尼子十旗:出雲国尼子氏の主要な家臣団の十の居城
尼子十旗(①白鹿城②三沢城③三刀屋城④赤穴城⑤牛尾城⑥高瀬城⑦神西城⑧熊野城⑨馬木城(夕景城)⑩大西城)
神西城(尼子十旗⑦)から有料道路を利用して車で25分くらいで、登り口付近(35.371321、132.860472)に着き路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代の暦応年中(1338年〜1341年)に、建部伊賀(建部内蔵伊賀)と言う武将が築いたとも、平氏が築いたとも伝わっています。
戦国時代に入ると、月山富田城の尼子氏の重臣である、尼子十旗の米原綱広が出雲・高瀬城主となりました。
出雲の米原氏は、佐々木六角氏の一族で、14代当主・六角定頼の甥・六角治綱が、米原氏の養子となって近江国米原郷を領したのが始まりとされます。
その後、米原治綱が尼子経久に仕えて軍功を立て、家臣となりました。
1562年(永禄5年)米原綱寛のとき毛利氏に降伏し、毛利氏に従って豊後大友氏との戦いに従軍していましたが、1569年(永禄12年)尼子勝久が再興をはかり出雲に入国すると帰国し尼子方へ復帰しました。
しかし毛利氏によって尼子再興軍も次第に勢力を削がれ、高瀬城と真山城(新山城)を残すのみとなり、1571年(元亀2年)3月高瀬城が落城、綱寛は真山城へと逃れその真山城も同年8月落城しました。
この後は吉川元春が入城し尼子再興軍一掃の拠点となりますが、尼子氏が滅亡すると廃城となりました。
なお、元春は父である毛利元就の訃報をこの城で受け取っています。
登り口より1.4Kmの遊歩道を歩き、山頂へ向かう予定でしたが、高瀬城(尼子十旗⑥ 6城目)到着時点で計画の65分オーバでしたので、ここで断念し攻城完了としました。
本日は攻城時間(移動時間+登城時間)の見積もりが甘く、予定がグダグダになりました。
登り口折り返しケースだけでなく、城びと未登録のお城も2つ攻城を断念しています。情けないです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=金山要害山城に向かいました。
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