋葉神社になっている中入城が古い時代の主郭部分だそうです。
 
 先達の方々を参考に徳雲寺からの登山ルートを選択しました。徳雲寺本堂左手の墓地を登って行くと山道に入ります。右に折れ、貯水槽の横を進むと獣柵のゲートがありますので開けて入ります。入ってすぐ神社があります。背後の尾根をまあまあひたすら登ります。途中から踏み跡の道が無いのでストック要です。やがて堀切を2条渡り西の尾根曲輪に入ります。2段構造の広い曲輪です。また堀切を渡り登ると主郭の西側の帯曲輪に着きます。
 主郭は南側の曲輪壁にも石垣が一部残存していますが、東面の全面石垣が最大の見所です。主郭はやや小さく北東側は大堀切があるため土塁で盛り上がっています。主郭西面の曲輪壁には石垣は無かったようで高い切岸になっていました。主郭北東側から旧主郭の秋葉神社まで3条くらいスケールのある大堀切があり圧巻です。大堀切はそれぞれ竪堀として急斜面下まで伸びていて落ちたらヤバイ。
 旧主郭の秋葉神社ある曲輪の方が新主郭より広く、主郭に幅広の帯曲輪で取り巻いています。旧主郭の東背後は小さめの連続堀切がありその先に広い副郭があります。

 3城目の林大城が見終わったのが14:30で予定では桐原城とこの山家城が残っていました。時間的に2城攻めは無理、宿泊が佐久市まで移動しなければならず小笠原氏城跡群はあと1択、ヒロケンさんの投稿で「山家城は小笠原氏城郭群の中でも群を抜いて見事なものだと感じました。」という記述に惹かれて山家城を選択し良かったです。大満足の城跡でした。桐原城は次の機会の楽しみに置いてこの日は終了しました。

<満足度>◆◆◆

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しんちゃん

素晴らしい遺構を残す山城 そして‥ (2023/11/19 訪問)

山家城は「小笠原氏城跡」の一つで長野県の史跡に登録されています。個人的には林大城よりよほど山城としての遺構が優れており、国の史跡にふさわしい山城だと考えております。見る目が無い‥いやいや、いずれ国の史跡になると思いますよ。山城のメッカともいえる長野県ですがその中でも山家城はこの地方を代表するすごい城です。城は二段構造になっていて、見事な石垣を残す中の城(山家城)と、それと同規模かそれ以上の規模を誇る奥の城があり非常に見ごたえがあります。
まずは中の城を紹介したいと思います。城をじっくり見たいので徳運寺の背後から尾根沿いに登っていきます。すると‥ありました。
クマ公のウ〇コです。久々に見ましたね‥青森の尻八館以来です。
やつら虎口や土橋など必ず通る所にしていくんですよ。縄張りアピールしてくれてます。賢明な方はここで引き返していただきたい。私は自己責任で進みます。熊スズが頼りですが案外落ち着いています。政府が熊対策に本腰を入れないので今日日そこいら熊だらけですからね。いくつか堀切をすぎると主郭にたどり着きます。見事な石垣で土塁も残っています。主郭の背後は堀切で遮断されその奥に城域が続きます。凄い堀切が見えます。次に続きます。

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モト

石垣に感動しました (2023/01/12 訪問)

主郭にある石垣には誰もが感激するのでないかと思います。
その石垣だけでなく堀切など見所がたっぷりの素晴らしい城跡だと思います。
山への入り口からの道のりは勾配なども多少ありますのでそれなりに登山です。
ですが途中で見る事ができる堀切などは疲れを感じさせない遺構達でした。
まして主郭へ辿り着いて見る事ができる石垣には大満足できました。

※ぜひぜひご紹介
苦労したのは素晴らしい城跡の割に案内板などの看板の少なさです。
○○城こちらのような案内はなく登城口にはかなり迷ってしまいました。
山に入る入り口は3つくらいあります。
徳運寺からとお寺を正面に右手におよそ200mで現れる入り口、さらに20m奥にももう一つあります。
いずれの入り口も獣よけネットを開けて入ります。
ここで私は、みなさんの投稿が助かりました。
それがなければわからなかったと思います。
ですから私なりにご紹介します。
登り方は大きく2つ、徳運寺の墓地の後方にある入り口と先ほどお寺から右手に220mほど行ったところにある入り口です。
ほんとうは220mの入り口が1番近いはずですが、その入り口には登城はできないとの案内がぶら下がってました。
ただ結果的には山を降りた際はなぜかこの入り口から出る事になりました。
徳運寺からの道は一本、ひたすら真っ直ぐ進む感じですのでわかりやすいと思います。
尾根を進みますが勾配がそれなりにあるのでなかなか険しい道でした。
その間の矢印などの看板などは主郭近くまで皆無で少々不安な道のりでした。
車は獣よけネットの前のスペースに停めるか徳運寺にある駐車場が良いと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山家氏
築城年 鎌倉時代後期
主な改修者 小笠原氏
主な城主 山家氏
遺構 曲輪、石積、土塁、堀切
指定文化財 県史跡(小笠原氏城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県松本市入山辺中入
問い合わせ先 松本市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0263-34-3292