かみあかさかじょう

上赤坂城

大阪府南河内郡

別名 : 上赤阪城、楠木城、小根田城、桐山城
旧国名 : 河内

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そろばん橋と大堀切
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しんちゃん

下↗上 (2024/02/24 訪問)

下から上へ。上赤坂城でございます。
標高349.7m、比高150mの山城で、下赤坂城とともに楠木正成によって築かれたとされています。元弘3年(1333)楠木正季と平野将監は鎌倉幕府の大軍相手に善戦するも水の手(水路)を断たれて落城したとのことです。
このさいにフン尿を敵にかけるという奇策を取り、「くそんど(クソ谷)」という地名が残っているようです。ここは「悪党」の一族の本領発揮というところでしょうか。勝ってナンボとやりたい放題やってますが、後の時代に真似する人は現れなかったようです。
登城道の最初から狭い道が続き、一の木戸から四の木戸まで四ツの木戸跡を越えていきます。その先は大堀切に「そろばん橋」がかかり、その先は東に二の丸、西は茶碗原から本丸に道が続いています。城址は比較的コンパクトですが堀切等の遺構が残っていることから戦国期に改修されて使われている可能性がありそうです。
クソに話を戻しますが、ベトナム戦争ではベトコンがトラップに利用していたみたいです。最近は風船に乗ってどこぞの国にふわふわ飛んで行ってるみたいですな(‥‥やばいって)。

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カルビン

【城と看板】 (2015/03/21 訪問)

足利尊氏に美味しい所全部持って行かれたまさしげくんの看板

こんなキャッチコピーの政治家いたなww

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楠木正成 (2021/10/14 訪問)

駐車場から約20分くらいで主郭に行くことができます。主郭南側に堀切があります。二の丸の背後に回り込むと帯曲輪のような地形があり下に横堀を見ることができます。「余湖くんのホームページ」に記載されている図から、その付近に竪堀などがあることが記載されていたので明瞭な道はありませんでしたが先人が通ったらしき踏み跡をたどって下に降りました。見事な竪堀を見ることができます。その後崖に面した道らしいところを歩いて二重堀を見つけることができました。

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ぴーかる

上赤坂城 (2020/06/07 訪問)

【上赤坂城】
<駐車場他>登城口前に無料Pあり。
<交通手段>車

<見所>切通し・横矢・曲輪
<感想>下赤坂城の戦いののち、幕府軍との決戦に備えて1331~1334年に築城された城。平野将監入道と楠木広季(正成の弟)が入り千早城とともに守った城だが、こちらの上赤坂城は落城する。両軍多大な死傷者がでて幕府軍の厭戦感が増大して結局千早城は守りぬいた。楠木正成の死後、1359年正成の子の正儀の時、赤坂一帯が再び攻防の舞台となり、翌年再び上赤坂城は落城する。

 城郭は本丸(千畳敷)のある曲輪群と二の丸(東の城)の2つの曲輪群の2連になっている。間に茶碗原と呼ばれる炊事場があった所で繋いでいる。登城口は城跡の北側で1~4の木戸跡を越えると東の城曲輪群に入ります。

 登城口の駐車場に募金箱とパンフレットがあります。登城口がちょうど一の木戸跡となっており、そこから深い切通しが続きます。切通しの土塁上にははっきりとした曲輪遺構も見られ、上からの攻撃ができた様子がわかる。三の木戸の先に「そろばん橋」と呼ばれる土橋にあたります。かつては二重堀切で土橋もなかったかもしれないそうだが、現在は1本は竪掘りになっていました。そろばん橋を渡ると四の木戸があり、90℃曲がりになります。ここは東の城(二の丸)曲輪群の最下段にぶつかり曲輪から堀切に向かって正面攻撃ができるかなり強固な造りになっている。90℃曲がると道は右手は谷、左手は東の城曲輪群の脇を登り進みます。夏場ということもあるが、かなり鬱蒼としているので東の城曲輪群は入れる曲輪は最上段ともう一つくらい。最上段の二の丸反対側は切岸になっていて、だいぶ下の方に横堀があります。東の城から西側に進むと茶碗原、越えて本丸の曲輪群に入ります。本丸は南北に細長く、方側に帯曲輪が付いています。北側は東の城と同じように連郭式の曲輪が連なり、西に横堀があります。本丸の北側から河内平野が一望できて絶景です。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 楠木正成
築城年 元弘年間(1331〜1334)
主な城主 楠木氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(楠木城跡(上赤阪城跡))
再建造物 石碑、説明板
住所 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山
問い合わせ先 千早赤阪村役場
問い合わせ先電話番号 0721-72-0081