たかせじょう

高瀬城

島根県出雲市


旧国名 : 出雲

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征6日目:高瀬城(尼子十旗⑥ 6城目) (2026/05/16 訪問)

尼子十旗:出雲国尼子氏の主要な家臣団の十の居城
尼子十旗(①白鹿城②三沢城③三刀屋城④赤穴城⑤牛尾城⑥高瀬城⑦神西城⑧熊野城⑨馬木城(夕景城)⑩大西城)
神西城(尼子十旗⑦)から有料道路を利用して車で25分くらいで、登り口付近(35.371321、132.860472)に着き路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代の暦応年中(1338年〜1341年)に、建部伊賀(建部内蔵伊賀)と言う武将が築いたとも、平氏が築いたとも伝わっています。
戦国時代に入ると、月山富田城の尼子氏の重臣である、尼子十旗の米原綱広が出雲・高瀬城主となりました。
出雲の米原氏は、佐々木六角氏の一族で、14代当主・六角定頼の甥・六角治綱が、米原氏の養子となって近江国米原郷を領したのが始まりとされます。
その後、米原治綱が尼子経久に仕えて軍功を立て、家臣となりました。
1562年(永禄5年)米原綱寛のとき毛利氏に降伏し、毛利氏に従って豊後大友氏との戦いに従軍していましたが、1569年(永禄12年)尼子勝久が再興をはかり出雲に入国すると帰国し尼子方へ復帰しました。
しかし毛利氏によって尼子再興軍も次第に勢力を削がれ、高瀬城と真山城(新山城)を残すのみとなり、1571年(元亀2年)3月高瀬城が落城、綱寛は真山城へと逃れその真山城も同年8月落城しました。
この後は吉川元春が入城し尼子再興軍一掃の拠点となりますが、尼子氏が滅亡すると廃城となりました。
なお、元春は父である毛利元就の訃報をこの城で受け取っています。

登り口より1.4Kmの遊歩道を歩き、山頂へ向かう予定でしたが、高瀬城(尼子十旗⑥ 6城目)到着時点で計画の65分オーバでしたので、ここで断念し攻城完了としました。
本日は攻城時間(移動時間+登城時間)の見積もりが甘く、予定がグダグダになりました。
登り口折り返しケースだけでなく、城びと未登録のお城も2つ攻城を断念しています。情けないです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=金山要害山城に向かいました。

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ぴーかる

高瀬城 (2023/02/25 訪問)

【高瀬城】
<駐車場他>登城口<35.371363, 132.860396>手前道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・眺望
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅4城目。第六の城、高瀬城は戦国時代に尼子氏の重臣の米原氏によって築城されました。宍道湖の南に位置する独立した山城で出雲平野・宍道湖岸を押さえる重要な位置にありました。月山富田城落城後も米原氏は尼子再興軍に加わり戦ったようですが1571年に毛利軍に敗れて高瀬城は落城します。
 上記登城口からは1400mの登山となります。中間地点の山の尾根上の平坦部分が三の丸(鉄砲立)になります。狭い尾根上の曲輪で山頂側に自然大石を利用した虎口らしき遺構があります。長い土橋を通り傾斜を登ると城跡の中心部分の駄置場という曲輪に入ります。そこから西側が二の丸(小高瀬)の連郭群、南側が主郭を含む連郭群となります。二の丸は中心に土塁と丸い巨石があります。二の丸から西下段に半月状の広い曲輪が数段あります。駄置場から南側の主要部は山頂が岩場の狭い曲輪なので物見曲輪かと思われます。手前の石垣跡が僅かに残る広い曲輪が主郭かと思いました。山頂部分には岩をコ字状に削った貯蔵庫のような遺構があります。山頂からの眺望は良く、宍道湖や出雲空港のある菱川町の町が見えます。比高の高さ要害ゆえからなのか、城跡の防御設備(堀切・堀)の遺構が表面観察からは見受けられなかった。しかし、尾根に沿って多く削平した曲輪群を楽しみました。いい山城です。

<満足度>◆◆◇

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ダイエティシャン

高瀬城Ⅲ(甲の丸) (2020/10/11 訪問)

写真を撮りながら、ゆっくり進軍し、登城口から約45分で、甲の丸(主郭)に到着(1から5枚目)
斐川平野や宍道湖が一望出来ます(6 と7枚目)
光明寺方面(8枚目)からも、登城口があるようで、合計3ヶ所、登城道があるようです。
岩(9枚目)いっぱいの山城でした。

今回は、地元新聞に、ウオークキングの記事が掲載されており、「今なら草刈りしてあるかも」と思い攻城しました。
7月は草刈りされておらず、攻城は諦めていました。
尼子10騎の1つですが、常に攻城出来る状態ではなさそうです。整備して下さった方に感謝です。

帰りは、道の駅【湯の川】に寄り、特産の【出西生姜】入りパン(10枚目)を買いました。ここでは、高瀬城の歴史のパネル展示がしてありました。パンフレットも頂きました。

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ダイエティシャン

高瀬城Ⅱ(駄置場 二の丸) (2020/10/11 訪問)

三の丸から約10分で、二の丸 駄置場に着きます(1と2枚目)猪が木の根と奮戦した様な跡もありました。(3枚目)
途中、七曲がり(七枚目)や郭っぽい物(4 5枚目)岩(6枚目)を横目に進軍し、岩を掘り起こした跡?(8, 9枚目)も通り過ぎ、本丸下の郭っぽい平地に到着(10枚目)


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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 米原氏
築城年 戦国時代?
主な城主 米原氏、吉川氏
廃城年 元亀2年(1571)?
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、竪堀
住所 島根県出雲市斐川町神庭
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969