金山要害山城から車で20分くらいで、玉作湯神社駐車場(35.413472、133.010856)に着き、そこから登り口/説明板付近(35.413238、133.011772)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、1332年(元弘2年)頃に湯荘留守職の諏訪部扶重によって築かれたと云われています。
後醍醐天皇が隠岐へ配流されたさいに同行した湯庄の富士名判官義網の留守中に、諏訪部扶重が築城して反乱を企てたがこの争乱で焼失しました。
その後、出雲守護佐々木泰清の七男頼清が湯氏を称して城を改修し居城としました。
その後の動向は定かではないようですが、1542年(天文11年)には湯佐渡守家綱の名が記録に残り、その古墓が城内の一角に残るそうです。
また、1558年(永禄元年)の玉作湯神社棟札に地頭代湯菊丸の名が残っています。湯氏は尼子の重臣となった家系が亀井茲矩で因幡国鹿野藩、石見国津和野藩の家系として続きました。
玉造要害山城は玉造温泉街の奥にある玉作湯神社の背後の丘陵に築かれています。
登城口から一ノ平まで200mの表示で登りはじめましたが、自分にとって道なき道の竹林を進み三ノ平に着きました。
しかし、問題はそこからで、二ノ平、一ノ平方向が方向音痴の自分には全くわかりません。
こんな小規模な城跡で迷子になるなんて笑えません。情けないですが、ここで撤退です。
どちらに向かっても道路方向には出れそうなので下山しました。
攻城時間は20分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=40260歩、歩行距離=28.1Kmです。
本日の宿泊先に車で向かいました。
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