こせまじょう

古瀬間城

愛知県豊田市


旧国名 : 三河

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①石碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:古瀬間城 (2024/09/24 訪問)

見晴らしの丘バス停から徒歩15分くらいで、浄願寺の山門前(35.068721、137.199522)に到着しました。

1506年(永正3年)に松平弥三郎宗忠によって築かれたと云われています。
松平氏が高橋荘の寺部城主・鈴木氏を攻略するための拠点として築いたものとされ、足助城主・鈴木左京亮重政が一時ここを居城としたとも伝わっています。

浄願寺境内を奥にすすむと大平の門跡があり遊歩道へ続きます。
城址公園として整備されており、物見台風の展望台が建てられていますが、土足厳禁の割りには階段はきたない(一応、靴は脱いで登りました)。
小規模ながら曲輪、櫓台跡等の遺構が確認できます。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=松平城を目指す為、愛知県豊田市/おいでんバスを利用して、志賀町バス停から松平郷バス停に向かいました。

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ぴーかる

古瀬間城 (2023/01/27 訪問)

【古瀬間城】
<駐車場他>浄願寺駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>眺望
<感想>日帰り松平郷の旅5城目。現地説明板によると古瀬間城は松平氏が高橋荘攻略の拠点として1506年に松平忠宗(長沢松平家)に築城させたと言われています。一説によれば1590年徳川家康の関東移封によって廃城したと言われています。
 城跡へは浄願寺境内の奥に獣柵の扉がありますので開けて入ります。扉の前に松平忠宗のものと伝えられる墓があります。城跡へはすぐにたどり着けます。山の尾根の先端部分を切り開いて山の上方を堀切で区切っています。ほぼ主郭のみの単郭円形の城郭で細い帯曲輪で巻いています。櫓台跡がありましたが薄くなりすぎていてよく分かりません。豊田市お金持ってます、立派な展望台櫓が建てられています。展望台から西方向の眺望が良かったので当時は西からの動きがよくわかったのだと思います。城跡の山側の小督の局の墓碑があるのでお参りしました。御城印は現在、豊田市駅前のショッピングモール【T-FACE】で販売されています。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

長沢松平氏のちょっと良さげな城 (2014/03/15 訪問)

古瀬間城は現在、浄願寺の背後の丘 古瀬間城址公園として整備されています。
主郭の北側に腰郭を配し、城の周囲にも帯状の郭を配しています。
主郭には展望台があり眺望もなかなかのものです。
成願寺から城跡に至る道の途中には松平宗忠公の墓があります。
この宗忠さん松平家三代、信光より別れた長沢松平家の方で古瀬間城を
築城された方でもあります。
現在は豊田市が公園として管理しており、見張櫓(展望所)もその際に
建造されたものらしいです。

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todo94

三河日帰りドライブ・5城目 (2023/02/23 訪問)

松平郷の前にもう1城、つまみ食い。古瀬間城にも立ち寄ってみました。城址碑、説明板、展望台が整っていて、お手軽に攻城できる割には眺望も良くて、楽しめる城でした。主郭の梅が咲き始めていました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 松平宗忠
築城年 永正3年(1506)
主な城主 松平氏、鈴木氏
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、櫓跡
再建造物 模擬見張り櫓(展望台)、石碑、説明板
住所 愛知県豊田市志賀町城山
問い合わせ先 豊田市郷土資料館
問い合わせ先電話番号 0565-32-6561