ごんげんやまじょう

権現山城

神奈川県横浜市


旧国名 : 武蔵

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青木城側からの権現山城跡
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イタさん

子供たちが遊ぶ普通の公園 (2022/12/27 訪問)

 京浜急行の神奈川駅を過ぎると、宮前商店街のアーチが見える。この細い道は旧東海道で、すぐ左奥にフランス公使館跡の甚行寺がある。ちなみに公使館跡から北東へ直線500メートルにフランス領事館跡の慶雲寺がある。慶運寺は浦島寺とも呼ばれ、浦島太郎が竜宮城から観音像を持ち帰ったとの伝説があると載る。
 城跡の幸ヶ谷公園には短いが急坂を上る。公園は広く平坦で南際に幸ヶ谷公園コミュニティハウスが建ち、東は一段低くトイレ・遊具などが設置されている。西の線路越しの先は青木城跡・本覚寺が眺められる。
 遺構は遺っていないが、権現山合戦の跡の説明が往事を偲ばせる。説明板には永正7年(1510)北条早雲(当時は伊勢氏)が、関東の支配者上杉氏(扇谷・山内)の家臣、上田蔵人を味方にし、ここに砦を築かせた。上杉朝良ら2万の大群が砦を囲み、十日間も合戦が行われ、上田勢が破れた古戦場跡である、と読める。

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赤い城

幸ヶ谷公園だが古戦場でもある (2022/07/03 訪問)

東神奈川駅から徒歩で10分ちょっと。
幸ヶ谷公園が城跡となります。
遺構はありませんがかつてここで戦があったことが記された説明板が立ちます。
山内、扇谷上杉氏と北条早雲が戦った権現山合戦の舞台です。
今は平和な公園で、朝早くの訪問でしたが散歩されてる市民の方も少なくはなかったです

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幸ヶ谷公園 (2022/05/12 訪問)

権現山合戦の舞台となった城址ですが、幸ヶ谷公園となっていています。

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昌官忠

横浜市11城巡り②:権現山城 (2022/05/06 訪問)

神奈川台場からの転戦です。横浜市11城巡り2城目は権現山城です。
6月の九州遠征前の、なまった足腰のリハビリを兼ねた攻城(PART4)です。
神奈川台場より徒歩10分くらいで権現山説明板前(35.471936、139.629260)に着きました。

権現山城は1510年(永正7年)に起きた「権現山の戦い(権現山合戦)」の舞台となった城です。
このときの城主は相模守護代・上田蔵人政盛で、政盛は北条早雲(伊勢宗瑞)と手を組み、関東管領・上杉氏に叛旗を翻しましたが、上杉朝良を大将とする2万の軍勢に囲まれ落城しました。
戦いは上杉方の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり後北条氏による関東支配が始まったようです。
南北朝時代の史料に登場する「狩野川之城」は、この城の前身とみなされているようです。

現在城址は「幸ヶ谷公園」となっています。公園にいたら、鳩が寄ってきました。
城の遺構は残っていませんが、城址の説明板と権現山合戦の説明板がありました。
攻城時間は10分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 上田蔵人
築城年 室町時代後期
主な城主 上田氏
遺構 消滅
再建造物 説明板(権現山)
住所 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷